574.大蛇
ルクサ・メナムは巨大なメナム石だ。
メンドラが、メルカトラを拷問してまでそれを欲しがったのは、この巨人クンパカルナを生み出すためだろう。
彼女が、ヒトサイズのサータイアの実験結果として巨人を作ったのなら、おそらくこいつは完成品だ。
実際、さっき地下に開いた穴から這い出た巨人の動きは、サータイアとは比較できないほど素早かった。
体内に仕込まれたルクサ・メナムが特殊なのか、サータイアに使われた技術が高められたのか、あるいはその両方だろう。
巨人としての素早さの度合いは、内燃機関で動くクープアを1とし、ドッホエーベで凝縮型ナノ・マシンをエンジンとして動いたリトーを10とすると、7から8という速さだった。
想像以上の機動力だ。
ナノ・マシンを使わずに細胞の強度と筋力を高めているのだろうか。
敵として侮れない俊敏さだが、それよりアキオは、工学者として内部構造が気になった。
なるべくなら、原型をとどめたままで倒して調べたい。
兵士時代の彼なら、ただ敵を倒すために全力を注いだだろう。
だが、今の彼は、目的のために未知の技術を常に欲しているのだ。
それが、本来なら無敵のはずの彼の弱点になる。
巨人は、腰に一振りの巨大な剣を携えているが、それには手を伸ばさず、まるで格闘家のようなポーズをとって彼に向き合った。
身長差15倍の対峙だ。
アキオは、両腕を下げたまま巨人を見上げた。
巨体ではあるが、均整のとれたシルエットが、雲一つない空に映えて美しい。
一瞬、黒い影がよぎるが、それは空を飛ぶスエイナ鳥だった。
彼の脳裏に、演習においても巨人リトーを仮想敵にするシジマが、かつて寝物語に言った言葉が蘇る。
巨体はロマンなんだよ。たとえ、思うほど強い敵にはならなくてもね。
巨人は強敵にはなりえない、彼女はそう言ったが、正しく体重配分をしたクンパカルナの立ち姿は、戦闘能力の高さを感じさせるものだった。
戦闘時にアキオが迷うことはない。
彼は、機先を制してP336を取り出すと、顔全体をフェイス・ガードで覆われた巨人の目に向けて引き金を引いた。
レイルガン・モードだ。
発射音とほぼ同時に、キンと硬質な音が敷地内に鳴り響く。
思った通り、弾丸が巨人の目を傷つけることはなかった。
仮面に嵌まった強化ガラスらしきものが目を守っているのだ。
目を撃たれても驚く素振りを見せず、巨人は素晴らしい速さで彼に走り寄るとアキオを蹴り上げた。
それを躱して空中に跳ね飛んだ彼は、身体を捻りながら続けざまにクンパカルナの目に向けて銃弾を撃ち込む。
10発が1発の銃声に聞こえるほどの速射だ。
全弾命中するが、目にダメージは通らなかった。
さすがに、空中でそれだけの連射をすると、反動で身体が流される。
そこへ巨人が拳をまっすぐに叩きつけてきた。
演習の時は、超重量弾ラグナタイトの反動を使って空中で攻撃を回避した。
だが、いまは実戦だ。
わざわざ難しい工夫をする必要はない。
アキオは、コートから折りたたんだ噴射杖を取り出すと、片手に掴んだまま、体から離してブースト・ボタンを押した。
短いままの杖から凄まじいジェットが噴射され、アキオの身体が、誰かに引っ張られたように巨人の拳を回避する。
一旦噴射を止めると、彼は杖をひとふりして伸ばした。
再びジェットを噴射し、指数関数曲線を描いて空高く舞い上がる。
「な、何なの、それは」
ドローンから声が響いた。
どうやら、メンドラは、ドッホエーベの情報収拾を怠っていたらしい。
噴射杖は、ナノ強化された身体が使うことを前提に、単眼索敵装置から開発された彼の独自技術だ。
通常の地球科学しか学んでいない彼女が知らないのも当然だ。
アキオは、杖を使った、空からの攻撃を開始した。
小銃を肩から外してマガジンを通常弾に換え、片手で構える。
巨人の関節を狙ってレイルガン・モードで連射した。
凄まじい火力で巨人の口から放出される火炎を回避した。
かなり剛性の強い合金を使った鎧のようだ。
可動部も工夫されているようで、レイル・ライフルでも貫通させることはできなかった。
隙を伺いつつ、さらに曲芸飛行を続け、腕に回りこんで――
いきなり真横から衝撃を受けてアキオは吹っ飛んだ。
かろうじて、空中で体勢を立て直す。
クンパカルナをみると、腕の一部からせり出た砲口が収納されるところだった。
どうやら、巨人にはいたるところに武器が仕込まれているらしい。
そこから打ち出された砲弾に直撃されたのだろう。
「どうです。巨人クンパカルナは武器の塊よ!」
女の声を無視して、飛びながらアキオは被害を確認する。
彼自身は、コートに守られて重大な損害は受けていなかった。
ただレイル・ライフルは、銃身が曲がって完全に破壊されていた。
ナノ・マシンを巨人に打ち込むためには、別な方法を考えなければならないだろう。
クンパカルナが腕を回すと、その先から複数の槍のようなものが彼目がけて突き出された。
彼の鋭い目が細部を視認する。
それは蛇だった。
巨人の五本の指の一つ一つが鋭い牙を持つ蛇に変形し、その口で彼を噛み砕こうとしたのだ。
蛇を回避したアキオは、すれ違いざまにナノ・ナイフを突き立てたが、刃渡りの短いナイフでは満足に損傷を与えられなかった。
急反転した彼は塀際に立つオプティカの上空を飛んで言う。
「ロング・ナイフをくれ」
「わかった」
彼女は、隣に立つ少女から鞘ごとナイフ――サイズから言うとフルサイズの長剣に等しいが――を受け取った。
「いくよ」
そういって、助走なしに剣を投げようとする。
その一瞬が隙となった。
彼女の頭に影が刺したと見るなり、巨大な蛇の牙がオプティカを襲った。
クンパカルナが走りながら、彼女に手を伸ばして蛇を打ち出したのだ。
頭以外ならナノ・マシンで再生ができる。
だが、蛇が噛み砕こうとしているのは彼女の頭だ。
頭の破壊すなわち死だ。
誰にも、どうしようもなかった。
アキオからは遠く、メルカトラからは離れ、オプティカ自身は体勢を崩している。
やがて、火花を散らす勢いで口が閉じられ、悲鳴が上がった。