539.豹人
少女たちの笑顔を見て、まだ妻たちではない、という言葉をアキオは飲み込んだ。
最近の彼は、その言葉が持つ危険性を、多少理解できるようになっている。
演習が終わり、死屍累々と折り重なるように倒れていた獣型と人型のライスが、のっそりと起き上がると、彼らに前脚を折り、深く頭を下げながら無言で下がっていく。
アキオの射撃によって破損した部位は全て元通りになっていた。
「でも、最後のリトーはかなり反則気味ですね」
ライスたちに手を振って応えながら、ヴァイユが口を開いた。
「だ、だってさ、前回はビースト・ライスだけだったけど、まったく歯ごたえがなさそうだったじゃない」
シジマが腕を振って抗議する。
「あの時は、明らかにひとりの人間が持てる弾丸数より多くのライスを出して、結局、主さまはナイフで闘うことになったんだね」
やれやれ、といった表情でキィが言う。
「最後のあの回避……」
赤い眼の美少女が初めて口を開き、その声の美しさにリオンがあらためて彼女を見た。
「アキオは、あれを見越してカマラが5発だけ用意していいたラグナタイト弾を持ったのですか?」
「いや」
彼は、地面が開いてせり上がってきた銀色の台の上に、遊底が吹っ飛んだP336を置いた。
弾倉帯を外してこれも置く。
「ただ、通常弾だけでは足りない気がしただけだ」
「直感ですか」
ピアノが感心し、
「戦闘中に跳んではいけない――良くわかりました。とても、わたしには、あんな真似はできない」
「わたしも」
デルフィとラーカムが口をそろえて言う。
「そうだね。だから、わたしたち剣士は、なるべく地に足を着けて闘うようにするんだよ」
キィが微笑んだ。
「だが、いくつか方法はある」
アキオが言う。
投げナイフとワイヤーを使う方法。
噴射杖を使う方法。
フライング・スーツを使う方法などだ。
「どうするのです」
ふたりが同時に叫んだ。
「それは、いずれ学ぶとして、その前に基礎的な戦闘力を底上げした方がいいよね」
シジマが言い、
「だから、ボクが――」
「わたしが教えるよ」
さっと、絶世の、といってよい美少女が前に出る。
「シジマの剣技は才に走り過ぎているからね。わたしのほうが向いている」
「キィさん、なんだよ、それ」
緑の髪の少女が不満そうに可愛い口を尖らせる。
ナノ・マシンは万能ではない。
ヌースクアムの少女たちは、記憶部位の活性化とミーナが開発した学習方法で、基礎的な知識と戦闘力向上を果たしているが、当然、その能力には差がある。
誰もが、それぞれに得意分野があるのだ。
シジマの剣技に勝てるものはおらず、ピアノのナイフと投げ針に拮抗するものはいない。
キィは剣士だが、その体重と筋力を生かした組み技が一番得意で、他者の追随を許さないし、銃の扱いでアルメデに勝るものはいない。
それ以外に、少女たちの中で、ユイノ以上の舞姫はいないし、ミストラの音楽的才能を凌駕するものも存在しなかった。
あるいは、ヴァイユの数学的才能、カマラの科学な能力も特異だ。
要するに、身体の強化と再生以外のナノ・マシンの機能は、本来、身に備わった特性を強化するだけで、才能を生み出すものではないのだ。
もともと剣に適性があったシジマは、ナノ強化を得て、常人には到達できない境地に達している。
キィは、デルフィとラーカムにそう説明した。
「その上、この子は少しおっちょこちょいだからね。説明が分かりにくいんだよ」
「な!」
「そうじゃの、それはある」
「みんなの意見が一致していて安心したよ」
小柄で陽気、燃えるような紅い髪をした少女が笑う。
「では、二人の指導はキィに」
ユスラが話をまとめた。
「ユスラさまがそういうなら従うよ」
シジマが、不承不承な様子で言い、台の上の破壊されたP336に眼をやって続ける。
「でも、ラグナタイト弾だと5発が限界だね。弾丸も重いし、火薬量も多いから仕方がないかな」
「だが、使い方はある」
アキオはそういって、傍らに立つカマラの頭に手を伸ばした。
「君が作ってくれた弾丸のお陰で助かった」
「はい。お役に立ててなによりです」
嬉しそうに少女が目を細め、笑顔を見せる。
それを見たデルフィは、彼女を覆っていた厚い氷が一瞬で解けて、満開の花が咲くような様子に眼を丸くした。
この一見冷たそうに見える少女が、どれほどアキオを想っているかを知って胸が熱くなる。
アキオは、ミリオンが台の上の壊れた銃を見て、表情を硬くするのを見た。
少女に近づく。
「銃を使う者は、常に銃の状態を意識し破損を警戒しなければならない。どれほど優秀な銃も壊れるからだ」
「はい、そう……ですね」
豹人の少女は耳を震わせる。
「その危険性を最小にするためには――」
「手入れを怠らない、ですか」
「そうだ。逆にいえば、よく手入れをされた銃は持ち主を裏切らない」
「わかりました」
「まあ、ナノ・マシンが体内にあるボクらには、よほどの暴発でないと危険はないけどね」
シジマの言葉で、ユスラが改めてデルフィとラーカムを見やった。
「このあと、ふたりには、わたしたちと同じナノ・マシンを与えます。それによって、ひどい怪我を負うことも、死ぬことも、ほぼなくなるでしょう」
「はい」
ふたり同時に返事をする。
ほんの少し、ユスラが逡巡した後、口を開いた。
「ラーカム、あなたが受けた命令は?」
「ヌースクアムに行き、僕としてアキオさまに従うように、と」
「デルフィ、あなたは?」
「ヌースクアム王の命を受けよ、と」
「わかりました。では、ヌースクアム王アキオさまに代わって、わたしが命を伝えます」
ユスラが顎をひいて、毅然とした調子で言う。
「デルフィ・ソラノ並びにラーカム・ル・ザンパナ」
「はっ」
「これより、ヌースクアムで研修を受けた後、あなたたちにはエストラを始めとした大陸の各国を巡って、王主催の晩餐会に出席してもらいます」
「ユスラさま、それは――」
聞かされていなかったらしいミストラが声を上げる。
アキオも知らなかった。
「今後、スーリバッドでは希望者を外の世界に送り出そうと思っているそうです。その際、無用な軋轢をさけるためには、先に豹人の存在を世にしらしめて、悪意のない人々であることを世界に周知させる必要があります」
「それはそうでしょうが……」
「わかっています。これはラーカム、あなたに見世物になれといっているに等しい命令です。ですから拒否してもかまいません。その場合は他に方法を考えます」
「ユスラさま、わたしが行きます。それは本来、わたしの仕事なのですから」
ミリオンが叫ぶ。
「いいえ。わたしの仕事です。ミリオンさま」
ラーカムが微笑んだ。
「あなたは1000年の間働かれた。あとは、わたしたちにお任せください――お受けします。ユスラさま」
「ラーカム……」
ユスラは深く頭を下げる。
「あたしたちが、豹人に身体を変えて、各国に行けばいいんじゃないのかい」
ユイノの言葉に他の少女たちもうなずく。
「それは駄目です。これは、わたしたち豹人の問題なのですから」
「で、でも」
「では、わたしはラーカムの護衛ということでよろしいのですね」
デルフィが尋ねた。
「そうです」
「わかりました。お受けします」
「ラーカム、本当に良いのですか」
「はい、ミリオンさま。以前から、世界を見てまわりたいと思っていたのです。ですから、これはちょうど良い機会でしょう」
「なに、かしこまってばかりおらんで良いぞ。王宮についたら、晩餐会の合間に姿を変えてふたりで街を散策すればよいのじゃ」
シミュラが片目を瞑る。
「はい!」
元気よくふたりが返事をした。
そして――ラーカムは、アキオへと歩み寄る。
「最後に、わがメルとしてアキオさまからご命令をいただきたく思います」
言いながら跪く彼女の横に、デルフィも並んだ。
アキオはユスラを見る。
彼女がうなずくのを見て、彼は少し考え、言った。
「ラーカム、デルフィ。ふたりで大陸中に豹人の素晴らしさを広めてくれ」