552.共生
並んで歩き出した二人の頭上を、いくつもの影が飛び交う。
「珍しいね。放鳥たちが、放たれたあとも飛び去らずに、街の上を飛びまわるなんて」
空を見上げたオプティカがつぶやく。
「きっと、あんたを助けてくれるよ」
アキオがの目が鳥を追う。
少女たちが放鳥として使っていたのは、黄緑色の背と暗褐色の羽を持ち、目の周りが白い、地球のメジロに似た小鳥だ。
「あれは、アローナか」
アキオはカマラとミーナが集めた、この世界のデータ・ベースを思い出して言う。
「そうだよ。良く知ってるねぇ。この地域にしかいない鳥なのに」
「名前だけだ」
食用ではなかったため、生態までは詳しくは知らない。
「小さいけど利口な鳥だよ。大きなスエイナ鳥と組んで生活して、まるで従えているように見えるから別名は隊長鳥と呼ばれてるんだ」
組んで生活というのは、相利共生の関係にあるということだろう。
相利共生とは、地球におけるクマノミとイソギンチャク、カバとウシツツキのように異種生物が互いに利益を与えながら生活することだ。
「利口なのに、子供につかまるのか」
「言葉が足りなかったね。アローナは利口で愛情深い鳥なんだよ。専用の罠があってね。一羽捕まえて、そこに入れておいたら、仲間を助けるために次々に入ってくるんだ」
「そうか」
地球でも同様の狩猟方法がある。
「だから、子供たちでも捕まえることができるのさ。一羽を残して放鳥にして、もう一度アローナが集まったら違う一羽を残して放鳥にする。そうやって囮が弱らないようにするのがコツなんだよ」
歩きながらアキオはオプティカを見た。
彼女の言葉が、単に知識を話しているようには見えなかったからだ。
見下ろしてみたが、豊かな白髪の前髪に隠れて彼女の表情は見えない。
オプティカが、つと顔を上げて彼を見た。
「なんだい?」
言った後、すぐにふっと息を吐いて下を向く。
「殺されかけて、しばらく街に身を潜めた時にやったことがあるんだよ。放鳥をね。顔に泥を塗って」
「そうか」
命のやりとりをする戦場を渡り歩いた身として、観察は彼の得意とするところだ。
放鳥を行うふたりの少女たちを見る彼女の表情に、優しさと同時に哀しさが宿っていることには気づいていた。
それは過去の経験からくるものだろう。
アキオは、しばらく俯いて歩く彼女を見ていたが、
「あ」
彼女の頭に腕を回し、抱きしめた。
髪を撫でる。
「がんばったな」
「な、なんだよ。もう何十年も前のことさ。今じゃ、ただの思い出だ」
「そうか。だが、よくがんばった」
言いながら髪を撫で続ける。
感情の機微というものが、彼には今ひとつよくわからないが、おそらく王女として育ってきた彼女にとって、辻に立って放鳥をすることは容易ではなかっただろう。
当時の彼女は、辛さに耐えてよく生き抜いたのだ。
かつて、ミーナが少女たちをさして言ったことがある――
あの子たちは、それぞれに、たいへんな経験をして今に至っているわ。でも、みんな克己心が強いから、それを表に出そうとはしない。
苦労を、ただの記憶としてしまいこんで忘れたふりをしている。
でも、忘れたふりをしても、それは決して消えたりはしない。
だから、あなたには、彼女たちの苦労を、経験を知ったら褒めて欲しいの。
苦労したことではなく、苦労に負けなかったことを。
忘れないで、あの子たちにとってあなたは特別。
他の人には触れられたくないことも、あなたには知って認めてもらいたいと願っているから。
「ありがとう」
彼の手を頭から外してオプティカが腕に抱きつく。
「アキオ。なんだか胸のつかえが下りたよ」
彼の顔を見る。
「不思議だねぇ。放鳥をしていたことは誰にも言ったことがなかったんだ。今、初めて話した。そのせいかね、何十年もあったモヤモヤがすっきりと晴れたよ。あんたが知ってくれて、認めてくれて――褒めてくれたから」
そういって、オプティカは晴れ晴れとした笑顔を見せた。
それから、ふたりで目抜き通りの屋台をゆっくりと冷かして歩き、彼女が決めたバルトに入って昼飯にした。
オプティカは、彼にはよくわからない様々な食べ物を注文し、卓に届いた料理を分け合って食べる。
食事の後は、再び通りに出て歩き始めた。
この街に来た本来の目的は夜祭にある。
それまでは、のんびりと時間を潰すつもりだ。
このところ、研究室に閉じこもっていたため、いつもより太陽の光を眩しく感じながらアキオは通りを歩いている。
また、彼らの上を影が横切った。
「本当に今日は鳥の数が多いねぇ」
オプティカの言葉に彼が答える。
「あれが原因だろう」
アキオが目で示す先を見ると、通りの右手に、深く抉れた谷があり、そこへ向けて作られた展望台から、人々が鳥へ餌を投げていた。
山間に作られているシュテラ・エミドは、街のすぐ横が谷になっている。
「へえ、あんなものが出来てるんだ。前に来た時にはなかったね」
腕を組んだオプティカが、早足になって彼を連れて行くと、
「はい、銀髪のきれいなお姉さん。これをどうぞ」
走り寄って来た少年が、袋に入った鳥のエサを彼女へ差し出す。
「ものの本質を見抜く子は好きだよ」
お姉さんと呼ばれ、笑顔になった彼女がアキオに言った。
「ここは、いつもこんな感じなのかい」
「いいや、特別さ。今日は祈念祭の最終日だけど、鳥の日でもあるんだ」
「鳥の日?」
「袋に書いてあるから読んでみて」
そう言われて彼女を袋を受けとった。
アキオが代金を払う。
「へぇ、あたしの知らない間に、こんなものが始まってたんだねぇ」
袋には手書きでなにか書かれている。
物語のようだ。
「もっと詳しく知りたいなら、そこの看板を読んでね」
そう言って、少年は次の客を見つけて走っていく。
「そこの痩せてきれいなお姉さん……」
少年が、小太りの中年女性に声を掛けているのを見て、オプティカが目を丸くし、次いで吹き出した。
「まるで、フロストを見ているみたいだ」
「フロスト――シッケルか」
「あの子も、目端が利いて、あんなふうに愛嬌があった」
オプティカは、遠くを見る目をして言う。
「あたしにとっては、子供みたいなもんさ」
「そのシッケルにも子供ができたな」
アキオが言った。
「そう、あんたのお蔭さ。もうすぐ生まれるんだよ。まさか、この年になって孫を見ることになるなんて思いもしなかったけどね。そして――」
彼女はアキオの胸に抱き着く。
「あたしも子供が欲しい。あんたの子供が。それこそ、この年になって、そんなふうに思えるなんて考えられなかったけど」
アキオは、黙って彼女の頭を撫でた。
どう答えるか考えていると、
「なんだ。鳥の餌やりの真ん中で、イチャついている奴がいやがると思ったら、ジジイとババアじゃないか」
ふたりの背後から、野卑な声がかかる。