057.監獄
高度10キロまで上昇したアキオは、ロケットの向きを水平にした。
高高度と風速冷却による低温での凍傷を防ぐため、ナノ・コートのフードを被り、袖を伸ばして指先をカバーさせる。
たちまち、コートの表面に霜がはりつき、フードの前面に張ったシールドが吐息の水蒸気で凍りつく。
ナノ強化された身体は極端に呼吸数が減るため、その高度でも通常必要なボンベ類は必要なかった。
成層圏と空にゴミがあふれている地球とは違い、この世界の高高度における障害物は、ほぼ存在しない。
アキオは目視をあきらめ、アームバンドにリンクさせた情報をフードのシールドに表示させ、それに従って進行方向を決めていく。
半時間後、燃料の尽きたロケットを捨て、アキオはコートをウイング・スーツに変えて空を滑空し始めた。
風を読み上昇気流を捕まえつつ、目的地のシュテラ・ナマドへと飛び続ける。
徐々に地表が近づき、森林と荒野が交互に飛び去っていくのが見えた。
やがて彼方に赤い尖塔が見え始める。
シュテラ・ナマドの中央に建つ塔だろう。
アキオはさらに高度を下げ、街道から離れた人気のない荒野で、身体を広げて制動をかけた。
ウイング・モードを解除しつつ緩やかに地表に降り立つ。
時刻を確認すると、10:32だ。2時間あまりで街の付近に到着したことになる。
そのまま荒野を駆け、森に入り街へ向かう。速度を保つために、人目のある街道は使わない。
20分後、門が見える位置までやって来たアキオは、ミーナに連絡をとった。
「着いたぞ」
「予定通りね。なにか問題は?」
「ない」
「では続けて」
「了解だ」
アキオは門に近づき、通行文を使って街に入る。
傭兵の街シュテラ・ナマドは、金属と赤いレンガの街だった。
正面の門から続く目抜き通りを歩き、途中にあるサーカスに設置された地図を見てバルチヌ監獄を見つける。
しばらく歩くと、金属とレンガを組み合わせた巨大な塀が見えてきた。
これがバルチヌ監獄だろう。
そのまま周囲を回り詰所へ着いた。
塀を抉るように作られた詰め所の木製の扉を叩く。
「なんだ」
筋骨隆々の、ひげ面の大男が顔を出した。
アキオの姿を上から下まで舐めるように見て鼻で笑い、
「ひょろっこい兄ちゃんが何のようだ」
「ライズに用がある。呼んでくれ」
「そいつに何の用があるんだ」
「呼べばわかる」
「帰れ!怪我をしないうちにな」
食物繊維が不足しているのか、たんに機嫌が悪いのか、不機嫌な男はとりつく島もなく言い捨てて扉を閉めようとする。
「キイ・モラミスの――」
文、とまで言わないうちに、ものすごい勢いで扉が開いた。
「おまえ、いやあなた様は、あの方のお知り合いで?」
先ほどまでと同じ人間とは思えないほどの笑顔を浮かべて男が言う。
「ライズ――」
「俺が、いやわたしがライズです。ささ、どうぞ中へ」
男はアキオの肩を抱くように扉の内側に招き入れる。
「申し訳ありません。最初から、あの人のお知り合いだとおっしゃっていただけたら……あの」
そういって、男は夢見るような目つきになる。
「あの方は、お元気になされてますかい」
「元気だ」
「キイ様、いやキイさんにつけてもらったこの親愛の証がわたしの誇りでしてね」
男は、分厚い胸から続く首と、野太い腕についた青あざを愛おしそうに撫でる。
どうやら、ライズはキイにちょっかいを出して、手痛い洗礼をうけたらしい。
「彼女から文を預かってきた」
そういって紙を手渡す。
ひったくるように文を受け取ると、ライズは、文面を何度も読み返し、大事に懐にしまった。
「わかりました。30分後にもう一度、ここに来ておくんなさい。用意をしておきます」
「頼む」
アキオは詰め所を出た。
ライズは、一切質問をしなかった。
それほどキイに心酔しているのだろう。
アキオは歩いて、サーカスの地図で調べた宿屋街に足を向けた。
何軒か覗いて、鋼武苑という宿に部屋をとる。
料金を5日分前払いし、その間、掃除その他の手入れは必要ないと断った。
部屋に入るとベッドを動かし、ナノ・ナイフで荷物を隠す穴を作る。
ナイフによって、柔らかいチーズでも切るように床は穿たれ、そこにナノ・コート、P336、アームバンドがしまわれる。
上からレンガの破片で目隠しをしてベッドをもとに戻す。
用意を終えると、部屋を出てアキオは詰め所へ向かった。
マクス・エクハートは伯爵家の嫡男として生を受けた。
生まれた時から次期伯爵としての教育を受け、当主としての教養と剣技、ザルドによる乗馬すべてにおいて非凡な才能を示し、父母の期待を一身に受けて育ってきた。
彼は、自分の地位と能力に誇りを持って生きてきたのだ。
だが、いつの頃からか自信と誇りは消え去り、か弱い、意味のない人生を送るマクスが出来上がってしまった。
きっかけは、はっきりしている。
妹、アステラの6歳の誕生日に開かれたパーティで、当時13歳だったマクスは、彼女の姿を見て、あり得ないほど心がときめいてしまったのだ。
妹自身に、というより彼女の着る少女らしい衣服に。
3歳下の弟や、次期当主たる自分が身に着ける豪華な装束にはまるで興味を持てないというのに。
以来、マクスの苦しみの日々が始まった。
それまで熱心に行っていた、剣技の訓練、武器の手入れ等は、殺伐として彼の心にまるで響かなくなった。
代わりに、垣間見る妹の衣装選びや少女らしい遊びに心惹かれる。
彼の体は、まるでその気持ちに応えるかのように成長を緩やかにし、彼の体型を少女のように細く可愛いものにしていった。
部屋の姿見に映る、己の肩と首の細さはマクスに喜びを与え、同時に激しい不安も与えた。
当主として男であれ!
女性にあこがれてはいけない。
それではダメなことを、彼が一番知っているのだ。
「やあ、あなたがエクハート家の跡取りさまかい」
ある日、父の護衛としてやってきた、雲をつくような巨大な戦士に声を掛けられて、マクスは飛び上がった。
輝く金髪、青い瞳のその傭兵が女性であると聞かされて二度驚く。
マキイと名乗ったその戦士にマクスは強く惹かれた。
彼女こそが、当時の彼にとっての理想像に近かったからだ。
力あくまで強く、その悠揚として揺るぎない態度、鷹揚な性癖、そして、なによりマキイの体は女性なのだった。
マクスは彼女に心酔し、彼女の属する銀の団に入団することを望んだ。
初めは渋った父も、マクスの熱意に負けて、事務方として団に関わることを認めた。
高位の貴族が箔をつけるために軍に入ることは、ままあることであったし、傭兵の街シュテラ・ナマドでは、傭兵団こそが国軍の代わりを務めていたからだ。
また、その頃には、彼の両親も息子の性癖が一般の嫡男とは違うことに気づいていて、荒くれた傭兵団に参加することで、男らしい態度を身に着けて欲しいと願ったという事情もあった。
銀の団に入ってすぐに、マクスはマキイが彼の思うような『男らしい女性』などではなく、その中身が可愛らしい女性にあこがれる思春期の少女であることを知った。
力強い傭兵の心情は、まったくマクスと同じだったのだ。
彼は、マキイの孤独を知り、共に夜寝ることを願ったが彼女の方でマクスを拒絶した。
彼が正規の団員ではないのと、身分が違いすぎたからだ。
それでも、結果的に少年と少女は、形は違えど『少女への憧れ』という一点で気持ちを通わせ、親友となった。
やがて、マキイは罠に嵌められ、全財産を彼に残して魔獣と戦って死んでしまった。
悲嘆にくれる彼のもとへ文が届き、マクスは輝くばかりに美しい少女となった親友と再会したのだった――
扉がノックされた。
「はい」
窓辺に座って物思いに沈んでいたマクスが返事をすると、ドアが開いて執事が顔を出した。
後ろから父が声をかける。
「迎えが来たので用意をしなさい」
「わかりました」
彼を見つめる父の顔は憔悴しきっている。
つい先日まで、父自身が謀反の疑いを掛けられ城に幽閉されていたのだ。
駆けつけた親友の、信じられない活躍で冤罪は晴れ、屋敷に笑顔が戻った矢先に、今度は自分が、父の友人のミライ伯爵の宝物窃盗容疑で収監されるとは……
監獄に荷物は持ち込めない。
マクスは、そのまま席を立つと玄関に向かった。
歩きながら、父が必ず冤罪は晴らすと約束してくれる。
それについて彼は疑ってはいなかった。
ただ、これから向かう監獄が恐ろしかった。
家族と別れ迎えに来た馬車に乗る。
係の者は、慇懃であったが、態度は冷たかった。
「こちらから迎えに上がるのは、あなたのご身分のためです。本来なら衛士が引っ立てるか、そちらから出向いていただくはずなのですから」
マクスは黙ったまま、膝に置いた手を痛いほど握りしめた。
バルチヌ監獄の門を抜け、中庭で馬車を降りる。
昼間だというのに、塀に囲まれた庭は薄暗い。
小突かれるように押されて連れていかれた場所で、服を着替えさせられる。
汚い黄色をした囚人服は不潔で嫌な匂いがした。
「こっちだ」
前後左右を大男の看守に囲まれ、マクスは階段を下りていく。
1階、2階、3階、降りるにつれて、湿度が上がり、じめじめしてくる。
ところどころにメナム石が埋め込まれているが、十分な光量とはいいがたく階段は薄暗い。
地下4階で階段は終わり、長い廊下を歩かされた。
廊下の片側に並ぶ金属製の檻からは、多くの人の気配がするが声は聞こえない。
「入れ」
階段から8つ目の房まで歩くと、看守が鍵で扉を開けマクスを中に押し込んだ。
「あ」
檻を越えると同時に、看守に突き飛ばされ、マクスは汚い床に転がる。
周りから野卑な笑い声が響いた。
「可愛がってもらうんだな」
看守の一人が言い、他の男も、
「おい、お前ら、お貴族さまだからな、すぐに壊すんじゃないぞ」
そう言い残して鍵をかけて去っていく。
「お、おい、貴族さまだってよ」
看守の姿が消えると、マクスを取り巻く男たちのひとりが言った。
暗闇に慣れた目に、薄汚れた男たちのギラつく目が恐ろしい。
「よ、よく見ると可愛い顔してるぜ、こいつ」
「く、首も、か、肩も女みてぇだ」
そういいながら、マクスに近づいてくる。
「や、やめ」
逃げようとするマクスの服がつかまれる。
地面に投げ飛ばされる勢いで、ビリビリと服が裂け襟元がはだける。
「お、おい、こいつの肌の白さときたら……」
襟を合わせるマクスのもとへ、よだれを垂らしそうな声を発しながら男が近づいてくる。
「おい、ゲイル、待てって。お前には渡せねぇぜ。すぐに壊すからな」
「大丈夫だって、優しくするからよ」
ばっと男がマクスにとびかかって、むしゃぶりついた。
「ああっ」
「へへ、こいつ、いい匂いがしやがるぜ。極上だぁ。もうこいつは俺のもんだ」
「バカやろう。俺んだ」
男たちがマクスを取り合う。
「や、やめ……い、痛い」
「痛かねぇよ。どうせ、これから色々ともっと痛くな――」
ドカッと音がして男が吹っ飛び、鉄柵に当たって跳ね返った。
同様の音が響き、次々と男たちが吹っ飛んでいく。
「すまないな」
倒れたマクスの上から声が響いた。
「これは俺のものなんだ」
そういって、アキオはマクスの手を引いて立たせると背後に回し、彼女を男たちの目から隠した。