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540.乖離

 もう少し、彼、彼女たちのその後を描いて最終章に向かうつもりです。



 明るい陽射ひざしの中を歩いて、いつものように彼は()()に向かう。

 建物の前に敷かれた石畳いしだたみを進み、玄関に立つと扉を軽く叩いた。

「はい」

 返事があって、中から扉が開かれる。


「おはよう」

 彼が言う。

「おはよう」

 彼女が答える。

 薄緑ライトグリーンの髪が揺れて、少女の甘い匂いが彼の鼻をくすぐる。


「すぐに支度したくするから、ちょっと待って」

 そう言うと、彼にとっては珍しい木造りの離れに招き入れられる。


 一部屋だけの小さな離れだ。


 作られたばかりの建物の内部は、かぐわしいシノンの香りにあふれていた。


 豊かなの香りは、彼女の精神こころに良い影響を与えると教えられた通り、彼自身も気持ちが落ち着くのを感じる。


 部屋の隅に置かれた木の机の抽斗ひきだしからいくつか小物を取り出すのを目にして、彼は周りを見渡した。


 よく整頓(せいとん)された綺麗な部屋だ。


 飾りのない白いシーツに包まれたベッドに目をやった彼は、ふと浮かんで来たあらぬ想像を振り払うように目をそらした。


「お待たせ」

 少女が、手に小さな布製の鞄を持って彼の前に立つ。

「行こう」

 離れを出て、彼が先に立って歩き出した。


 扉に鍵はかけない。

 ここには、基本的に彼らしかいないからだ。


 母屋おもやに向かう小径こみちをゆっくりとふたりは歩いていく。

 広い芝生の庭の向こうに、彼女が丹精たんせいして育てている花畑が見えている。


 彼が母屋(おもや)の扉を開けた。

 一般的な石造りの建物だ。


 食堂に入ると、小さなテーブルの椅子を引いて彼女を座らせる。


 急いで台所に向かうと、朝食を運んだ。

 特に、ぜいを尽くした食事ではない。

 一般的な、パオカゼロ(パン)とムサカの薄切り肉を焼いたもの、それにスープだ。

 ただ、できるかぎり熱いものは熱く、冷たいものは冷たいままきょうするように心がけている。


 彼が席につくのを待って、朝食が始まった。

 言葉は特にない。

 静かな食卓には、時折、戸外でさえずる鳥の鳴き声が聞こえて来るだけだ。

 彼女の機嫌が悪いわけではなかった。


 やわらかな微笑みを浮かべながら、朝の食事を楽しんで味わってくれている。

 その姿を見るだけで、彼は幸せになるのだ。


 ずっと、()()()()()()苦労をしてきた彼女だけに、こうして穏やかな毎日を、優しい笑顔のまま過ごしてほしい、そう彼は心から願う。


 食事が終わると、いつもの小さな言い争いが始まった。

 彼女が食器を片づけ、洗うといって聞かないのだ。


 本来なら、彼女をそんな些事さじには関わらせたくはなかった。

 だから、全ての作業を自分でやってしまいたいのだが、彼女はそれを嫌がった。


 これまでの経緯いきさつから、ここは彼女に譲るより他ないと彼は悟っていた。


「あなたは、まるでこわれ物のように扱うけれど、わたしはそんなに弱くはないわ。()()()()()、そういうはずよ」

 可愛い顔でそう言われたら、彼に返す言葉はない。


 なにより、彼は、彼女を()()()()()()という厳命(げんめい)を受けているのだ。


 洗い物を終えた彼女と共に、離れに戻る。


 彼女を残して母屋に帰ろうとした彼は、強く引き留められた。

「今日は、一緒に聞いてほしいの」

「でも――」

「彼女は分かってくれるから大丈夫。お願い」


 そう言われて、彼は彼女と並んで机の前に座る。

 机上にはタブレット・ボードが置かれ、その上には小さな長方形のスクリーンが浮かんでいた。


 彼女がタブレットに触れるとスクリーンが輝き、ひとりの美しい少女の姿が浮かび上がった。


「ハイ、ひさしぶりね」

 デバイス越しに陽気に話しかけてくる。


「あなたのリリーヌよ。体調は悪くないでしょう、フレネル。万全な状態であなたに渡しているはずだから。それとザイアン――いえ、いまはケイブね。どうせ、フレネルのことだから、あなたと一緒にわたしの話を聞いてほしいっていわれてるんでしょう」


 頭のいい少女だ。

 かつてのザイアン・ファレノ、今はコンケイブ・アスフェルは苦笑する。


「どうも、この一方通行のやりとりって不便よね。あなたもそう思うでしょう、フレネル」

 スクリーン上の少女の率直な物言いに、フレネルは笑顔になる。


 ケイブは不思議に思うのだが、少女は、自分の身体を共有するリリーヌを嫌ってはいない。

 どちらかといえば、好ましく思っているようだ。


 自分ならどうだろう。

 身体の中にもうひとりの人格があれば、不気味に、あるいは不安に思うのではないだろうか。


「事務的なことから伝えるわね。詳しくはケイブに聞けばいいと思うけど」

 そう言って彼女はひと呼吸おき、

「あなたの好きなお花畑は順調に育っているわ。菜園の野菜もそう。面倒くさいから全部枯らしてしまおうとしたけど、ケイブに止められたのよ」


 もちろん、そんなことはない。

 彼が不思議に思うほど、リリーヌは熱心に菜園の世話をしていた。


「あれは嘘だ」

「わかっているわ、ケイブ」

「毎日書かされている日記は左の抽斗(ひきだし)の奥にいれたわ。力作だから読んでね。あとは――」

 ふたたび、少し間をおいて、悪戯っぽく笑う。


()()()()()()()との仲は特に進展してないわ。口づけしようとしたら、あなたに悪いからって断られたから、安心して」

「まぁ」

 くすくすと少女が笑う。


「こんなことでは、()()()()()()()()()をあげる時はどうなるのかしら――って」

 少女は真面目な顔になる。

「それは心配しなくていいわよ。サフランにずっといっているように、いずれわたしは消えるつもりだから。ケイブもこんな奇妙な関係は疲れるでしょうしね。だから安心して、あなたは、ふつうにケイブと結ばれればいい。犯罪者のリリーヌさえ消えれば、あとは身も心もきれいなフレネルが残るだけだから。じゃ、ケイブとの2週間、楽しんでね」


 スクリーンが暗転する。


 いま、フレネルとリリーヌの()()()()()()は、サフランの操作によって、2週間おきにそれぞれの身体を使っているのだ。


 実際は、前にリリーヌが言っていたように、彼女は表に出ていない時もフレネルの行動を背後から見つめていて、フレネルはリリーヌが表に出ている時は眠った状態らしい。


 つまり、今もリリーヌはフレネルの意識の影で、彼の姿を見ているということだ。


 そういった現象は、サフランでもすぐには解消できないのだという。

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