556.叱咤
振り向いたアキオの前に、毛布を体に巻きつけた少女と手をつないだオプティカが立った。
「襲われないかい」
男たちに背を向ける彼に尋ねる。
「大丈夫だ」
感情をこめずに彼が言う。
「手足を折って行動不能にした」
アキオは大股にふたりに近づいて、槍の柄をオプティカに渡すと少女の傍らに膝をついた。
「名前は」
少女は、片方の目で彼を見つめ、
「メル……カトラ」
掠れた声で答えた。
彼の目が、彼女の頭の傷、焼かれた眼、切り取られた耳朶を見る。
拷問以外には考えられない傷だ。
少女メルカトラは、単なる嗜虐趣味か、あるいは何かを聞き出す目的で身体を痛めつけられていた。
その理由はわからないが、今の段階で分かることがひとつある。
彼女の残った眼は、まだ光を失っていないということだ。
アキオ自身、任務の途中で敵に捕まり、幾度となく手ひどい拷問を受けてきた。
同じく捕まった仲間たちが、身体を壊される度に、徐々に眼から光を失っていくのも見てきた。
だが、稀に最後まで心の折れない者がいる――
「身体を治して欲しいか」
彼は尋ねた。
まるでスルツを食べたいか、というような言い方だった。
「それ、は……無理」
彼女は毛布の間から、手首から先の無い左手を出して見せる。
「うう」
彼女の横で膝をついている少年が呻くような声を上げた。
「メルカトルさまは、剣花姫と呼ばれた剣の天才だ。俺は、何度も剣技大会で姫さまの姿を見たことがある」
「そうだろうな」
アキオは、さきに彼女が見せた素晴らしい動きを思い出して言う。
「そ、れも、もう終わり」
少女は、今度は右手を見せる。
「剣を……握、る指、も、落、とされた」
そこには、親指と人差し指、小指が無かった。
これでは剣を振ることはできない。
少女の瞳から、涙がひと筋、零れ落ちた。
そんな様子に構わず彼が尋ねる。
「君は魔法使か」
「姫さまは剣士だ。魔法なんか使わない」
少年が叫んだ。
「黙るんだ、バーク」
オプティカの叱責で少年が口を閉じる。
「君は魔法使か」
彼の質問に少女が首を振った。
「もう一度聞く。身体を治したいか」
「無駄、なこ、と。無理」
「デルかグゥでいえ」
アキオがサンクトレイカ語で問い、少女は残った片目で、きっとアキオの顔を睨みつけた。
その眼は鬼火が宿ったように光りながら揺れている。
「デル、デル、デル」
メルカトラが叫び、
「治したい!元通り剣をふれるようになりたい!」
ひと息に言って激しく咳きこんだ。
ふらついて倒れそうになる。
「了解した」
アキオは、片手で少女を捕まえ抱き上げた。
もう片方の手でポーチから取り出したアンプルの首をへし折り、彼女の口の両側を押さえて開けさせると喉の奥に中身を注ぎ込んだ。
どういう工夫か、少女は咳き込むことなく液体全てを嚥下する。
「い、いま、の――」
驚きつぶやく少女の言葉が途切れ、
「あ、あぁ」
激しく声を上げ始めた。
体内に入ったナノ・マシンがただちに活動を開始したのだ。
いま彼女の身体は、手首の切断面が、失くしたゆびの付け根が、焼かれた目が、温かく、むず痒くなってきているはずだ。
アキオの与えたナノ・マシンは、グレイ・グーのように機能制限されたマシンではない。
身体の健康な部分を機能不全を起こさない程度に分解して材料に変え、欠損部位を治す完全な医療機械だ。
彼は、手探りでポーチからボトルを取り出し、その底を押して発熱させると少女の口に当てた。
「慌てずに飲め」
ゆっくりと中身を流し込む。
コクコクとメルカトラが喉を鳴らした。
次いでアキオは、少女を下に降ろすとコートを脱いで彼女を包んだ。
隠しボタンを押して発熱させる。
「もう少し待て」
そう言うと再びコートごと少女を抱き上げた。
オプティカを見る。
彼の視線を受けて、彼女は石畳に転がって悲鳴や呻き声を上げる衛士たちを見回した。
大きく溜息を吐く。
「ちょっと待っとくれ」
そう言うと、ゆっくりと首を振りながら、衛士たちに向け一歩近づいて石畳に槍の石突を打ちつけた。
ナノ強化された腕力で突き立てられた棒は、石畳に罅を入れて激しい音を上げる。
男たちは、驚いて呻き声を止めた。
「あんたたちにいっておく」
例によって、彼女のよく通る声は広場中に響き渡る。
「さっき、この子を殺そうとしたね。捕まえるんじゃなく」
彼女は言葉を切り、
「武器を持たず、反撃もしない子供を一方的に追いまわして殺すのが衛士なのかい」
長身をまっすぐ伸ばして言い放つ。
「あんたたちは衛士、上からの命令に従い、それを守るのは当たりまえだ。だけど間違っちゃいけないよ。あんたたちが守るのは命令じゃない。臣民の命だ。命令は民の命を守るためにこそ発せられるべきだ。そうでないなら衛士の誇りを持って命令を拒絶しな」
男たちを見回して、
「おまけになんだい、手足の2、3本折られたぐらいで寝転がったまま喚き散らしたりして。衛士の襟章が泣くよ。誇り高きサンクトレイカの兵なら、心臓を掴みだされても仲間を助けるために立ち上がりな!」
オプティカは再び石突で床を突いた。
「い、いや、姉さん。いくらなんでも心臓が無くなったら立てないよ」
思わず少年が茶々をいれる。
「たとえ話だよ、バーク」
そう言ってから、オプティカは恋人の視線に気づいて頬を染めた。
「あ、呆れてるんだろう、旦那さま。ただの酒場の女主人っていいながら、何度も王族を吹かすあたしに」
「いや」
アキオは深い目で彼女を見つめる。
「君は王だな。仕えるに足る」
さらに顔を赤くしたオプティカが叫ぶように言う。
「か、からかうんじゃないよ」
「本当だ」
答えながらアキオは考える。
改めて考えると、兵士だった頃の雇い主で仕えるに値する者はほとんどいなかった。
もっとも、それは今だから思うことで、当時の彼は命令に従うだけの戦闘機械であったから、雇い主のことなど考えたこともなかったのだ。
アキオはオプティカの桜色の頬を見た。
彼女は王族風を吹かしたいのではない。
例えるなら、軍を離れた分隊長が分隊の堕落ぶりを、あるいはかつて所属した隊の下士官の下劣な行いを見て腹を立てるようなものだろう。
「行こう」
打って変わったように兵士たちが仲間の身体を気づかい、唸りながらも鞘を添え木にした応急処置を始めるのを見ながらアキオが言った。
「あいつはどうするんだい」
バークが、眼を閉じたまま壁際に寝そべる男を指さした。
「仕方がないねぇ」
このまま放置すると、衛士襲撃の仲間として処罰されてしまうだろう。
そう考えたオプティカは、足早に男に近づくと脇腹を足で小突いた。
「なに寝たふりしてるんだい。さっき目を開けてただろう。立ちな、もう動けるはずさ。このままじゃ、あんたも牢獄行きだろ。ズラかるよ」
「へ、へい」
嘘のようにパッチリと眼を開けた男が、さっと立ち上がった。
先に歩くオプティカの後を、いそいそとついていく。
「ズらかるって――姉さんってどういう人なの」
先ほどまでの、人の上に立つ貴族然とした態度と、今の妙に小悪党っぽい口調の落差にバーク少年が呆れたように言う。
「彼女は――彼女だ」
通りへ向けて歩きながらアキオが言う。
視線を感じて目を向けると、発熱したコートにくるまれて、少女が両の眼から涙を溢れさせていた。