560.書類
「何かが掴めそうです。それを確実なものにするため、シュテラ・サマスへ行って参ります」
出かける前、ソルダはわたしにそう言った。
「ちょうど、姫さまがシュテラ・ナマドへ向かわれますので、それに随伴する形で出かけるつもりです」
シュテラ・サマスはシュテラ・ナマドへの街道の途中に位置する街だ。
わたしは微笑んだ。
ソルダは、母のことを姫さまと呼び、わたしのことはお嬢さまと呼ぶ。
さすがに、普段はモルワイダさまあるいは御領主さまと呼ぶのだが、興が乗ったり逆に緊張すると、姫さまに戻ってしまうのだ。
おそらく、今は緊張しているのだろう。
「気をつけてくださいね」
わたしの言葉に彼は笑顔になった。
「鬼姫さまとの道中なのです。何事も起こるはずがありません」
しかし、ふたりの行方は分からなくなった。
護衛の衛士20人とともに――
すぐに父は、150人規模の捜索隊を派遣した。
だが、彼らが見つけてきたのは、シュテラ・サマスの手前に位置する峠の谷底に横たわる、ラメリ家の紋章のついた馬車の欠片だけだった。
遺体はひとりもみつからなかった。
母を失って、目に見えて父が生気を失くしていくのがわかった。
シュテラの政を、すべて総務官に任せ、自分は母と暮らしたふたりの部屋に閉じこもって出てこなくなった。
わたしが尋ねても会ってくれない。
髪と目の色が母を思い出させるから、ということらしい。
母とソルダを失くして、ひと月後、わたしの許へ1人の男が訪ねてきた。
領主館へやって来たのではない。
わたしが、毎年開催される剣技大会に出場した際に、控室へやって来たのだ。
試合前の集中をするために人払いをしていたため、部屋にはわたし一人だった。
そこへ、鍵がかかっているはずの扉を開けて男が入って来たのだ。
これといった特徴のない若い男だった。
何者、と問いかけるわたしに男は、ソルダさまの遣いです、とだけ答えて大きな包みを差し出した。
なぜ今になって、と問うと、姫さまと直接お会いできる機会をはかっていました、ご存知の理由で、領主館には推参できませんので、と苦い笑いを浮かべる。
あなたはソルダの――というわたしの言葉を遮って、縁故のものです、とのみ答えて、男は去っていった。
ソルダに子供はいない。
少なくとも知られている限りでは。
理解していたと思っていた男の見知らぬ面を知って、わたしは溜息をついた。
手渡された荷物を見る。
その分厚さから、試合前の少しの時間で目を通すことはできそうになかった。
わたしは窓を開け、人目のないことを確認すると、封筒を持ったまま窓の桟に飛びついた。
強い握力で窓枠を掴んで軽く回転し、屋根の上に立つ。
控室は一階建てで、屋上に人は出入りできないのだ。
剣花姫たるわたし以外は。
屋根の上に封筒を置くと、急いで部屋に戻って廊下に出た。
闘技場に向かう。
試合は――もちろんわたしが優勝した。
その後、わたしは布につつんだ封筒を小脇に抱えて、ラメリ家の馬車に乗って屋敷に帰ってきた。
屋敷に戻ったところで、迎えてくれるのは召使たちだけで家族はいない。
独りきりの夕食のあと、わたしはすぐに自室へ籠って、十文字に荷物を縛る紐を切って中身を取り出した。
それは書類の束だった。
正式な書類の写しと、ソルダのものらしい覚書が混ざって入っている。
わたしは、それらに目を通し始めた。
一時間後――
よく調べたものだ。
わたしは溜息をついた。
ソルダは、総務官時代の子飼いの部下、おそらくは表に出ない類の配下を使ってメルドーメを調査していた。
初めのうち、調べる限りで新総務官の素行、仕事ぶりは完璧だった。
この手の仕事にありがちな、賄賂がかった金品、接待もきっぱりと拒絶して、逆に摘発をしている。
配下の手書きの文には、あからさまに、わたしの思い過ごしではないか、という問い合わせすらあった。
だが、ソルダはその返信として――資料にはその複製も残してあった――お嬢さまは天才であり、その直感は信頼するに足るものだ、と書いていた。
わたしの胸が熱くなる。
確かに、わたしにはそういった面があり、幼いころからそれを知るソルダはそれを信じてくれていたのだろう。
そうでなければ、街の権力が集中する総務官の極秘調査などしない。
わたしが疑問を口にした時、彼自身は、それほど疑っていないようだった。
直感、と書いたが、実際はそのようなものではない。
見聞きしたものを自分の気づかないうちに組み合わせ、精査し、判断しているのだ。
その道筋を飛ばして結論をだしてしまうから、直観というあやふやな表現になってしまうのだ。
メルドーメを怪しいと思ったのはなぜだろう。
良い条件の街から辺境にやってきたこと、彼女の父さまを見る眼つき、人の目を計算しつくしたような身体の動き、わたしに対する警戒感、改めて考えるとそういったものがわたしに警鐘を鳴らしているのだ。
おそらく、彼女は早熟な天才というわたしの噂を聞いていたのだろう。
だから、わたしを警戒したのだ。
資料の雰囲気が変わったのは、半ば過ぎからだった。
きっかけは、あからさまに彼女が金属を集め出したことだった。
さらに、街北東部、下町の鍛冶場地域に新規産業計画として、工場という聞きなれない建物を作っていた。
もともと、彼女が担当していた下町に作っていたものを拡張したものだ。
新しく性能のよい刃物産業の研究をする場所らしい。
それらはすべて適法ではあるが、それまでの彼女の行動からすれば、何か急ぎ過ぎているように見え違和感がある。
ソルダもそう考えたようで、それ以降は、調査対象を工場に限定したようだった。
彼女はまた、メナム石も集め始めていた。
わがシュテラ・エミドをアラント大陸で有名にしているのは鬼姫とメナム石だ。
母はともかくとして、メナム石については、明確な理由がある。
本来、極北に点在するはずのメナム石が、シュテラの谷底にある洞穴から大量に産出されるのだ。
その中で、特に純度が高く大きいものはラメリ家の家宝として領主館の地下室に保管されている。
それらの巨大なメナム石はルクサ・メナムと呼ばれ、年に一度、多くの人々を集める光石祈年祭の最終日に公開されるのだった。
ソルダの配下は、多面的な調査から、メルドーメがルクサ・メナムを狙っているのではないか、と推測していた。
巨大光石の保管場所は秘密にされ、その鍵を開ける合言葉は母とわたししか知らない。
ソルダ自身は、祈年祭までには数カ月あるが、彼女はその時にルクサ・メナムを奪おうとするのではないか、と記している。
皮肉なことに、母とソルダの行方が分からない今、予定通り祈年祭が行われるかどうかはわからないが……
そして資料は、彼女の出自について疑問があるので、彼女が最初にこの国に現れたシュテラ・サマスへ自らが赴いて調査を行う、という言葉で終っていた。
わたしは書類から顔を上げ、開け放たれた窓から夜空を眺めた。
なぜ彼女は金属の工場を作ったのか。
なぜメナム石、特にルクサ・メナムを欲しがるのか。
そこまで考えて、はっと気づいた。
母の行方が分からない今、彼女が欲しがっているルクサ・メナムを取り出せるのは、わたしだけだ。
これまでの考えが正しければ、母とソルダの失踪には彼女が関わっている。
そして、すでにメルドーメは引き返せない方角に大きく動き始めていた。
強制的にルクサ・メナムを手に入れるために、いつ、わたしに彼女の手が伸びてもおかしくない。
それに――
わたしが彼女の立場なら、ソルダと怪しげな調査を続けているらしい娘を監視して、部外者と接触するのを待ち、一網打尽にする方法をとるだろう。
つまり、今がその時だ。
危険だった。
だが、どうすればいいのだろう。
母の失踪で魂が抜けたようになった父はあてにならない。
とにかく身を隠さなければ!
わたしは立ち上がった。
机から、両親から貰った宝石のブレスレットを取り出して身に着ける。
うまく売れば当座の行動資金程度にはなるだろう。
どうやるかは、あとで考えればいい。
方法はあるはずだ。
わたしは、クローゼットから、街に潜むための夜風を防ぐ外套を取り出した。
扉を開け、廊下を走りだそうとしたわたしの背後から声がかかった。
「こんな遅くからお出かけですか、お嬢さま」
その声に、わたしは絶望という名の魔獣の爪に心臓をつかまれたような気持ちになって振り返る。
「しばらくお待ちいただけませんか、あなたさまとお話があるのです」
わたしのすぐ前に、黒褐色の髪、黄緑色の瞳の女が笑顔で立っていた。