578.窮鼠
アキオは、無造作に手を伸ばした。
片手で女の頭をつかむ。
軽々と持ち上げた。
女としては大柄なメンドラも、アキオにかかれば子供のようなものだ。
「た、助けて」
足をぶらつかせて懇願する彼女の声は彼には届かない。
また、別次元のこの世界には、23世紀に交わされた改正ジュネーブ条約とも呼ばれている国際ドバイ諸条約、いわゆる戦時軍隊に於ける戦闘不能者の扱いに関する条約、といった戦時国際法は存在しないから、無理に捕虜にする必要がない。
よって、子供を原種にして生物兵器を生み出すシステムを作り出すような狂気の発明者は完全排除する。
子供の場合、更生の余地が多少残されているから一考する余地があるが、メンドラは成人した女だ。
行った行為には責任をとる必要があるだろう。
なにより彼女の場合、これまでの経緯から考えて、自分自身の意思と野望で科学実験を繰り返しているようだ。
同じドミニスでも、キルスを演じたカイネに命じられ、アルメデへの憧憬からギデオンを生み出していたコラドとは違う。
生かして収監する必要などないだろう。
そもそも、闇雲に女だから救うという奇妙な思考は彼にはない。
彼女ひとりを生かしていても、彼自身にはたいして脅威となり得ないだろうが、オプティカを含むヌースクアムの少女たちの害になる可能性があるのだ。
入江の水中に潜む岩は、全て砕いておかないと、ゾディアック・ボートですら船底を割かれて沈むことがある。
「あ、あ、あ」
強靭な握力で、徐々に頭を締めつけると女が声を上げた。
サータイアに用いられた再生技術を使って生き返ることがないように、彼はメンドラの頭を完全に破壊するつもりだ。
「ど、どうか、どうかお助けください」
女の懇願にアキオは尋ねる。
「子供をさらい、サータイアに改造するとき、彼らが望めばおまえは解放したか」
「し、しました。本当に嫌だといったら、森の奥に逃がしたんです」
「それを助けたとはいわない」
無防備な子供を森に放置すれば、その命は5分と持たないだろう。
少し手に力を加える。
ピシ、と手に骨の頭蓋骨のずれる感触があった。
「ぎゃあ」
メンドラが整った顔を引きつらせて叫ぶ。
「お、お願いです、お願いです。助けてください――助けていただいたら、サータイアの細胞増殖技術と金属同化技術をお教えします」
アキオは表情を変えない。
そんなものは、すでにナタイアに、ナノ・マシンを撃ち込んだ時点で解析は終わっている。
「いらないな」
アキオはさらに締め付けを強めた。
頭蓋が嫌な音を立てるのを聞いて、メンドラは言いようのない恐怖を感じ、叫ぶ。
「あなたの、アキオさまのご存知ない情報をお教えします」
早口でまくしたてる。
「不要だ」
「そ、そんなことを仰らないで。きっと役に立つ情報があると思います」
「ぎゃっ」
「少し黙れ」
面倒になった彼は、ひと思いに頭を握りつぶそうと力を加えようとした。
「どうか……どうか助けて。お教えします、細胞の活性化、バイオ金属の生成法……」
ぎゅっと目を瞑って、うわごとのように女が言い募る。
「3つの月の秘密、なぜ、この星が球体でないのか、次元孔の人工的な開け方」
「――」
アキオの手の締め付けが止まったのを知ったメンドラは、薄目を開けて彼を見た。
「次元孔を開ける――」
アキオがつぶやく。
彼の手の圧力が少し緩んだ。
メンドラは、これこそが自らの生をつなぐ細い糸だと感じて声を張り上げる。
「は、はい、そうです。地球ではかなりたくさんの次元孔が開いたと聞いていますが、この世界では一度も開いたことが無いのです。それを人工的に開ける方法をわたしは見つけだしました。理論上のことですが」
目と耳と鼻から何か温かい液体が流れ出すのを感じながら、メンドラはアキオに気づかれないように服のポケットに手を入れた。
「要点は太陽フレアです」
「知っている」
太陽フレアが発生した時に放出される、太陽風に含まれるスペクトルZ線が要因となるのだ。
だが、実際、何が引き金になるかを彼は知らない。
「フレアを観察して8分20秒後にあることをすれば任意の、任意の場所に――ああ、声が掠れてきました。もう少し耳を寄せてください」
8分20秒は光が太陽から地球へ届く時間だ。
その時間の合間に何をするというのだ。
アキオは詳細を聞き漏らすまいと、ほんの少しメンドラの方へ身体を寄せた。
その瞬間――
凄まじい轟音が響いてアキオの胸の中心と腕が消失した。
巨大な風穴を通して向こうが見える。
その好機を逃さずメンドラは頭に残った彼の手を床に捨て去ると扉に向かって走り出した。
「待て」
血を吐きながらアキオが追いかけようとするのに向けて、メンドラはポケットから取り出した小型銃で再びアキオを撃った。
何とかそれは回避したが、そのために追撃が遅れる。
「炸裂弾入りのディリンジャーよ。お味はどうかしら。やっぱり保険はかけておくものね」
そういって、女は壁に手を伸ばすと、エレベーターの横にぽっかり空いた脱出シューターらしい穴に飛び込んだ。
ほぼ同時に、扉を開けてオプティカとメルカトラが飛び込んでくる。
「アキオ!」
「アキオさま」
「なんてことを」
彼は、悲鳴を上げて走り寄るふたりの少女を、手で押しとどめる。
「問題ない」
改良型ナノ・マシンの修復力は凄まじく、もう傷口はほぼ塞がっていた。
窓の外から爆裂音が響いて、銀の塊が空へ飛び立って行くのが見えた。
メンドラが脱出ポッドを使ったのだろう。
それを見るアキオの表情は、一見、いつもと変わらなかったが、見る者が見たら落胆しているのがわかっただろう。
女の言葉に気を取られ、避けられるはずの攻撃を受けて逃げられてしまったからだ。
「巨人はどうした」
「全部解体したよ。中身は機械だけ、子供はいなかった。細かく刻んで、くっついて再生しないように離した。」
ゆっくりと彼に近づいたオプティカが、彼の胸に手を当てながら言う。