582.微笑
灰色の不透明なコクーンが、不規則に動いている。
内部では、ナノ・マシンによって身体が接合され、傷の修復が行われているのだ。
コクーンの前に膝をつく親子の表情は、対照的だった。
娘は、厳しい表情ではあったが、冷静だ。
伯爵はコクーンの前に両手両ひざをついて、今にも泣き出しそうだ。
秀麗な容姿だけに、その憔悴ぶりが際立っている。
「うまくいきそうだね」
背後から声がかかり、腕に抱きつく感触があった。
オプティカだ。
「来たのか」
「遅くなったよ。あんたみたいに空を飛ぶわけにいかないからね。それで?」
「身体は細かく刻まれていたが、見たところ、脳は無事だった」
「じゃ、治るんだね」
「その確率は高い」
オプティカがアキオの手を取る。
「バラバラだったのかい――あの袋を灰色にして中身が見えないようにしたのは心配りが聞いているよ。子供には刺激が強いだろうからね」
彼女は、アキオと出会った時に、コクーンが本来、透明なことを知っているのだ。
「どういうことだ」
アキオが尋ねる。
「あの娘に母親の無残な姿をみせないようにしたんだろう」
「いや」
アキオは、彼と共に来た少女が母親の姿をはっきり見たこと、タイミング的に後から来た辺境伯が、妻の様子を知らなかったことを告げた。
「そうかい、でも結果的にその方がよかったのかもしれないね」
オプティカが親子を見ながら言う。
「あの様子じゃ、旦那の方が衝撃が大きかっただろうからね」
小さな音がアーム・バンドから響いた。
身体の接合が終わったのだ。
アキオは、コクーンに近寄ると、傍らに膝を着き、アーム・バンドに触れた。
パシュッと弾ける音がして、コクーンの上半分が裂ける。
中の溶液が溢れ出し、その下から濡れそぼった細い女性が現れた。
金色の長い髪が美しい顔に張り付いている。
「モル!」
短く叫んだ辺境伯が立ち上がって外套を脱ぎ、妻に被せた。
メルカトラが走り寄る。
彼女は、ごぼ、と口から透明な液を吐き出した。
肺を満たしていた保護液だ。
しばらく咳き込むと、目を開けた。
顔を覗き込むふたりに気づく。
「あ……あなた。それにメル。どうしたの、ヨー、あなた、酷い顔よ。ああ、なぜかしら、身体に力が入らないわ」
「君は怪我をしていたんだ。だから、もう少し休むんだ」
「わ……かったわ」
そういって彼の妻は微笑みを浮かべて目を閉じる。
辺境伯は、コクーンの中に手を差し入れ、妻を抱いて立ち上がった。
痩せてはいるが、なかなかの力だ。
「だれか、上に乗り物を用意させてくれ」
衛士に命じる。
「はっ」
一人の男が走って部屋を出て行った。
「お待ちください。わたくしどもがお運びいたします」
そのまま出口へ向かおうとする伯爵に衛士たちが声を掛ける。
「いや、彼女はわたしに運ばせてくれ――頼む」
底光りする目で言う伯爵に、気圧されたように男たちは引き下がった。
「待て」
歩き出そうとする男をアキオが呼び止めた。
「君にはあとで礼をする。今は彼女を屋敷に連れて帰りたい」
「そうしてやれ」
アキオは、手にした体力回復用のホット・ジェルを数本渡し、使い方を説明した。
「ありがとう。きみのおかげでモルが、妻が戻ってきた」
そう言うと、伯は愛おし気に妻の顔を見て、軽く一礼すると彼女を抱いたまま部屋を出て言った。
なぜか、メルカトラはそれについていかない。
「あんたは一緒にいかなくていいのかい」
同じ感想を持ったらしいオプティカが尋ねる。
「良いのです。母は父のものですから」
「あんたねぇ」
「そして、わたしはそういう時の母の顔がひどく好きなのです」
女たちの会話をよそに、アキオは歩いて宰相の首を包んだコクーンに近づいた。
アーム・バンドで確認すると、内部の生体反応は安定していた。
脳波に乱れもないようなので、頭に細工された様子もなさそうだ。
なぜ、首だけ残していたのかは疑問だが――
いずれにせよ、材料なしに首から下を復元することはできない。
アミノ酸プールが必要になる。
そのために駒鳥号を呼び寄せることになるだろうが、それまでは、ここに置いておけば良いだろう。
意識は刈ってあるから、問題はないはずだ。
アキオは、コクーンを手にすると、空いた小型ガラス容器に置いた。
アーム・バンドを操作して駒鳥号を呼び、アミノ酸溶液の調合を指示する。
それら一連の作業が終わると、彼は着いてきた衛士を見た。
「治療を始めるまで宰相をここに置いておく。保護してくれ」
「わかりました」
今では、アキオの命令を聞くことが最優先であることがわかっている衛士が最敬礼して答えた。
少し震えながら。
それで彼は気づく。
男には覚えがあった。
展望台で手足を折った者の一人だ。
「アキオさま」
オプティカの許に戻ったアキオの足下で声がした。
メルカトラが彼の前で跪いている。
「これまでの数々のご無礼をお許しください」
アキオは、彼の横に立つオプティカを見た。
彼女は気づく。
ああ、表情にこそ出ていないが、これは困った時の顔だ。
それがわかる自分が嬉しくて、つい笑ってしまった。
「そんなことは気にしなくていいよ。あたしの旦那さまの心は空のように大きいんだ。それに……あんたは今までみたいに突っ張ってる方が可愛いよ」
「本当でしょうか」
少女が上目遣いに彼を見た。
アキオがうなずく。
「なら、わたしと手合わせしてくださいませ」
そうして、さきのアキオとメルカトラの試合が始まったのだ。
工場内の様子を見ても、もう危険はなく、逃げたメンドラを追うには時間が経ち過ぎていた。
それに、一般の衛士が、科学を駆使して逃げる彼女を見つけられるとも思えない。
そうした、アキオとオプティカの判断、祈念祭の最終日の浮かれた街の雰囲気を壊したくないという少女の思惑が重なって、領主館の中庭に、手空きの衛士を集めての試合となったのだ。
結果――
「気に入らない人だけど、あなた、確かに強いわ」
そういって、優雅なカーテシーを見せた少女は、
「うそ、嘘です。アキオさま」
叫ぶように言うと、彼に飛びついた。
足を浮かせたまま彼の胸に抱き着く。
「ああ、なんてお強いのでしょう」
感極まったような声を出す。
「いや、体格差が大きい。身長が伸びた後、純粋に剣で闘えば君が勝つだろう。俺は剣が苦手だ」
正直に彼が言う。
真実だ。
アキオができるのは殺し合いだけだ。
剣のみを使ったきれいな試合ではない。
例えば、彼の膂力に耐えかねて剣が折れ、試合では負けるかもしれない。
たが、戦闘にはその先がある。
戦時のアキオなら、次の瞬間に折れ残った刃を敵の頭蓋に突き立てることだろう。
「いいえ、いいえ。本当にあなたはお強い。わたしは決めていたのです。わたしを完全に打ち負かす人のものになると。どうか、わたしを貰ってください」
少女は熱に浮かされたような口調で言い募り、結構な力で胸をしめつけてくる。
「見たか、お主たち、わが王は、また妃を増やすつもりのようじゃぞ」
背後から声が掛かる。
振り返ると、黒紫色の髪の少女が腰に手を当てて立っていた。