549.席捲
「おれは陽が昇る前から、並んでここをとったんだ」
「そんなこと知るか、おれたちは、いつもここで店を出してるんだ。どけろ」
男たちは3人。
大男がひとりと、陰気な顔をした痩せて背の高い男そして中背の小太りの男だ。
それそれが、大きな荷物を抱えている。
「こんな雑草、誰も買わねぇよ」
大男が布に置かれた草を蹴った。
緑の吹雪のように草が舞う。
騒ぎを聞きつけて人の輪ができているが、誰もこの無体を止めようとはしない。
祭りの最終日ということで衛士も増員されているはずなのに、なぜか姿が見えない。
勢いよく前に出ようとするオプティカの腕を、アキオが掴んだ。
「まさか!止めるのかい」
驚いたように彼を見る。
アキオは、彼女を引き寄せると良い匂いのする頭を片手で抱いた。
背を屈めて耳元で囁く。
「さっきの釣りをくれ」
頬を染めて、一瞬、何か言いたそうにしたオプティカは急いでコートから硬貨を取り出した。
アキオは彼女を離し、釣りを受け取ると彼女のもう片方の手にあった木串を引き抜く。
「意地を張るんじゃねぇぜ」
なおも動こうとしない少年へ一歩踏み出した男は、彼の首を掴もうと手を伸ばし――
「うあ」
敷かれた布に足を取られたのか、いきなり後ろ向けに倒れた。
「ぎゃあ」
そのまま妙な声を上げて、横向きに転がる。
「あ、兄貴」
手下らしき男たちが慌てて駆け寄った。
「な、なんだこりゃあ」
男たちの一人が叫ぶ。
片脱ぎになってむき出しになっていた男の脇腹を木串が貫通していたのだ。
「い、痛ぇ、し、死ぬ」
「兄貴!」
「医者、早く医者につれていけぇ」
大声で叫ぶ男を、引きずるように手下ふたりが連れ去っていった。
その後ろ姿を見ながら、
「アキオ」
オプティカが、輝くような笑顔で愛しい男を見る。
周りの者は誰も気づいていないようだが、軽くナノ強化されている彼女には見えたのだ。
無法者が少年に掴みかかろうとするところへ、アキオが指で弾いた数枚の硬貨が男の両膝の裏を直撃して砕かせ、後ろ向きに倒したことを。
さらに彼は、倒れつつある男の脇腹に、手首の力だけで投げた木串を突き刺した。
その後、男は背後に転び、軽く刺さっただけの木串が地面に押されて男の腹を貫通したのだ。
一見、酷い怪我のように見えるが、封印の氷以降の大陸の者なら、串を抜いてじっとしていれば化膿せずに治癒するだろう。
アキオは、眼を丸くして運び去られていく男を見ていた少年の前に歩き、地面に落ちている硬貨を拾った。
少年が、布の上に散った薬草を集め終わるのを待って膝をつく。
「前に落ちていた。君のものだろう」
「え」
少年は、顔にはそれなりに皺が刻まれているが、まだ身体には張りの感じられる男に声を掛けられて一瞬身構えるが、すぐに笑顔になって答える。
「いいえ、それはおれのものではありません」
「そうかい、あたしには、さっきのチンピラが薬草を蹴った時に、いっしょに飛び散ったように見えたけどねぇ」
同じように男の横に膝をついた女が言う。
年はとっているが、豊かな白髪のを背に流した女だ。
「もとから、そんな大金は持ってないんです」
アキオは、少年の前に置かれた草を見る。
細い茎、小さな葉、その形は地球の血止草に似ている。
「それは薬草だな」
「ええ、クロゲラです」
「血を止める薬草だよ。葉と茎を良く洗ってから、すりつぶして傷口に塗るんだ」
オプティカが補足説明してくれる。
アキオはうなずいた。
名前こそ地球の鳥と同じだが、クロゲラは形が似ているだけでなく地球のチドメソウと似た効能らしい。
「その草、売れてるかい」
「しばらく前から怪我をしても血があまり出なくなって、ほとんど売れなくなってしまいました」
オプティカの問いに悔しそうに少年が俯く。
あらゆる人間にナノ・マシンが入ってしまっているのだ。
無理もない。
彼女がアキオを見た。
彼がなんとかしてくれると信じ切って、少女のように眼を輝かせている。
アキオは苦笑すると、少年の利発そうな顔を見、少し考えて止血帯がわりの――彼には必要ないが――ナノ万能布を取り出して地面に敷かれた布の上に置いた。
さりげなく辺りを見回す。
さっきまであった人垣はすでになく、彼らに注意する通行人もいないようだ。
彼は、アーム・バンドを操作し、万能布に画像を転写した。
布の上に3種類の草の写真が現われる。
「君の名前は」
「スタット」
「そうか、スタット。俺は――アルトだ」
そう言いながら布を手渡す。
「これが分かるか」
魔法のように浮かび上がった精細な絵に驚きながら、少年が答える。
「分かります。ゲドヒ草、メイヒ、バクス草」
「このあたりに生えているか」
「場所は少ないけれど一年中、生えています」
「この3種類の草を同量まぜてすりつぶし、その汁を煮詰めて適当な大きさに丸める」
「はい」
「そいつを飲めば身体が軽くなり、傷の治りが2倍になる。それを売れ」
「で、でもゲドヒ草とメイヒには毒があって、飲めば腹を下すんだ」
アキオはうなずき、
「そうだ。だが、その3種類を混ぜれば毒は消える」
「本当ですか」
横からオプティカが口をはさむ。
「本当さ。わたしの……だ、旦那さまのいうことに間違いはない」
なぜか女性は顔を赤らめ、続けて言う。
「まず、一回作って自分で試してみな。うまくいったら、次にそれをタダで配るんだ。はじめに、あんたが飲んで見せるんだよ。知らない薬は、みんな怖がるからね」
「わ、わかりました」
「ティカ」
アキオが硬貨を彼女に渡した。
彼の意図を察したオプティカが薬草を指さす。
「このクロゲラを全部おくれ」
「ほ、本当に?」
少年が飛び上がらんばかりに喜ぶ。
「ああ、その金でさっきの丸薬を作るんだ」
「は、はい」
スタットは、アキオの渡した袋にクロゲラ草を入れた。
オプティカはさっきの釣りをそのまま渡そうとしたが、頑として彼はそれを拒み、それ以上の代金はとらなかった。
「頑固だねぇ」
彼女は、好意的な微笑みを浮かべて金を払う。
「今日は、これからどうするんだい」
「さっそく草を集めて作ってみます」
商品が全部売れた少年は元気に答える。
「オプティカ」
男に呼ばれて女性が立ち上がった。
「がんばるんだよ、スタット」
二人の男女の後姿を見ながら、少年は夢を見ているような気持ちでいた。
だが、手には見たこともないほど精密な絵が書かれた布が残っている。
夢ではないのだ。
ふたりの言ったことは事実に違いない。
腰の袋には一日分の売り上げの金もある。
もし、騙されたとしても腹を下すだけだ。
試さないという手はなかった。
貴族の庶子として生まれ、不幸で数奇な人生を歩んできた彼だが、これで母を幸せにすることができるかもしれない。
いや、きっと幸せにできる。
そんな不思議な確信が少年にはあった。
地面に敷いた布を畳んだ彼は、周りの屋台の店主に挨拶をして通りを歩きだした。
歩を進めながら考える
売るためには丸薬の名前を考えないといけない。
何にしようか、と思いながらも、実はすでに彼の中で名前は決まっていた。
他の名前など考えられなかった。
それはさっきの人が呼んだ彼女の名前――オプティカだ。
ほどなく、西の国近くの辺境の街シュテラ・エミド発祥の万能薬オプティカが大陸を席捲することとなるのだった。