579.展開
甲高い金属音が、空気を裂いて庭を取り囲んだ建物に反響する。
「やるねぇ」
オプティカが感心したように言った。
すでに彼女の豊かな髪は白く顔には皺が刻まれ、仮面も外している。
いま彼女は領主館の、中庭と呼ぶには広すぎる一角に作られた正方形の剣技場の近くに立って、アキオとメルカトラの剣による模擬戦を見ていた。
時刻はすでに深夜近いが、領主館の屋上に聳え立つ尖塔の頂点で、太陽のように眩しく輝くルクサ・メナムの光によってシュテラ・エミドの街は明るく照らされ、技場で剣を合わせる二人の姿をくっきりと浮かび上がらせていた。
これまで、素晴らしい速さで、石床の広い剣技場の隅々まで使って移動しながら、嵐のように襲い掛かる少女の剣を、アキオがさばきながら軽く反撃する、という戦いを繰り広げている。
「おお」
声を上げたのは、彼女と並んで戦いを見ている衛兵たちだった。
昼間に、アキオによって手ひどく痛めつけられた男たちだったが、彼らが去った後に現れた謎の少年の売る『オプティーク』という酷く不味い瓶入りの薬草を飲むと、たちまち身体が回復したため、午後は領主代行としてのメルカトラの命によって、サータイアを工場に運びこんだり、巨人クンパカルナの残骸の処理を行っていたのだ。
今は、作業を終えて領主館に集合したところで、突如として始まったふたりの戦いを観戦している。
空に、色とりどりの光が舞い踊り、館の外からも山鳴りのような歓声が聞こえて来た。
今夜、シュテラ・エミドの街は、年に一度の光石祈年祭の夜として昼間のような賑わいを見せている。
普段、早くに寝入ってしまう街の人々も、今夜は、一夜限りの宵っ張りになって、恋人も夫婦も、一晩中街をそぞろ歩き、街角に多数設置された、時間を置いて色を変えるメナム石を微笑んで見つめるのだった。
さらに、20分おきに足にメナム石をつけて空に放たれるスエイナ鳥による光の乱舞も目を楽しませてくれる。
「そこまでだね」
アキオの剣が少女の喉元に突き付けられるのを見たオプティカが声を掛けた。
「気に入らない人だけど、あなた、確かに強いわ」
メルカトラが、言葉ほど毒の無い晴れやかな笑顔でアキオに優雅なカーテシーを見せる。
おやおや――その表情を見てオプティカが緩やかに首を振った。
素直じゃないねぇ。
腕を失い、胸から血を流すアキオを見た時、少女が彼女を押しのけ、アキオにしがみついて泣き出したことを思い出したのだ。
昼の巨人との戦いから、これまでに多くの事柄が一度に起こった。
ホット・ジェルを飲んだアキオの肉体が回復すると、彼が、知る人ぞ知るヌースクアム王国の国王であることを、オプティカが少女に伝えたのだった。
初めは、大国を統べる名もなき国というものを理解できずに混乱したメルカトラだったが、しばらくして落ち着きを取り戻した彼女の考えで領主館に向かうことになった。
門を出たところで、工場の騒動を聞きつけて展望台からやって来た衛士たちに会った少女は、アキオとオプティカの姿を見て動揺する男たちを一喝した。
わたしの知人であるから決して敵対してはならない、と、諭すように言う少女を見てオプティカは感心したように言う。
「たいしたもんだねぇ」
いかにメンドラの策謀によるものだったとはいえ、つい先刻、己の命を狙ったばかりの男たちを赦すメルカトラの度量の広さに、人の上に立つものの資質を見たのだ。
少女は、70人の衛士を2グループに分け、50人を工場の戦後処理に、20人を領主館への供とした。
「やることは分かりましたね」
「はっ」
毅然として命じる少女の言葉に男たちは頭を下げた。
当然のように、全員、彼女が領主令嬢であることを疑っていない。
緩やかな風になびく金髪、澄んだ碧眼、自身に満ち溢れた良く通る声――
誰も、彼女が、先ほど殺すつもりで追いかけていた少女と同一人物であると思っていないのだ。
領主館に着くと、まず彼女は2階にある自分の偽物の部屋へと赴いた。
行く手を阻もうとする使用人たちは、彼女の容姿を見て、凍りついたように動きを止める。
いま、部屋にいるはずのお嬢さまと全く同じ顔、多少、風変わりな服を身にまとってはいるものの、帯剣したその姿は、まさに剣花姫と呼ばれるに相応しいものだったからだ。
「あなたは何者です」
扉を開けて中に入った彼女へ向けて、令嬢付使用人頭サゼンナが厳しい声を発した。
令嬢メルカトラは、彼女の背後に隠れている。
「わたしが誰かわかりませんか?」
「お嬢さまによく似た偽物ですね」
「そう思うのですね」
少女は、一瞬、悲し気な顔になると、振り返って帯同した衛士長の腰に手を伸ばし剣を引き抜いた。
サゼンナに向けて剣を投げる。
長剣は、彼女の前の床に突き立った。
柄が細かく震える。
「では、その者を守りなさい。かつて、あなたが故郷の街で通りに現れた犬熊を撃退したように」
「なぜそれを!」
彼女が叫ぶ。
ある事情から、そのことを知っているのは、モルワイダさまとお嬢さまだけのはずなのだ。
「理由を考えるのはあなたの義務です」
固まったように動かなくなったサゼンナから目を逸らし、メルカトラは、彼女の背後の少女に声を掛ける。
「では、あなた。何という名前かは知りませんが、その剣を取りなさい。剣花姫なら、簡単にわたしに勝てるはずです。さあ闘いなさい、このメルカトラ・ウルラ・フィン・ロ・ラメリと」
その言葉に、サゼンナが反射的に少女から離れ、メルカトラの横に立つ。
「辺境に咲く一輪のラメリの花、その名は、わたし以外は、伯爵さまとご本人以外には知らぬ名です」
隠れるものがなくなった少女は、床にくずおれて、わっと泣き出す。
「彼女を拘束しなさい」
衛兵にそう命じ、サゼンナの腕を軽く叩くと、彼女は部屋を出て伯爵の居室へ向かった。
扉を叩くと、しばらくしてから返事があり、戸が開いた。
辺境伯本人が扉を開けたのだ。
蒼ざめた顔色、こけた頬、乱れた紙、落ちくぼんだ目、その全てが、彼の苦悩の深さを表している。
入室の許可を得る前に彼女は部屋に入った。
アキオたちも後に続く。
伯爵は文句を言わなかった。
「お父さま、お話すべきことがあります」
立ったまま、少女は父に街の置かれている状況を説明した。
「それは――大変だったね」
聞き終わった伯爵がつぶやくように言う。
「あんたねぇ」
あまりに他人事な口調に、オプティカが怒りの声を上げた。
「良いのですオプティカさま」
振り返った少女が目で彼女を押しとどめる。
「祈年祭はどうするつもりかね」
「騒動はありましたが、一部のことです。メンドラはもう逃げましたし、せっかくの人々の楽しみを奪うことはできません。例年通りに行うつもりです」
「そうか――」
その時、遠くから、誰かの叫び声が聞こえてきた。
だんだん大きくなる。
激しい音が響いて扉が開かれた。
衛士が顔を出す。
領主の部屋の扉を無断で開けるなどとは、無礼極まりないが、誰もそれを気にしてはいなかった。
扉が開かれる前に漏れ聞こえた言葉が衝撃的だったからだ。
「もう一度いいなさい。落ち着いて」
彼女の言葉にうなずくと、男は、ごくりと喉を鳴らして言う。
「工場の地下で、奥さまとソルダ元総務官が見つかりました」