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581.液槽

「ああ、なんてこと――」

 強く、美しかった母。

 その身体は細かく刻まれて透明な液体に浮かんでいる。


 切断された各部位かくぶいは、完全に離れているのではなく、今も細い線で繋がり、手首から先だけの指先はゆらゆらと動き、目は彼女を見つめてまばたきを繰り返していた。


 つまり、彼女は生きている。


「いいか」

 背後に気配を感じると同時に、頭から声が降ってきた。

「アキオさま」

 少女は、拳を握りしめて彼を見上げる。

「どうか母を――」

「分かっている」


 そう言って、アキオは水槽すいそう内の女性を見た。


 バラバラにされた手足などの様子から、彼女は、一見分解された衣装人形マヌカンのように見えた。


 頭部、特に顔が傷つけられていないため、その印象がさらに強められている。


 しかし、よく見ると、切断されたそれぞれの部分にも、()()()()が開けられ、細かく解析を行われた形跡があった。


 身体の各部も人工神経で(つな)がれている。


 おそらくメンドラは、娘のメルカトラにも受け継がれている、()()()()()()()を探ろうとしたのだろう。


 彼なら遺伝子を解析するが、その手間を惜しんだのか、あるいはその技術が未熟だったのか、単に人を解剖したかったのか、のどれかだ。


 もっとも、意外に思うかも知れないが、遺伝子解析だけで、その生物の特性を見つけ出すのは、実のところ難しい。


 往々(おうおう)にして遺伝子情報は、設計図にはない機能を実装(じっそう)してしまうからだ。


 奇妙なことに、実体としての生命体は、設計図である遺伝子情報を飛び越えた能力を持つことがあるのだ。

 まるで、見えない情報が巧妙(こうみょう)に埋め込まれているように。


 カヅマ博士は、それについて、()()()()()()()()()()、と言っていた。



 アキオは巨大な溶液槽(ようえきそう)を見る。

 見る限り、細胞片は全て生きているようだった。


 おそらく、タンクを満たしているのは、22世紀初頭の地球で発明され、アキオも世話になったことがある、パーシー・デュバル氏液だろう。


 魚の飼育の要領でポンプにより酸素を溶液に溶かし込み、栄養素を加えて水槽の両端に電圧をかけるだけで細胞を生かしてくれる便利な液体だ。


 イヴォンヌ・パーシーとキンバリー・デュバルの2人の女性科学者によって生み出され、誤って個人の名前として世に広まったパーシー・デュバル氏液は、もともと体から取り出した臓器などを生かしたまま保存するための溶液だった。


 その能力はすばらしく、アキオも、ナノ・エンバーミングを開発する前はよく使ったものだった。


 最大の特性は、全てを静止させてしまうナノ・エンバーミングとは違い、生きたまま生物を保存――例えば、意識があるまま頭部を保存――できることだ。


 水槽の前の少女を追う目の動きを見る限り、脳に過度の損傷は見られないようだ。


 アキオは、タンクに近づくと、軽く拳で叩いて強度と材質をみた。

 軽くうなずいて水槽から離れると、P336を引き抜いて、弾倉マガジンを火薬弾に交換して連射した。


 思った通り銃弾で液槽は割れなかった。


 見事に同じ場所に銃弾が集中し、少しずつ強化ガラスがえぐれていく。


 穴が深くなると、3点バーストのように、間欠的かんけつに撃ちながら液槽に穴を穿うがった。


 やがて、銃弾は液槽を貫通し、溶液が噴水のように細く噴き出す。

 威力の弱い火薬弾のため、貫通するまでに15発の銃弾を費やした。


 アキオは、ポーチからナノ・アンプルを取り出すと、穴に向けて指で(はじ)いた。

 ついでコクーン・カプセルを取り出してそれも指で弾く。

 アンプルとカプセルは、同じ穴から液槽内へと侵入した。


 アキオがアーム・バンドを操作すると、まずアンプルの容器が壊れ、直後にあふれ出た銀色のナノ・マシンごと液槽内の肉片すべてをコクーンが包み込んだ。


 今回も、コクーンは不透明の灰色になっている。


 直後、伯爵が部屋に走りこんできた。


 何事か叫びながら、液槽(タンク)に走り寄ろうとするのを娘によって止められている。


 アキオは、水槽タンク横のコンソールに近づきパネルに手を触れた。

 しばらく操作すると、液槽内の液体が減り始める。


「宰相はどこにいる」

 彼の質問に答えて、衛士が部屋の反対側にある小ぶりな円柱水槽を指さした。

 その中に、白髪交じりの男の首だけが入れられていた。


 アキオは、先ほどと同様に老人の首もコクーンで包んだ。

 槽内の液体を抜く。

 小さな液槽は、たちまち空になった。

 アキオは、首が完全にコクーンに包まれているのを確認すると、液槽にショート・ブロウを放った。

 ガラスが粉みじんに砕け散る。

 彼は首の入ったコクーンを取り出すと、ゆっくりと床においた。


 巨大水槽の前に戻ると、伯爵が娘からさとされていた。

 少し落ち着きを取り戻しているようだ。


 液槽内の溶液は、ほぼ無くなってコクーンも水層の底に鎮座している。


 アキオは手を伸ばし、人挿し指でガラスを押した。


 何をするのか、と皆が見守る中――


 ビシ、と大きな音が響いた。

 彼の指を中心に、大きな亀裂が円状に走っている。


 アキオは軽くうなずくと、いったんガラスから離れて腰の入ったパンチを放った。

 水槽のガラスが粉々に砕ける。

 床に落ちた破片を見ると、強化ガラスの厚みは70センチ以上あった。


 彼は、槽内に入ると軽々とコクーンを抱き上げた。

 溶液ごと包まれているためかなり大きい。

 重さも200キロ以上はあるだろう。


 アキオは、コクーンを少女たちと液槽の間まで運び、ゆっくりと降ろした。


「アキオさま」

 少女が駆け寄り、その後に辺境伯が続く。


 女性の肉体は、ひどく切り刻まれていたが、体の各部がそろっているようなので、完全治癒までには、それほどかからないだろう。


 彼はアーム・バンドで確認する。


 思った通り、まもなく少女の母は元通りの身体になるようだ。

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