554.騒乱
「でも、なんであいつはあたしたちに因縁をつけてきたんだろうねぇ」
アキオの許に弾むような足取りで戻ってきたオプティカが首を傾げる。
「ああ、それはきっと、さっき旦那さんが金を払う時に見せた袋のせいですよ」
少年が彼女の言葉を聞きつけて教えてくれた。
「ああ、あれを見られてたのかい」
彼女が納得する。
アキオが無造作に取り出した袋の中には、金貨を含む、高額貨幣が溢れていた。
おそらく、ヌースクアムの奥方たちが彼に渡したものだろう。
あの男は、老夫婦が分不相応な金を持っているのを見て、さらに衛士の姿が見当たらないことで、不埒なことを思いついたのだ。
「それで、あいつはどうしたものかね」
オプティカが、展望台の端まで吹っ飛んで動かなくなっている男を見る。
「あそこなら邪魔にならないし、放っておけばいいんじゃないかな。おれはずっとここにいるから、衛士がきたら連れてってもらうよ」
「そういえば、この街は、いつもこんなに衛士がいないのかい」
「いや、いつもは嫌になるほと街の中を歩きまわって、役人風を吹かして回ってるよ。今日に限って姿が見えないね」
「祭りだってのに不思議だねぇ」
「ああ、そういえば、最近、下町の子供がいなくなるって噂があったけど、やっとそっちに人を回してくれたのかもね。まあ、そのうちやってくるだろうから、俺が話をしておくよ」
「あたしたちも、街を回って衛士を見つけたらここに来るようにいうよ。あいつは、しばらく動かないと思うけど、もし立ち上がったら近づくんじゃないよ。棒か何かでつついて転ばせるんだ」
彼女の冗談に、ぷっと少年が吹きだす。
「まるで魔獣扱いだ。わかったよ」
「じゃあ、迷惑をかけるね……」
オプティカのもの問いたげなようすに少年が答える。
「俺の名はバークリィっていうんだ。みんなはバークって呼ぶけどね。オプティカ姉さん」
彼女の名前はアキオとのやりとりで知ったのだろう。
「じゃあ、たのんだよ、バーク、暴れて悪かったね」
「いや、あんな奴がここにいたら、それこそみんなに迷惑がかかるし、客足が遠のいてしまうからね。あれで良かったんだよ。でも、姉さん、強いんだね。それに、なんていうか――若いね、いろいろと」
彼女の身体は17歳だ。
それを見て、彼も疑問を持ったのだろう。
「あんた、また何か思い出してるんじゃないだろうね」
「とと、とんでもない」
少年が手を振る。
「それならいいんだ。見ていいのは旦那さまだけだからね。さあ、あんたは商売に戻るんだ」
「そうしたいんだけど、客がいないんだよ、姉さん」
彼の言葉でオプティカはあらためて閑散とした展望台に気づいた。
騒ぎのせいか、人影が消えている。
「それじゃあ、騒動の元のあたしたちは去るかね。すぐに人通りは戻るさ」
オプティカがアキオに近づいた。
彼を見る。
「それで、どうだった?」
「楽しそうだ」
彼は正直な感想を述べる。
彼女とパークの言葉の応酬は、おそらく少年時代のシッケルと彼女のやりとりに近いものであっただろう。
「そ、そうだね。でも、あたしが尋ねたのは、あの蹴りのことだよ」
「ナノ強化をおこなわずに、あの威力を出せたら充分だ。よく練習している」
アキオは、じっと見つめる彼女の視線に気づいて続ける。
「美しかった」
見る間に彼女の頬が紅くなった。
「あ、ありがとう。練習した甲斐があったよ。実はあれだけじゃなく――」
オプティカの言葉は、突然、展望台になだれ込んできた多数の男たちの怒声によって止められた。
男たちは、その服装から衛士とわかる。
彼らの前を走る、小さくすばしこい影を追いかけて、ここまで来たようだ。
展望台は、目抜き通りから谷に向けて、横に突き出た形で作られている。
男たちに追われる、ボロ布に足が生えたようなその塊は、通りの領主館側から現れて展望台を迂回して、男たちをやり過ごそうとするが、街門側から現れた多数の衛士たちによって逃げ道を防がれ、徐々に谷側に追い詰められていく。
通りから展望台へ入る入り口は、男たちによって封鎖されているようだ。
「すばしこいねぇ」
オプティカが感心したように言うが、
「あっ」
すぐに驚いた声をあげた。
衛士たちが、手にした槍を次々に投げ出したからだ。
その勢いと正確さで、威嚇ではなく相手を殺してしまおうとしているのがわかる。
「あんたたち、やりすぎじゃないかい」
彼女が叫んだ。
ちょうどその時、走り回る逃亡者へ投げられた槍が、誤って展望台の端で寝転ぶ男へまともに突き立てられようとした。
「あぶない」
バークの声が広場に響く。
槍の穂先は、男の顔のすぐ手前で止まって震えていた。
アキオが右手で槍を掴んでいたのだ。
ほぼ同時に彼の左手が、毛布を頭から被ったような小さな塊を捕まえる。
逃亡者は、自分のために槍を受けようとした男を救うために駆け寄っていたのだ。
「とういうつもりだい」
ナノ強化して、バークを小脇に抱えたまま彼のとなりに駆けつけたオプティカが叫ぶ。
彼女の声は、大きくよく通り、凛として、その気になれば威圧感がある。
衛士たちの動きが一瞬止まった。
互いに顔を見合わていたが、ひとりの髭を生やした男が前に出て辺りを見回し、
「こいつら以外に見ているものはおらん。構わんから、全員やれ」
そう命令すると、それぞれに槍と剣を構えなおす。
「敵だな」
アキオが静かに尋ね、
「敵だよ、旦那さま」
オプティカが答えた。
それで、70人余りの衛士たちの運命が決まった。
アキオは、コートからアンプルを取り出して、背後のオプティカへ指で弾く。
「そいつに飲ませてくれ」
「あいよ」
とても元王女と思えない返事とともに、彼女はそれを掴んで男の口へ液体を流し込んだ。
すでに無法者は意識を取り戻していて、あやうく槍で死に仕掛けたことも理解しているようだった。
「じっとしていてくれ」
アキオは、左手で掴んだ逃亡者に優しく話しかけると、前を向いたまま背後に下ろして、オプティカとバークへ向けて押しやった。
槍の石突を石畳に当て、悠然と立って言う。
「来い」