562.窮鳥
誤字脱字のご指摘ありがとうございます。
助かっています。
わたしは、目の前に立つ綺麗な顔の少女を見た。
彼女の眼は潰されてはおらず、頭も焼かれてはいない。
そして、如何なる魔法を使ったのか、本当にその少女はわたしそっくりだった。
何を思い、どう諭されたのか、偽物のメルカトラは、酷い状態のわたしを見ても無表情だった。
急激にわたしの中に怒りが沸き起こる。
なぜ、彼女はあんなに綺麗なのだ。
清潔な衣服を着て、健康そうなのだ。
だけど、同時にわたしは納得もしていた。
娘が突然いなくなれば、さすがに母を失って茫然自失の父も疑問に思うはずと期待していたのだが、これほど似た少女がわたしを演じているなら、それも望めないだろう。
普段なら当然気づいてくれたと思うが、今の父では無理だ。
なにより、あの魔女が気づかせない。
わたしの最後の希望は、光石祈年祭だった。
母が大好きだったこの祭りを、父が必ず開くことは分かっていた。
開催することで母が戻ってくるかもしれない、そう考えるほど父は夢想家なのだ。
そうであるならば、あの偽物のわたしがルクサ・メナムを取り出して父に渡さなければならない。
それができなければ、あの子が偽物であることが露見する。
もちろん、それは魔女たちも承知で、祭りが近づくにつれ、わたしに加えられる拷問は苛烈さを増していき、喉を潰され、身体中に焼きゴテを当てられた。
その度に丁寧に治療が施される。
そして、ついに手首を斬られ指を切り落とされたのだ。
殺せるものなら殺せばいい。
掌を無くし、指を無くし、剣士としてのわたしは死んだ。
だが、すでに、わたしは覚悟を決めている。
自ら命を断とうとは思わない。
少しでも隙があれば、それを衝いて脱出するつもりだ。
それが叶わなくとも、生きるだけ生きて事の顛末を見届けるのだ。
わたしは、自分の中に烈女と呼ばれた初代ウルカトラさまの血が流れているのを確かに感じていた。
そして、待ち望んでいた祭りが始まった。
だけど、あの魔女は、さらなる絶望をわたしに突きつけたのだった。
祭りの最終日、しばらく姿を見せなかったメルドーメが現われて言った。
「今まで、ごくろうさま。ついにあなたが待っていた光石祈年祭の最終日になったわね。今日の夜には伯爵さまにルクサ・メナムを渡さなければならない、だけど偽物のあの子にそれはできない。そこからわたしの計画が破綻する、なんて期待をして、そんな身体になっても我慢したのでしょう」
彼女は嫌な声で笑った。
「でも無駄よ。あなたはこれから死ぬの。実は、しばらく前に別な手段で巨大なマキュラ・パックを手に入れていたのよ。ただ、あなたの頑張りが可愛くて黙っていたの」
メルドーメの言葉に、わたしは絶望で目の前が暗くなった。
すでに、この女の目的は達せられていたのだ。
だが、だとすると――
「この、街を、ど、うするの?」
わたしは潰された喉から声を絞り出した。
突然、祭りが中止されれば騒ぎになるだろう。
なにより、メルドーメの笑顔が不気味だった。
「え、なに?よく聞こえないわ。そういえば少し前に意思疎通できる程度に喉を潰させたわね。あんまり生意気なことをいうものだから――街?そうねぇ」
彼女は全裸に汚い毛布を巻きつけるわたしを見下ろし、
「もちろん破壊するわ。どうせ夜になってルクサ・メナムがでてこなければ伯爵が騒ぎ出すだろうし、街ごと消してしまえば、あとくされがないものね」
「それ、は、ゆる、さない」
「はいはい、そうでしょうね。でも、あなたに許してもらう必要はないの。最後に、あなたに街の景色を見せて殺してあげるわ。今日は気持ちのいい天気だから、きっとあなたも死にやすいでしょう」
そういって、拷問官の男たちに、わたしを屋上に連れて行って殺すように命じた。
「わたしは、アレの準備があるから、ここでお別れよ。あなたのことは、最初に見た時から嫌いだったけど我慢強さと意思の強さは認めてあげる。じゃあね」
上半身を縄で括られて、引き立てられたわたしは何回も折り返す長い階段を上がっていった。
最上階の扉を開けて外に出る。
「あ」
数か月ぶりの陽光が、残された眼に突き刺さった。
そのあまりの強さによろめく。
男たちは容赦なくわたしを突き飛ばした。
屋上の縁へ向かわせる。
わたしはさりげなく辺りを見回した。
こまごまとした建物が眼に入る。
どうやらここは下町らしい。
登った階段の長さから考えて、かなり高い建物のようだ。
ああ、とわたしは気づいた。
メルドーメが作った工場の地下にわたしは閉じ込められていたのだ。
夜、拷問の痛みに耐えかねて寝ずにいると、必ず上から低い響きが聞こえてきたのは、そこで行われる作業音だったのだろう。
「止まれ」
男に命じられて、手すりのない屋上の縁で立ち止まる。
「街を見せてから殺せとのお達しだ、周りを見ろ」
言われて、わたしは陽光に輝く街を見た。
わたしと母の街だ。
このままでは、夜を待たずに、あの怪物によって街は破壊され、わたしの民は殺されてしまうだろう。
何とかしたい。
だけど、どうにもならない。
このまま、男たちは背後からわたしを斬り捨てるつもりだろう。
わたしは空を見上げた。
小さな影が視界を横切る。
放鳥された鳥だろうか。
ああ、そういえば、今日、光石祈年祭の最終日は鳥の日でもあった。
かつて、初代ウルカトラさまが、絶対絶命のところを鳥によって助けられたことから始まった鳥の日。
わたしは、背後で、男が剣を振りかぶる気配を感じながら思う。
鳥よ、願わくばわが命を――
「がっ」
背後で奇妙な叫びが聞こえた。
振り返ると、刀を振りかぶった男が倒れるのが見えた。
剣が床に転がる。
何かが男の胸に当たっていた。
鳥だ。
巨大なスエイナ鳥が、男にぶつかっていたのだ。
考えるまもなく、わたしの身体は動いていた。
腕は縛られているが、足は自由だ。
わたしは、仲間から鳥を引き離そうとする男に体当たりした。
男は屋上を飛び出し、叫び声をあげながら地上へ落下していく。
そのまま、わたしは剣へ向けて走った。
もちろん、今のわたしは剣を持つことなどできない。
それは、おそらく剣士としての反射的な行動だったのだろう。
剣に辿り着くのと、立ち上がった男が喚き声を上げながら、走り寄って来るのが同時だった。
わたしは咄嗟に、剣の柄を男に向けて蹴り飛ばした。
自慢ではないが、わたしの脚力は強い。
その力で蹴りだされた剣は、真っすぐに男の胸に吸い込まれた。
ゆっくりと男が倒れ、血を吐く。
生きながらえたことを実感するまで、わたしは荒い息を吐きながら、しばらく床に横になっていた。
しかし、ゆっくりもしていられなかった。
屋上から落ちた男の死体が、ここへ人を呼び寄せるだろう。
わたしは死んだ男の胸から苦労して剣を抜き、上半身の縄を切った。
剣を持っていくか迷うが、どうせ振ることができないから置いていく。
階段を駆け下りた。
たしか工場のは5階建てだったはず。
普通では考えられない高さだが、メルドーメは見たことのない素材を使って簡単に作ってしまったのだ。
身体は傷つけられているが、栄養が足りているため足は動く。
地上階まで降りると、広い建物内を通って外へ向かった。
工場で働く男たちは衛士ではないため、わたしの姿に驚くが邪魔はしない。
予想どおり、秘密裏にわたしを監禁していたメルドーメは表立って動くことはできないようだ。
建物の外に出ると、地上に落ちた男の周りに人が集まっていた。
それを横目に、わたしは出口へ向けて走り出す。
このまま外へ出ることができれば、衛士たちに見つかることなく街に身を隠すことができる。
屋敷に戻るのは危険だろう。
そう考えたわたしは、工場の門を出ると同時に遠くから駆け寄る衛士たちの姿を見て驚いた。
どうやって知ったのか、すでに衛士たちはわたしを捕縛するために動き始めていたのだ。
容疑は、男たちの殺害、だろう。
一瞬、彼らに真実を離そうかと考え――自分の手を見て諦める。
彼らに自分がメルカトラであることを信じさせる自信がない。
きれいな本物が屋敷にいるのだから。
心を決めて、わたしは衛士から逃げるように通路を走りだした。
路地を走り、通りを抜け、逃げ続けるが、少しずつ数を増やしてくる衛士たちを振り切ることができない。
やがて、わたしは目抜き通りに追い立てられた。
前後から迫りくる衛士を見て、袋小路なのは分かっていながら展望台に飛び込む。
そして――あの方に出会ったのだ。