054.湯音
さわさわと湯の音が近づき、柔らかい腕が首にまきついた。
そっと左側から柔らかい体があたり、彼の肩に頭が預けられる。
目を開くと、淡いメナム石の光の中で輝く、銀色の髪と黒髪が目に入った。
「カマラとユスラか」
「はい」
二人が声をそろえて返事をする。
もともと裸に抵抗がなさそうな少女たちは、大胆にアキオと接触しようとした。
「よせ、カマラ」
右側からアキオの腕を上げ、その下に身体を差し入れて胴体に抱きつこうと図る少女を止めながら声をかける。
「さっき初めて入りましたが、お風呂とは気持ちのよいものですね。ナノ・マシンにとっても最高の熱源だと思います」
彼に抱きつこうとする行為をまったくやめようともせずに少女が言った。
「そうだな」
「わたしも、たくさんの方と一緒にお風呂に入ったのは初めてでした」
左側で、アキオの腕を締め上げるように抱きつく黒髪の少女が言う。
「そうなのか」
「入浴の時に身体を洗ったり、拭いてくれるものは多くいるのですが、一緒に裸でお風呂に入る者はいないのです」
高位の貴族というのはそういうものらしい。
「もちろん、殿方と一緒に入るのは初めてですが、これも良いものですね」
「アキオはわたしのためには風呂を作ってくれませんでした」
隙をついて、アキオの腕の下に入り、胴体にしがみつくことに成功したカマラが言う。
「ジーナは充分暖かかっただろう」
「問題はそこではありません。男女が裸で入るというのが肝要です」
「そう、それは大事です」
口をそろえて宣言する少女たちの頭を撫でる。
「どうして、いつもアキオは頭を撫でるのですか」
カマラが尋ねる。
「嫌か」
「嫌ではありませんが、子供扱いみたいで納得できません」
「そうか」
彼自身、少年兵だった頃によくそうしてくれた古参兵がいたので、それに倣ってやっているのだ。
「わたしは嬉しいですよ。もっと撫でてください」
ユスラが言う。
「わたしも嬉しいですよ。もちろん」
珍しくカマラが遅れをとったように追随する。
少女二人の頭の重みを感じて湯につかるうち、軽い眠気を感じてアキオは目を閉じた。
両側からきつく押し付けられる胸の弾力は無視する。
再び足音が近づき、掛かり湯をして湯に入る気配がした。
ゆるゆると近づいてくる。
気配はアキオの前で止まった。
「お久しぶりです。主さま」
心地よい声が耳を打ち、目を開ける。
そこには豪奢な金髪、澄んだ碧い目の少女の顔があった。
心なしか目が潤んでいるようだ。
「キイか」
「はい」
「いつ――」
「一時間ほど前にね」
つけたままのインナーフォンにミーナの声が響く。
「すぐにアキオに知らせようとしたんだけど、先にユイノにつかまっちゃって……特に急用もないということだったから、ユイノの提案でアキオを驚かそうと……いけなかった?」
「いいさ」
アキオが言うと、気を利かせた少女たちが彼から離れ、キイの背中に触れてアキオの方へ押しやった。
金髪の少女はアキオに近づいて、おずおずと首に手を回し頬と頬を合わせる。
「うまくいったか」
「いったよ」
「そうか」
アキオはキイの頭を撫でてやった。
少女はしばらく感極まったようにアキオに抱きついていたが、はっと気づいて彼から離れ、両側の少女に向かって頭を下げる。
「勝手をして申し訳ありません。グレーシア女公爵さま、カマラさま」
「何をいっているの、さっきも申しましたでしょう。わたしは、ただのユスラです」
「わたしも、ただのカマラですよ、キイさん」
「わかっています」
キイが美しい笑みを見せてうなずいた。
「――そろそろいいかな」
幕の向こう側からユイノの声がした。
「どうぞ」
少女たち3人が声をそろえて応え、次々と娘たちが入ってくる。
風呂上がりの薄衣を脱いで、軽くかかり湯をして湯につかっていく。
その様子を見ながら、アキオは、これからは自分用の独りしか入浴できない小型の浴槽を作ろうと心に決めた。
「あーアキオ、あんた、今、自分だけが入る小さな風呂を作ろうと思っただろう」
ユイノが浴槽の外に座ってアキオを指さし言う。
服は来たままだ。
「なぜ、君は入らない」
「そうです。早く入ってください。独りだけ服を着ておられると、わたしたちが恥ずかしくなります」
ミストラとヴァイユに促され、ユイノは背中をむけて服を脱ぐと、かかり湯をして湯につかった。
「ユイノさんは恥ずかしがりですね」
ヴァイユがからかう。
「あ、あんたたちは恥ずかしくないのかい」
「恥ずかしいけれど、少し慣れました」
「わたしも、ですね」
ミストラとヴァイユが微笑む。
「もう何度も見せてるし、主さまが一緒に入りたいというなら恥ずかしくはないね」
金髪の美少女が腰に手を当て、胸を反らせて断言した。湯から上に出た美しい胸が揺れる。
「――」
「ダメよ」
アキオがキイに向き直り、一緒に入りたいとは言っていない、と口を開こうとした機先を制してミーナの声がインナーフォンに響く。
アキオは顔を上げ、風呂場の周りを見回した。
今のは、声ではなく、湯船の様子を見ているからこそ言えるタイミングだった。
いつのまにか、幕の支柱のひとつに小型アームのついたカメラが止まっている。
これを使って、ミーナは風呂の様子を観察しているらしい。
カメラとアキオの目があった。
風呂場にカメラというのは問題ではないのだろうか?
そう思ったアキオの耳にミーナが囁く。
「カメラはわたしの目だからいいのよ。気持ちの上ではわたしもお風呂に入ってるんだから。のぞいていることにはならないわよね」
かなり強引な理屈だが、あえてアキオは反論しなかった。
湯船の会話は続いている。
「わたしの身体はアキオのもの。自分の裸を自分に見せても恥ずかしいわけがありません」
「わたしも同じです」
「ブレないねぇ、この二人は」
ユイノが、カマラとピアノの言葉を聞いて感心する。
「裸を見せるのは恥ずかしいことなのですか」
「さすが元女公爵さまは、あたしたちとは感覚がちがうねぇ」
「というより、ユイノさんが恥ずかしがり過ぎです。そんな態度を取られたら、わたしたちも恥ずかしくなってしまいます。もっと堂々とおおっぴらに――」
「ヴァ、ヴァイユ――」
ミストラが友人の腕に手をかける。
「ああ、失礼しました」
少女が申し訳なさそうな顔をする。
「い、いや、確かにその通りだね。でも、駄目なんだよねぇ。やっぱりアキオに見られると恥ずかしいよ」
つんつん、とミストラがヴァイユを肘でつつく。
「――ヴァイユ、これが……」
「ええ、あのきれいな色の原因でしょう。いつまでも恥じらいを忘れない初々しさ……」
「やめとくれよ。また恥ずかしくなる」
「これ、これですよ。参考になりますね」
「何の参考なんだよ!」
こうして、少女たちの親交は深まっていくのだった。
「キイ」
娘たちの会話を微笑みを浮かべて聞いていた傭兵にアキオは尋ねる。
「なんだい」
「エクハート家の件はあとで聞くとして、ここまではどうやって来た」
「冤罪事件を解決してすぐに街を出て、今朝早くにシュテラ・ザルスに着いたんだ。そこでアキオの伝言を受け取った。それと同時にヴァイユさまの部下と称する者から、現在のあんたたちの状況と届けるべき文があると伝えられた」
「そうか」
「そのまま街を出ようとしたけど、ゴラン警報が発令されて衛士に止められてね。まあ、そんなものは振り切って、シュテラ・ナマドから乗ってきたザルドを飛ばしてここまで来たというわけさ」
「なるほど」
相変わらず乱暴な行動が多い。この調子でエクハート事件も力ずくで解決したのだろうか。聞くのが怖くなる。
「キイさんのおかげで、ユスラさん、カマラさん、ピアノさんの通行文が手に入りました。これで、どこにでも行けますよ」
ヴァイユが微笑む。
「ヴァイユさん、わたしの名前は?」
「カマラ・シュッツェさんですよ。そして、ピアノ・ルーナさん」
赤い眼の少女が笑顔になった。
「やっと本当にピアノになりました。姫さま」
「よかったですね。わたしは?」
「ご希望どおり、ユスラ・ラミリスです」
「え」
ヴァイユとピアノ、カマラを除く全員が驚く。
「ユスラ――」
アキオの声を無視して、ユスラが言い放った。
「もう遅いのです。アキオ。これは、つまり……既成事実というものですね」
アキオがヴァイユをみると少女は目を反らす。
これで、彼の名前は切り分けられてすべて使われてしまった。
アキオは苦笑する。
これも成り行きなのだろう。
いずれ、自分の名前の一部を持った少女たちが、この世界で幸せになればよいのだ。
アキオの苦笑の意味を知りつつ、ミーナは、絶対に娘たちが彼のもとを離れないことを確信していた。
「ミーナ」
アキオが尋ねる。
「なあに」
甘えた口調でAIが応えた。
「お前とカマラで宇宙菌類学を生み出したという話だが――」
「な、何かな」
質問の意図を察したミーナが口ごもる。
「いろいろ考えてみたんだが、地表の菌類採取と考察だけで『宇宙に張りめぐらされた高次元菌類ネットワーク』を発見できるとは思えない」
「だ、だから、カマラは天才――」
「ジーナに残っているミサイルは何機だ」
「えー」
「ミーナ」
「わかったわよ。3機よ」
「5機あったはずだから、1機足りないな」
「アキオの勘違いじゃ――」
「――」
「はいはい、わかりましたよ。1機使いました。成層圏の残存菌類ネットワークを調べるために」
「そのミサイルは」
「え」
「今どこにある」
「えー成層圏、かな」
「回収してないのか。危険なものは積んでないな」
「え、ええ、もちろん。通常のセンサー類とその他だけ」
「その他――」
「検査用ナノ・マシン――」
「わかっていると思うが」
アキオが低い声を出す。
「ええ、成層圏にナノ・マシンを打ち上げるのは危険、分かっているわ。だから、安全マージンは充分にとってある。防衛策も――」
「だが帰ってこなかった」
「一応、帰着予定地は、サンクトレイカと西の国の間の境界地域の荒野を予定してあって、危険はないと思うんだけど」
「危険はないんだな」
「ないわ」
アイギスミサイルの材質なら、よほど侵入角度をうまく設定しないと摩擦熱で燃え尽きてしまうだろうから問題はないはずだ。
「わかった。今後は――」
「分かってるわよ。勝手にミサイルは使わない」
「確かだな」
「信じてよ、長いつきあいじゃない」
アキオは答えなかった。
だから信じられないのだ。
「やれやれ」
外にまで聞こえる、ふたりの会話を聞いていたユイノが呆れる。
「まるで夫婦の会話だね」
「まあ、300年ちかく連れ添ってるわけだからね」
キイが笑った。
その夜、アキオのパーティションには、明日別れる三人の少女の姿があった。
皆、キイに譲ると言ったのだが、これからも一緒に旅をするからと彼女が固辞したのだ。
そこにアキオの意思はまったく反映されてはいない。
彼の意思――
あるいは最初からそんなものは無かったのかもしれない。