565.工場
「あんたたちは、ここにいるんだ」
一緒について来ようとするザンガとバークにオプティカが言った。
「なんでだよ」
少年が口を尖らせる。
「お嬢さまをお助けしたいんだ」
「いい加減な気持ちでついてきたら、死ぬよ」
「いい加減じゃないぜ、俺は、俺は……」
オプティカは、うつむく少年から眼を転じてザンガを見た。
大男は、いつのまにか部屋のどこかから取り出した剣を手にしている。
「その剣はなんだい。これからの戦いは、弱そうな人を脅して金をせしめるあんたには荷が重いと思うけどね」
彼女の言葉は針のように辛辣だ。
「それに、あたしたちについて来て、あんたにどんな得があるっていうんだい。そりゃあ、事が終わったら、お嬢さんが褒美をくれるかもしれないけど――」
「違う!」
ポンポンと調子よく言葉を浴びせられて、話が出来なかったザンガが反論する。
「何が違うんだい」
「褒美なんていらねぇ。俺は、俺は姉さんについて行きたいんだ」
「ハッ、あたしに蹴られて頭がおかしくなったのかい。こんな婆さんについてきてどうしようっていうのさ」
言ってから彼女は、ついさっき少女に老人に見えるように変装していると告げたことを思い出し、
「あたしは、頭のてっぺんから爪先まで旦那さまの物だからね、欲しがってもあんたの取り分はないよ」
昂然と胸を張った。
「姉さんはモノじゃない」
ザンガの反論に、彼女が良い笑顔を見せる。
「いうじゃないか」
「姉さんは王さまだ、もちろんヌースクアム王の王妃なのはわかっているが……それでも、分かっていても、俺には姉さん自身が女王さまに見える」
「意見が合うわね。わたしもそう思うわ」
足止めをされて、きつい表情を浮かべていたメルカトラが怒りを忘れて同意する。
「それに、俺には、姉さんたちと一緒に行かなきゃならない理由がある」
ザンガが厳かな口調になる。
「俺の本当の名はザングリフ。ザングリフ・フィン・キムバルク」
フィンは貴族のミドル・ネームだ。
「おっさん、貴族なのかい」
少年が声を上げ、
「キムバルク?」
少女が驚く。
「つまりあなたは――」
「俺の祖父はソルダ・フィン・キムバルク、この街の総務官だった」
少女が口を開こうとすると、再び建物が激しく揺れた。
メルカトラがアキオを見つめる。
「連れて行けばいいさ」
アキオが言った。
彼は、ザンガの態度に、かつてキィから聞いた英雄王ノランの姿を重ねていたのだ。
少女はふたりを振り返った。
「わかりました。死ぬ覚悟があるならついてきなさい」
そして彼女を見るオプティカに尋ねる。
「良いですか?」
「仕方ないねぇ」
「では、急ぎましょう」
下町は騒然としていた。
ザンガの部屋に向かう時は人目を避けて路地を早足で移動したが、偶にすれ違う人々は、祭の最終日らしく一様に足が地に着かないような、浮き浮きした気分を全身から発散していたのだった。
しかし、今は、そんな雰囲気は霧散して、不安と恐れが街を覆っている。
激しい揺れは収まっているが、突然始まった、本来あってはならない大地の震動と、今も下町のどこかから響いて来る獣の叫びのような音に、通りに出た人々の多くは、蒼くなって蹲っているのだ。
「急がないと」
その様子を見た少女が路地を走り出す。
拷問を受け、体力の弱った状態ですら、衛士が追いつけない脚力を保っていたメルカトラだ。
復調した彼女の走る速度は、普通の人間がついていけるものではない。
「いけるかい」
オプティカが遅れだした男と少年に声をかける。
「場所はわかりやす、どうか姉さんはお先に」
ザンガが叫んだ。
「ゆっくり来るんだよ」
そう言うと、大きなストライドで、アキオたちを追いかけ始めた。
道行く人は、背の高い老女が豊かな白髪を背後に流し、きれいな姿勢で街を駆け抜ける姿を見て目を丸くする。
アキオは、少女の後ろを走りながらアーム・バンドを確認した。
彼女の体内に入れたのは通常仕様のナノ・マシンだ。
当然ナノ強化もできるが、動きに慣れないまま強化が発動すると却って危険なので、今は強化機能は停止させている。
その上で、彼女の走る速度はヒトとして異常だった。
先祖代々、彼女の家系は体力に恵まれていたらしい。
あるいは、かつてジュノスが行った、何らかの実験の名残が少女の家系に残っているのかもしれない。
「着いたわ。ここよ」
少女の背後で立ち止まったアキオの眼が僅かに見開かれる。
驚いているのだ。
彼の目の前には、高い塀に囲まれて、石造りの下町の中に聳え立つ地球タイプの近代的な工場群が広がっていた。
昨夜の間に、シュテラの名所として、ひと通りオプティカから聞いてはいたが、まさかこれほどの規模のものとは思わなかった。
だが――彼は考える。
これで、そのメルドーメという女がどこから来たかは特定できた。
塀の向こうから、獣じみた咆哮が近づいて来る。
やがて、コンクリート製の塀が吹き飛んで中から巨大な影が現れた。
全身が黒い毛で覆われ、頭には光沢のある太い角が2本あり、顔は地球の牛に似ている。
かつてシヅネが見せてくれた物語のミノタウロスのイメージに酷似しているが、比率的に胴体が長めで、わき腹の辺りから腕が2対出ている。
つまり、蜘蛛型の牛人間という形状だ。
胴体だけをみれば、ガーディアン・ロボットが直立した形にも見える。
もちろん、彼は、悠長に立ったまま、怪物を観察していたわけではない。
ひと目でそういった特徴を見て取ると、即座に横っ飛びに移動したのだ。
数瞬前まで彼のいた場所を何かが通り過ぎ、石畳を吹き飛ばす。
アキオは、怪物のわき腹から出た腕の指先が彼に向けられるのを見た。
再び飛び退くと、再度、石畳が吹き飛ぶ。
あり得ないことに、怪物の指先からミサイルのようなものが発射されているのだ。
つまり、怪物は、機械化生物であるらしい。
飛び道具を持つ強化生物――
容易ならざる敵だった。
さらに、怪物の破壊した塀から、同じ姿のヒトサイズの怪物が多数現れるのを見て、アキオの口角が吊り上がった。
戦闘の時間の始まりだ。