543.帰投
一人の少女が、机に座ってせわし気に端末を操作している。
時折、彼女の口が小さく動き、誰かと相談するように頭を振っている。
やがて、少女が机の上に浮かび上がったスクリーンに目を向けて、大きくうなずくと、
「とりあえず、ここまでにするわ」
これまでと違い、はっきりと声に出して言う。
「了解しました」
どこからともなく声が応え、スクリーンが消え去った。
少女は椅子に座ったまま大きく伸びをする。
形のよい顎に指をあてて少し考えたあと、凛とした声で命じた。
「お茶をいれてくれるかしら、ラートリ」
「銘柄は」
「任せるわ」
椅子から立ち上がり、壁一面に嵌った巨大なガラスの前に立つ。
整ってキリッとした横顔を僅かに緩めて、放心したように窓の外に広がる王都を眺めた。
部屋に心地よい鳥の音が響く。
彼女がドア・チャイムに指定した音色だ。
「どうぞ」
返事をすると同時に、空気の摩擦音がして扉が開き、茶色の目をした男が入って来る。
「ルイス!」
少女は破顔一笑して叫ぶと、男に駆け寄った。
かなりの勢いで抱き着く。
「女王さまが、そんな軽々しい振る舞いをしたら駄目なんじゃないかい」
「……」
彼の胸に顔を押し当てたまま、くぐもった声を出す彼女の言葉は理解不能だ。
「なんだって?」
ルイスが尋ね、顔を離して彼を見上げながら少女が答える。
「久しぶりに戻ってきた恋人に抱き着くこともできないのなら、女王なんて辞めるわ」
「それはニューメアにとって大損失だな。良いだろうハルカ、思い切り抱き着きなさい」
にこやかに笑うルイスの顔を見て、ぱっとクルアハルカが彼から離れる。
ぷい、と顔を背けながら言う。
「もう、年上だからってあまり子供扱いしないで」
「分かった、分かった」
そう言いながら、ルイスは窓際の長椅子に腰を下ろした。
少女を見つめながらポンポンと自分の隣を叩く。
クルアハルカはしばらくそれを見つめていたが、足早に椅子に近づくと彼の隣に座った。
そのまま身体を横に倒して彼の足を枕にする。
「無事に帰ってくれてよかった」
囁くように言った。
「アルメデさまから連絡を受けていただろう」
「そうなのだけど、アドハードはわたしにとっては敵地だもの。代理として出向いたあなたの身が心配だった」
「だからヌースクアム王を呼んだのかい」
「いえ――ええ、そうです」
常に明快な言動を心がけている彼女には珍しく言葉を濁す。
確かに、ドミニス一族から要請はあったものの、本当のところは、この機会にアルメデさまをヌースクアム王とふたりきりにさせて欲しいという、キィの頼みが大きかったのだった。
もちろん、それでルイスの帰還が速くなることも考えていた。
長椅子の前に置かれたテーブルの下からティーカップが2客せり上がり、湯気を上げる。
「心配無用だといっただろう。アドハードは、僕にとっては生まれ故郷さ」
カップに手を伸ばしながらルイスが言った。
ひと口飲んで、そのうまさに口許をほころばせる。
「でも、タルド山が噴火したのでしょう」
「ああ」
ルイスは空いた手で彼女の髪を撫でた。
「ものすごい光景だったよ。一生の間に見ることができるかどうか、というほどのね。でも、それより凄かったのはヌースクアム王が噴火を抑え込んだことだ。君にも見せたかった。あの噴火口の上に生えた巨大な幻の樹を」
「記録映像では見たわ――でも、そうね。実物をあなたと一緒に見たかった」
「それは……どうかな。君には、あんな危険な場所にいってほしくはないからね」
ばっと少女が身体を起こした。
「やっぱり危険だったのね」
「い、いや、被害報告は受けているだろう。死者はゼロだ。怪我人も大したことはなかった。ただ一歩間違えれば――」
「やっぱり危なかったんじゃない。あなた自身の口から話を聞かせて」
畳みかけるように言う少女の頭を抑えて、再び寝かせる。
やれやれ、とルイスは小さく溜息をついた。
本当のところは、ヌースクアム王がいなければ、大災害となっていたに違いない事件だ。
なるべくなら、被害状況だけをみて安堵して欲しいと思うのだが、いまのハルカの顔を見る限り、それで許してはくれないだろう。
彼が口を開こうとしたその時――
高周波の騒音が遠くから近づいてきた。
接近とともにドップラー効果でさらに甲高い音に代わり、唐突に重低音が響いて静かになった。
「あれは――」
ルイスが少女を見る。
「銀の塔ですね。皆さんがお帰りになられたようです」
そういって、身体を起こすと立ち上がった。
勢いよく立ち上がってふらつく少女をルイスが支える。
「ありがとう」
素直にハルカが礼を言う。
「いつでも支えるさ」
彼は、かつて彼女が、どれほどの痛みに耐え、強靭な意思の力でキルスを救い、カイネを救い、ひいては世界を救ったかを知っている。
独りにしておくと、頑張りすぎる女王なのだ。
クルアハルカは、背伸びしてルイスの頬に口づけた。
「うれしい」
小さい声で少女が言い、次いで毅然とした声で呼びかけた。
「ラートリ、いますね」
「はい、おふたりの仲がどこまで進むのか興味を持って拝見していました」
ぱっと女王の頬が赤く染まった。
「そ、そのことについては、あとでよく話し合いましょう」
「イエス、マム」
「いま、銀の塔が帰還しましたね」
「はい」
「問題が発生していますか」
「宇宙船に問題はありません」
「皆さんをお迎えに行きます。直通エレベータを呼びなさい」
「了解です」
先に立って部屋を出ていくクルアハルカにルイスが続く。
ロケット発着場直通のエレベーター・ホールでは、既に扉をあけて1基のエレベーターが待っていた。
それに乗り込んだ。
身体に加速度がかかり、壁に表示される数字がどんどん増えていく。
シュッと音が聞こえ、扉が開いて二人はエレべーターホールに出た。
ほぼ同時に、銀の塔へ続くスロープを3人の少女が降りてきた。
カマラ、ピアノ、ユスラだ。
身体のラインがくっきりと浮かび上がる細身の宇宙服に身をつつんでいる。