563.肯定
オプティカが少女を連れて入った寝室は、意外に清潔に保たれていた。
独り暮らしの無法者の部屋とは思えない。
もしかしたら、昔は身分のある男だったのかもしれない、そう思いながら彼女は少女の手を離した。
アキオのコートを脱がせる。
毛布を身体に巻いたまま、茫然としている少女に声を掛けた。
「さあ、これに着替えるんだよ」
シジマの眼と髪色に合わせてデザインされた落ち着いた色彩の服――地球語でいう苔色と国防色を複雑に組み合わせたワンピースと、単色の下着を寝台に置く。
「なぜ、どうして?」
少女の眼から涙が溢れる。
「わたしの手が、指が、元通りになったのですか」
「眼も治ってるだろう。身体中の傷が消えて元通りだ。どうしてって、あたしの旦那さまが治すっていったからだよ、さ、おいで」
オプティカが少女を抱き寄せよせる。
メルカトラは彼女に抱き着こうとして躊躇する。
「どうしたんだい」
「もう何か月も湯浴みをしていません。きっと嫌な臭いがすると思います」
オプティカは、ああ、と笑顔になり、
「そんなことは気にしないよ。それに大丈夫なのさ、あんたは湯につかったばかりみたいに清潔できれいなんだよ」
「そんなはず――」
「ほんとだよ」
そういって、オプティカは少女が身体に巻いている垢じみた毛布に手を伸ばした。
「この毛布は汚れているだろう。でも、あんたの身体が当たっているところを見てごらん」
「あ」
メルカトラが声を上げる。
自分の身体が触れていたところを中心に、毛布の汚れが消えていたからだ。
オプティカは微笑み、
「これが、わたしの旦那さまがあんたに与えたナノクラフトの効果なんだよ」
そういって、彼女の体内に入った液体が、身体を治し体調を整え、その触れた衣服までを清潔にしたことを説明する。
ヌースクアムに暮らしていないオプティカが地球の知識および科学に詳しいのには理由がある。
ひとり、アキオと離れ街で暮らす彼女を案じて、シミュラが週に何日か、アキオと添寝のない夜に、シュテラ・ミルドに泊まりに来ていたからだ。
同じ寝台に並んで横たわりながら、彼女は黒紫色の髪の少女が語るアキオの昔話を、ひと晩中、飽きず聴き入るのだった。
もちろん、そんな時でも彼女の容姿は年老いたままだ。
「あんたの、そういう意地っ張りなところが好きさ」
そう言ってシミュラは笑い、話の合間に、地球の様々な科学知識をオプティカに教えたのだった。
「だから、さあ、おいで」
呼ばれてメルカトラは、毛布を脱ぎすて、全裸でオプティカに抱き着く。
女性としては大きな彼女にしっかり抱きしめられ、その温もりを感じて、少女は自分がいかに孤独で不安であったかを思い知った。
涙が止めどなく頬を伝う。
「よく頑張ったね」
オプティカは、事情を何も聞かず、ただそう言って彼女の髪を撫でてくれた。
それが嬉しくて、さらに少女は涙を流す。
しばらくして、メルカトラは泣きやんだ。
もう一度、オプティカにしっかり抱き着くと身体を離す。
「ありがとうございました。もう大丈夫です。落ち着きました」
「そうかい」
オプティカは、彼女に寝台の上の服を指し示した。
「下履きは小さいように見えるけど履けば伸びるからね。服は着たら勝手に身体に合うように大きさが変わるはずだ」
彼女は、自身、駒鳥号で初めて着たナノ素材の服の説明をする。
言われた通り、メルカトラが身に着けると、服は生き物のように伸縮を繰り返し、彼女にぴったりのサイズになった。
「いいね。最後にこれだ」
オプティカは、筒状になった布を少女に渡す。
「これは、そうは見えないだろうが、長靴なんだ、履いてごらん」
少女が足を通すと、柔らかかった布が、たちまち一般的な膝上までの長靴に変わった。
素材まで皮革に似たものになっている。
「どうだい」
少女は身体を曲げて自分の服を見、再生された手の指を広げて曲げ伸ばしする。
真剣な顔で彼女を見た。
「オプティカさま。こんな事がおできになるあなたさまはいったい――」
「それは向こうで話そう。いいかい」
「はい」
扉を開けてアキオたちの部屋に戻ると、ザンガが逃げるバークを捕まえようとしていた。
少年は、頭に銀色の仮面をふたつ斜めに乗せている。
「いったい何をしてるんだい、あんたたち」
オブティカが呆れたような声を出した。
「年甲斐もなく、おっさんが祈念祭の仮面を集めているから、からかってたんだよ。見なよ姉さん」
そう言われてオプティカが、少年の示す先を見ると、壁一面に祈年祭で使う仮面が飾られていた。
光石祈年祭は、その最後にルクサ・メナムで輝く領主館前広場で仮面舞踏会が行われるのが通例なのだ。
「メルカトラさま、傷が治ったのですね、本当によかった」
少年が、少女を見て口調を変える。
「ええ。ありがとう、バーク、そしてザンガも」
彼女の言葉に、ふたりは追いかけあいを止め、同時に頭を下げた。
パン、とオプティカが手を叩いた。
「さあ、堅苦しいのはよしにして、みんなどこかに座っておくれ」
彼女に言われ、各々が椅子に腰かける。
オプティカがメルカトラを見た。
「あたしたちに経緯を話しておくれ。大丈夫、旦那さまに任せれば悪いようにはしないから」
彼女の言葉に、少女は居住まいを正した。
「はい、ですが、その前に――お二人は、どういう身分のお方なのですか?」
少女が真っすぐに聞いてくる。
だから、オプティカも真っすぐに答えた。
「この方は、ヌースクアム王国国王、アキオ・シュッツェ・ラミリス・モラミスさまだ。わたしはその妻のひとり、オプティカ」
「ヌースクアム王国?」
少女がつぶやき、アキオが答えた。
「4つの大国の王だけが知っている国だ」
その言葉を引き取ってオプティカが続ける。
「でも、どの国より強くて、事実上、4大国を統べる王国なんだよ」
「統べる、とは、支配するということですか」
「そうだけど、そうじゃないね。あたしの旦那さまは、そんなことに興味はないから。なんていったかね、そう、君臨すれど統治せず――ただ、しばらく前にエストラを除く3王国の連合軍に勝ったことは確かだよ。友達のエストラの元女王が言うんだから間違いない」