548.偕老
陽が登り、人の往来で通りが賑やかになり始める頃、二人の男女が街門の衛兵の前に立った。
共に灰色の服に身を包んで、荷物らしいものは何も持っていない。
「はい、通行文だ」
女が書類を2枚手渡す。
衛士は書類と彼女を交互に見た。
背が高く、背中まである豊かな白髪を波打たせた女は、年をとってはいるが、若いころはさぞ美しかっただろうという美貌の名残を見せながら笑顔を見せている。
「オプティカ・バラッド」
衛士が名前を読み上げる。
「そうだよ」
書類におかしな点はない。
「今日は祈念祭に来たんだ」
女の言葉にうなずくと、続いて衛士は二枚目の通行文を見ながら、女がその頬を胸につけて身を預けている男を見た。
灰色の髪、灰色の瞳をした無口な男だ。
顔に刻まれた皺から、女と同じくらいの年齢だと思われるが、体つきは若々しく衰えた感じはない。
「アルト・バラッド」
衛士が名前を読み上げると男がうなずく。
「夫婦か」
「そうだよ。このあいだ一緒になったばかりなんだ」
そう言って女は改めて男を抱きしめる。
「そ、そうか」
彼は、自分と眼の高さがほぼ同じ女が、年甲斐もなく全開で男に抱きつくのを見て圧倒されたようにつぶやいた。
衛士はふたりに申請が必要な荷物を持っているか尋ね、ふたりが、そろって横に首を振ると書類を返して道を開けた。
軍人らしくない笑顔で言う。
「シュテラ・エミドへようこそ。でも、残念でしたね」
「何がだい」
通り過ぎかけた彼女が足を止める。
「祭りの初日、つまり一昨日なんだが、うわさの豹人が来てたんだよ」
ちら、とオプティカがアキオを見る。
「へぇ、どんな子だった」
「俺は仕事で見られなかったんだが、可愛い女の子だったそうだ。耳と尻尾があるだけで、俺たちと何もかわらないらしい。挨拶のあと、一緒に来た人間の女の子と歌を歌ったり、演武をしたんだそうだ」
「そうかい」
「猫好きな俺の同僚は、すっかり虜になっちまって、今度、違う街の記念日に来るのに合わせて出かけるそうだよ」
「じゃあ、そのうち会えるかもしれないね」
「そうですね。では、祈念祭を楽しんでください」
「ありがとう」
オプティカは丁寧にお辞儀をすると、アキオの手を引いて歩き始めた。
「デルフィは頑張ってるようだね」
アキオはうなずく。
オプティカは、ナノ・ゴラン事件の際にデルフィとは顔見知りだ。
「豹人は知っているのか」
「シミュラさまから聞いたよ」
「そうか」
「さあ、街に入ろう」
オプティカはさらにアキオと密着し、腕を組んでアキオとともに大きな街門をくぐる。
「どうしたんだい」
彼女が振り返って門に目をやる彼を見上げる。
「街門から入るのは久しぶりだ」
一瞬、オプティカはあっけにとられ、
「じゃ、いつもはどうやって入るんだい」
「塀を飛び越える」
「なんだいそれは」
吹き出して、可愛い笑い声をあげる。
「あんたらしいよ」
彼女は空を見上げた。
雲のほとんどない綺麗な青空だ。
「晴れてよかったねぇ」
昨夜、ほとんど寝ないまま、ふたりはこの街に来ている。
オプティカが、彼を寝かさなかったのだ。
性的な意味ではなく。
問わず語りに、彼女はこれまでの人生をアキオに話した。
少しでも密着度を上げようと、腕と脚を絡め、頬と胸を彼の胸に押し当てながら。
その後、陽が登ると、ふたりでオプティカの作った朝食を食べ、月猫亭にタントーラへの伝言を残してシュテラ・エミドの街へ出てきたのだった。
お互い、一日の徹夜程度では何の影響も受けない。
「アキオ」
部屋を出ようとした時、以前に渡したナノ・コートに身を包んだオプティカが彼の袖を持って引き留めた。
「悪いんだけど、いつもの姿に戻らせてもらっていいかい」
「なぜだ」
「前にもいったろう。あんた以外にこの姿は見せたくないんだ」
輝く朝陽を浴び、若々しい表情で彼女は言った。
「申し訳ないけど、あんたは年寄りを連れて祭りにいくことになる」
「いいさ、俺はどうすればいい」
「どう、とは」
「君と同じぐらいの見かけにできる」
事も無げに彼が言った。
「え、そんな、悪いよ。でも、年寄りを連れた若い男よりいいかもしれないね。老夫婦ってことで、腕を組んだり、抱きついたりすることも……」
シミュラがいれば、老夫婦はあからさまにそんなことはせんだろう、と指摘するだろうが、ここに彼女はいない。
「じゃあ、お願いできるかね」
「わかった」
アキオがアーム・バンドを操作すると、ほどなく彼の見かけは年老いたものになった。
瞳の色も変えておく。
以前に、シジマに頼まれて子供に戻った時は、かなり時間を要したが、首から上を変えるだけなら時間もかからない。
そして、噴射杖を使って、シュテラ・ミルドの隣街であるこの街にやって来たのだ。
ふたりで目抜き通りを歩きだす。
通りの両側には、他の街と同じように露店が並び、早い店は、もう商売を始めていた。
食べ歩きのできる商品を売る店の主が、大きな声で、朝食がわりにいかが、と呼びかけている。
「アキオ、なんか食べないかい」
彼がうなずくと、オプティカは彼の腕を抱いて、ある屋台に向かった。
そこに、木串に刺した果物を売る店だった。
「スルツをひとつもらえるかい」
「はいよ」
オプティカが銅貨を出す。
店主は、つりと共に、木串に沢山の輪切りの果物を刺したものを彼女に渡す。
「スルツか」
アキオがつぶやく。
その名は昨夜の彼女の話に出てきた。
視察に出かけた先で襲われた少女時代のオプティカが、数日間荒野に身を潜めたあげく、通りかかった隊商に救われた際に食べさせてもらった食べ物がスルツだった。
「いろいろな果物を刺すんだけど、ここのはラルトを中心にしてるみたいだね、はいよ」
彼女は笑顔で彼の口元にスルツを近づけ、アキオは器用にそれを食べた。
「うん、いい喰いっぷりだ」
言いながら、オプティカは次のラルトを齧る。
乱暴な行為だが、その端々に上品さが漂うのはさすがだ。
たちまち、スルツは木串だけになった。
露店の主は、目の前で繰り広げられる白髪の老夫婦の親密ぶりに眼を丸くしている。
「ありがとう、アキオ。ずっと、こうするのが夢だったんだ」
オプティカが彼の手をとる。
「スルツを食べるのが、か」
「スルツを二人で食べるのが、だよ。まあ、あんたは他の――」
彼女の言葉は突然の罵声に遮られた。
スルツ売りの屋台のとなりの場所では、少年が、広げた布の上に薬草のようなものを積み上げて売っていた。
「だから、ここは俺たちの場所だといってるだろうが」
彼に向かって、服を片脱ぎして筋肉をみせている大男が怒鳴りつけている。
「店の場所は、早い者勝ちですから」
少年が、脚を震わせながら懸命に言い返す。
どうやら、出遅れた露天商が、良い場所をとろうと子供を脅しにかかっているらしい。