567.仮面
「君の箱からは災厄しか出てこないだろう」
「あら」
声が含み笑いを帯びる。
「最後に希望が残っているかも知れないわ。確かめたら?」
メンドラがニューメア語に切り替えて言う。
彼女は、かつてアキオがシヅネから聞いた、豊穣神パンドーラの神話にかけた軽口に反応するほど地球の知識に詳しいようだ。
「いや」
アキオは首を振った。
やはりニューメア語で答える。
「この世界には神はいない。いるのは神気取りのマッド・サイエンティストだけだからな」
俺を含めた――そう思いながら、頭に浮かんだ言葉をそのまま口に出しただけだが、それにメンドラが強く反応する。
「だまりなさい!ドミニスは誇り高い科学者の一族よ。あなたみたいな、異世界の科学の成果を遅れた世界で使っていい気になってる者とは違う!」
ニューメア語が分からないらしいメルカトラが、女の声の調子が変わったことで、ピクリと身体を震わせた。
ザンガと共に遅れてやってきたバークが止めるのも聞かず、アキオの隣に走り出て剣を構える。
「もういい。交渉は決裂よ。ドミニスが作った本当の科学に恐怖しながら死になさい」
再びサンクトレイカ語に戻した女の言葉と共に、倒れていた20体のサータイアが起き上がった。
いつの間にか切断した手足が復元されている。
回復の速さから考えて、ナノ・マシンによるものではなさそうだ。
おそらくメンドラは、何らかの手段で細胞を変異させて賦活化し、急速な復元を可能にしているのだろう。
起き上がった小型のサータイアが一斉に口を開けた。
内部から薄煙が上がる。
この感じは知っていた。
アキオの感覚が、全開で危機警報を発する。
咄嗟に一番前列にいる怪物3体の口目がけて銃弾を撃ち込んだ。
攻撃準備をしていたためか、今度は腕による防御が間に合わず、サータイアの頭が爆発し吹き飛んだ。
やはり、あの薄煙は可燃性ガスだ。
爆風を受けながら、アキオは、ショックで隣に立つ少女を抱え上げ、背後のオプティカに向けて投げた。
メルカトラは、おそらく初めて目にするであろう、大火力の爆発に体が硬直していたのだ。
十数メートル飛んだメルカトラを受け取ったオプティカは、背後に立つザンガに少女を渡した。
「受け取っておくれ、大事に扱うんだよ」
ほぼ同時に、サータイアの口腔内に青白い火花が散り、凄まじい業火がアキオを襲った。
少女を投げて体勢の崩れた彼に、十数条の火の流れが集中し、一瞬でアキオは火だるまになる。
「アキオ!」
オプティカが叫びながら彼に飛びつく。
火が彼女にも燃え移り、豊かな髪が燃え上がる。
炎は、二人の影を包んで巨大な火柱を空に向けて吹き上げた。
「オプティカさま!」
ザンガに抱えられたままメルカトラが絶叫する。
と、火柱が動いた。
凄まじい速さで地を走り、少女たちの前まで移動する。
止まると同時に火が消えた。
後にはアキオが立っていた。
オプティカを抱えている。
「火は……どうなったんだい」
アキオに抱かれたまま彼女が尋ねた。
「ナノ・マシンで消した」
火炎放射は、可燃性のガスとナパームのような粘性のある液体を攻撃対象に吹きつけて燃焼させるのが基本だ。
それにより対象物は燃え続ける。
しかし、彼らの場合は、コートと皮膚上のナノ・マシンが付着した燃料を即時分解するため、長く燃え続けることはできないのだ。
「ああ」
彼の焼け焦げた顔が見る間に復元し、元通り髪が生えるのをみてオプティカが声を上げる。
「やっぱりすごいねぇ、ナノクラフトは」
「君は大丈夫か」
「これくらい、なんでもないさ」
その言葉とほぼ同時に、アキオの腕の中で微速度撮影の映像を見るように――ぱっと桜色の花が咲くようにオプティカの髪が再生した。
顔も元通りになる。
「さあ、あいつらから離れるんだ」
自身の変化に気づいていないオプティカの号令で全員が走り出した。
何度か浴びせられる火炎を避けながら、工場向かいの建物の陰に隠れる。
無事逃げおおせたのは、連続した火炎放射の影響か、怪物たちの動きは一時的に遅くなっていたからだ。
「オプティカさま」
少女が駆け寄ろうとして立ち止まった。
彼女の顔を見て硬直している。
ザンガとバーク少年も同様だ。
「どうしたんだい」
言ってから、彼女は自身の髪が美しい桜色に戻っていることに気づいた。
「アキオ!」
ぱっと顔を手で覆って彼を振り返った。
指の間から彼を見る。
「皮膚や髪は、緊急再生するとナノ・マシンの設定がリセットされて、しばらく変えることはできない」
そう答える彼の髪も漆黒で、目も黒に近い焦茶だ。
「困ったねぇ」
言いながら顔を片手で隠す彼女に小さな手が伸ばされた。
銀色の仮面が2つ握られている。
バークが、ザンガの部屋にあった仮面を差し出したのだ。
「姉さんが、どうしてそんなきれいな顔を隠したいのかわからないけど、見せたくないなら、これを使えばいい」
オプティカは仮面を手にすると素早く顔に着けた。
「ありがとう、バーク。助かったよ。でもそれはそれだ。前にもいったけど、もう一度いうよ、見たものはすぐに忘れな!」
笑顔でそう言って、アキオにもうひとつの仮面を渡す。
「お揃いだね」
笑顔でいうオプティカに、彼は無言で仮面をつけた。
彼女の仮面に手を触れ、ナノ・マシンで加工して仮面が取れないようにした。
自分のものもそうする。
そこへ、空中から何かが飛んできた。
アキオの近くの地面に突き刺さる。
コフだった。
蓋が開くと、中にはぎっしりと武器が詰まっている。
先頭開始時に、アキオがアーム・バンドで、シュテラ・サマスの荒野に停めた駒鳥号から、最近になってシジマが装備させた武器運搬用コフィンを呼び寄せたのだ。
彼は手を伸ばしてレイル・ライフルを掴んだ。
こいつならP336のように、腕で防がれることもないだろう。
ハンド・グレネードとその他の武器も装備する。
「あたしにも武器をおくれ」
目元と鼻を銀のマスクで隠してはいるものの、蕾のように美しい口許と綺麗な顎のラインを隠しきれないオプティカが腕を組んで言う。
アキオは少し考え、
「剣がいいか」
「いや、あたしの戦い方は強化魔法で、ぶん殴るやり方だからね」
うなずいて、彼女に籠手に似た銀色のグローブを渡した。
それほど大きいものではない。
大きめの冬用手袋程度だ。
「無反動手袋だ。殴った時の衝撃を高めてくれる」
「助かるよ、ありがとう」
オプティカが桜色の髪を揺らして礼を言った。
すぐに手にはめて、指を開け閉めして具合をみる。
「わたしにも武器をください」
アキオに近づいた少女が彼を見た。
「だが――」
「渡してやっとくれ」
オプティカに言われ、彼はコフの武器を見わたした。
彼女の動きを思い出し、ロング・ナノ・ナイフを取り出す。
「切れ味が今までのものと比べ物にならないから、気をつけろ」
メルカトラに渡した。
アーム・バンドを操作して、治療レベルと戦闘モードをオンにする。
「きみの筋力と反射速度はなかなかのものだ。いま、それを3倍程度に強化した。慣れないうちは制御が難しいから、始めは戦闘に参加せず身体を慣らすように心がけてくれ」
「分かりました」
少女は、意外に素直な返事を返す。
「では始めようかね」
アキオを見、彼がうなずくのを確認したオプティカが言う。
完全に戦闘態勢が整った、サータイア戦、第二幕のはじまりだ。