055.孤独
翌日、アキオの部屋から出てきた三人の少女は、眠そうにあくびした。
ユイノは両手を高く掲げて大きく口をあけ、ミストラとヴァイユは口を押える。
「眠そうですね」
すでにテーブルに座って、ピアノの入れた花茶を飲んでいるユスラが話しかけた。
先に起きたアキオは、車外で浴槽を解体している。
「ああ、そうなんだよ。なんせ昨夜はアキオが一晩中寝かさないもんだから」
「えっ」
とは、誰も言わない。
同じくテーブルにつくカマラとピアノは、ユイノたちを一瞥するだけで表情を変えず、ユスラはまったく意に介さずカップを口に運んでいる。
「なんで、あんたたちはそんなに無反応なんだい。ああ、ミストラとヴァイユならもっと良い反応をしてくれるだろうに、あたしは悲しいよ」
ユイノの後ろで二人の少女が顔を見合わせる。
「聞いてるわたしが悲しくなるわ」
嘆かわし気に、ミーナが言った……が、
「なんだって!」
車内に大きな声が響く。
昨夜、完成した長剣を渡されたキイが、素振りを終えて戻ってきたのだ。
「いやいや、アキオに限ってそんなことはあるはずがない……いや、でも主さまも男だ」
「ユイノ、早く説明して!」
ミーナに促されて今度はユイノが慌てる。
「あ、いや、違うんだよ、キイ。ほら、あたしたちって、アキオの気持ちとか状態の違いが色で見えるだろう」
「ああ、そうだね」
「それでね。昨夜アキオが寝てから、いろんなところを触って色を調べたんだよ。それでなかなか寝られなかったんだ」
「いろいろって、どこ?まさか……アキオの、主さまのいろいろ?」
キイが美貌の眼の色をくるくる変えながら自問する。
彼女の想像に思い至ってユイノがぼっと顔を赤らめた。
「ば、バカだねぇ、変なところじゃないよ。変なところじゃない、いろいろなところ」
「ユイノったら、そんな言い方だとよけいに変な想像をしてしまうじゃないの」
ミーナがコロコロと笑う。
「それでどうだったの」
「それがね――」
「触るところで色が変わることがわかったんです」
ミストラが叫ぶように言う。
「きれいでしたよ」
ヴァイユも続ける。
「で、どこか特別な場所ってあったの?」
ミーナが尋ねた。
初めのうちは興味なさそうだったカマラとピアノも、今や真剣な表情で三人娘を見つめている。
「あったよ、あった」
ユイノが言い、
「ええ、特別です」
「全然色が違いますからね」
ヴァイユとミストラもうなずく。
「どこです!」
カマラとピアノが同時に聞いて顔を見合わせた。
「それはね――」
ユイノはやっと自分の欲しかった反応を皆から引き出せて、にっこり笑いながら言う。
「三文字の場所」
「ユイノ!」
珍しくミーナが怖い声を出した。
「あれ、ひょっとして、ミーナも知りたいんだ」
「あーはいはい、認めます。わたくしミーナは是非その場所が知りたいです。だから早く教えて!」
「わかったよ。それはね、額だよ」
「ひたい?」
「そう、額、オデコ」
「寝ているアキオさまの額に手を乗せると、すごく穏やかで暖かい色になるんです」
「あれは、橙色、というより、お日様の色ですね」
「額とは変わっているね、ミーナ」
キイが呼び掛ける。
「――」
返事はない。
「ミーナ?」
「ミーナ」
「どうしたんだい?」
次々に少女たちに呼びかけられて、やっとミーナが答える。
「――アキオが初めて彼女と会ったとき」
皆がはっとする。
「アキオは体のほとんどを失くして雪原に倒れていたの。そこへ彼女がやってきて、声を掛けながら上から顔をのぞきこんで、彼の唯一生身だった部分に手を当てたのよ」
「それが額……」
「結局、また彼女なのですね」
カマラが、皆が聞いたことがないような冷たい声を出す。
「カマラ……」
ミーナが声をかけようとした時、扉からアキオが入ってきた。
「皆、起きたら飯にしよう」
それで、その話はそこまでとなった。
今日も良い天気だった。
緩やかな風に揺れる樹々が落とす木漏れ日が、馬車の戸口の階段で気持ちよさそうに踊っている。
少女たちはそれぞれ、その光を踏み、野外でとる朝食の準備に忙しく行き来していた。
「キイ」
アキオが椅子を運ぶ傭兵を呼ぶ。
少女が駆け寄ると、
「渡しておく」
そういって金色のリストバンドを取り出した。
「これは離れて話をする道具だね。ありがとう主さま」
キイが弾けるような笑顔を見せる。
「それとこれだ」
インナーフォンも渡す。
「これは?」
「耳に入れておくものだ、使い方はミーナに聞いてくれ」
「わかった」
少女はさっそくリストバントを手首に巻く。
食事を終えて、アキオたちが車外に出したテーブルと椅子を片付け始めた時、空にイカルに似た鳥の鳴き声が響いた。
「ガルです」
ヴァイユが叫んで腕を差し出す。
少女の腕にとまった連絡鳥をピアノがさっと掴まえ、通信筒を外してアキオに渡す。
そのままピアノは馬車にガルを連れていった。
アキオは、カプセルを開け通信文を取り出した。宛名を見る。
「キイ」
「はい、主さま」
近づく少女に文を差し出す。
「君宛てだ」
キイは、畳まれた紙を広げ内容に目を通した。
文から顔を上げて目を瞑る。
「どうした」
少女は黙って紙をアキオに渡した。
文の表にはキイの名前が書かれ、その横にエクハート家の名と花押らしき印が押されている。
アキオは手紙の内容を読んだ。
マクスが、窃盗の罪で今日の正午に収監される、とある。
「またエクハート家に問題だな。冤罪か」
キイに尋ねる。
「間違いなくそうさ」
「先の事件つながりだと思うか」
「あれは完全に根を絶ったから、別件だろうね」
「エクハートは恨みを受けやすい家なのか」
「いや、それはないね。この間の件は、当代エクハートの弟による跡目争いが発端の冤罪だったから」
「そいつらが――」
「いや、関係ないはずさ。全員死んだから」
波打つ金髪碧眼の美少女の口から告げられる事実に、場が静まり返る。
「あ、わたしが殺したんじゃないよ。処罰されたんだ」
「そうか」
アキオが言い、皆がほっとした顔になった。
「しかし、まずいね。冤罪はすぐに晴らせると思うけど……」
「どうした」
キイは、アキオを見た。
そのまま彼の袖を引いて馬車に向かおうとし――もう一度振り返って、二人を見つめる少女たちの顔を見渡す。
「そうだね」
キイはアキオの袖を離して言う。
「会ったばかりだけど、あんたたちは、わたしにとってもう家族同然だ。だから話すことにする」
「無理しなくていいよ」
ユイノが言い、皆がうなずく。
「いや、話すよ」
キイは皆に椅子に座るように促して、自分も座った。
「今の話でだいたい分かってくれたかもしれないけど、わたしの友だちが、今日の昼に牢屋に入ることになってしまったんだ」
「そうみたいだね」
「それで……主さま、あなたに、マクスと一緒に牢屋に入ってもらいたい」
「どういうことだ」
「シュテラ・ナマドの牢屋は、身分じゃなく、罪によって分かれてるんだ。窃盗・強盗は同じ牢で、乱暴者ばかりが収監されてる」
「そうか」
「そんなところへ、マクスを独りで置いておけないんだ。あの子の気がおかしくなる」
キイは、アキオの手にすがった。
「だが、男の俺は、マクスと同じ牢に入られないだろう」
「マクスは男だよ」
キイが驚いたように言う。
「気がつかなかったのかい」
アキオの脳裏に、小柄で美しい緑の髪のマクスの姿が浮かぶ。
「勘違いしていた」
声が少しハスキーだと思ったが、見た目の愛らしさから完全に少女だと思い込んでいたのだった。
「いや、主さま、すまない。その言い方では正確じゃないんだ。マクスは、あの子は、体は男だけど中身は女なんだよ」
「なるほど。それはまずいわね」
ミーナがいう。
「わかった」
アキオもうなずく。
「え、分かるのかい」
「よくあることね。わたしとアキオには、それ以上の説明は必要ないわ。つまり彼女を乱暴な犯罪者の群れの中に独りで置いておけないということね。だから、アキオに一緒に入ってもらいたい――」
「本当に、中身は貴族の女の子なんだ」
「わかるわ」
ミーナが言う。
だが、ふたり以外で話の内容を理解しているものは少ないようだ。
この世界でGIDはまだ広く認められていないのだろう。
「行こう」
アキオが立ち上がった。
「いいのかい?」
「戦闘兵器の俺は収容所にはなれている。拷問にもな」
それを聞いてキイが慌てた。
「いや、拷問はないし、エクハート卿がもう手を回しているだろうから、すぐに開放されると思う。それまでの間だけ一緒にいてやって欲しいんだ。わたしじゃ無理だから」
「ここにいる全員、無理だものね」
ミーナの言葉に全員がうつむく。
「いやだなぁ、そんなに暗くならないでよ。アキオに任せておけば大丈夫。伊達に、長い間、収容所で暮らしていないんだから」
ミーナの言葉に、少女たちが何ともいえない表情になった。
「計画は?」
アキオがキイに尋ねる。
「俺がシュテラ・ナマドへ行って、何か盗んで捕まればいいのか」
「いや、今回の件で、新しい知り合いも色々できたから、そいつに頼めばアキオをマクスと一緒の牢にいれることぐらいはできるはずさ。問題は、今から昼までに街まで行けるかだけど――」
「ミーナ、今の時刻は」
「08:23」
「ここからシュテラ・ナマドへ行く最短の方法を考えろ」
「もう計算したわ。ザルドで6時間、ナノ強化で走って4時間、飛んで2時間半」
「飛べば行けるな。用意しろ」
「了解」
「飛ぶのですか?」
ユスラが不思議そうに尋ね、
「ああ、あれですね」
カマラが納得し、
「海戦の時、お姫さまはご覧にならなかったのですね。きっと驚きますよ」
ピアノが微笑んだ。
ミーナが工作室で作業する間に、キイが文を書いた。
「これを、街のバルチヌ牢獄の南詰所にいる、ライズという男に渡せばうまくやってくれるはずだよ。今朝はそこのシフトのはずだから」
「いよいよとなったら、牢を破っていいのか」
「だめよ、アキオ。彼女は、まだエクハート家の人間として街で暮らしていくんだから」
「そうか」
「できたわよ」
アキオは馬車に入ってロケットを持ってくる。
ユスラ奪還の時に使ったサイクロップス・アイのカメラ部分がない形のものだ。
「ライフルは重いから置いていって」
「わかった」
武器は、P336と避雷器、新しく作ったナノ・ナイフのみ装備する。
「キイ。君は馬車でシュテラ・ナマドまで来てくれ」
「わかったよ」
「定時連絡はするから安心しろ」
「任せるよ」
「君たちとは、ここまでだな」
ユイノとヴァイユ、ミストラを見てアキオはいう。
「お気をつけて」
少女たちは、それぞれアキオに触れて挨拶した。
「では、行く」
アキオは馬車の近くの樹を蹴って、反対の樹の枝に飛び乗った。
次々とジャンプを繰り返し限界まで高く上り、頂上付近の枝の上に立つ。
ロケットを枝に突き刺し空を見た。
「何をしているのです」
ユスラの問いにミーナが答える。
「長く飛ぶように上空の風を読んでいるの」
「ああ――」
突然、ヴァイユが嗚咽をもらした。
「どうしたんだい」
ユイノが少女の肩を抱く。
「あの姿――」
言われて、全員がアキオを見上げる。
彼は今、高い樹の枝に立ち空を見上げていた。
黒いコートが風にたなびいて、樹のその部分だけが闇に沈むように見える。
「皆さまはどう感じられるかわかりませんが……」
ヴァイユは祈るような手つきで空を見上げ、続ける。
「わたしの心の中のあの方は、いつもああです。たった独りで高いところに立って、空を、星を見上げている。あの方の目は、わたしたちを見ていない。もっとずっと遠く高いところを見ている。あの方はいつも独りです。なぜなら、本当の意味で誰の助けも必要とされていないから。わたしたちの手は絶対にあの人には届か――」
「やめなさい」
ミーナが止める。
「アキオは、あなたたち全員の温もりを知っている。その暖かさでナノ・マシンを動かして体を治し、悪夢から逃れて安らかに眠っているわ」
「……」
「前にも言ったことがあるけど、彼のバイタル・サインは、独りで研究をしていたころとは比べようもないほどよくなっているの。それは、あなたたち全員のお陰。あなたたちの手は、温もりは、決して彼に届かないことはない」
ミーナがそう言った、ちょうどその時、アキオのコートが黒い穂先に見えるロケットが火を噴いて、枝の一部を焦がしつつ上昇を始めた。
黒槍は天を切り裂いて空高く上昇していく。
やがて空の一部になって見えなくなってしまった。
「行ってしまいましたね」
ヴァイユが穏やかに言う。
「あなたたち……」
少女たちの耳にミーナの声が響いた。
「車内に入って椅子に座って。話があるの」