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532.降下

「本気でいっているの」

「もち……ろん、ダ」

 彼は、ゆっくりと答えた。

「今までのあなたじゃなくなるのよ」

 女の言葉に彼は首を振る。

 今までの自分――それは問題ではない。

 もともと、自分など何者でもないのだ。

 いや、何者でもなかった。

 だが、今の彼には、()()()()()()がある。





「ゴルドー、良い名前ね。それに決めましょう」

 笑顔で近づいた彼女が、そう言って彼を抱きしめ、持ち上げて、くるくる回った。

 巨大な彼の身体も、さらに大きな彼女にかかればヒト(ぞく)同然だ。

「よ、よセ!」

 彼が叫ぶ。

「目が回った?ごめんなさいね」

 彼は床に(おろ)される。


 ゴルドーは、ため息をついた。


 彼女は、軽々しく身体に触れすぎる。

 殴る蹴る以外で他者の肌に触れるなど、これまでの過酷(かこく)な彼の生活では、()()()無かったことだ。

 初めての経験に、彼は()()()()を隠せない。


 前にそのことについて、ゴルドーは彼女に尋ねたことがある。

 なぜ、すぐに人に触れようとするのか、と。

「なぜかしら――きっと寂しかったからね。()()()()()()()()()()()()()()()ほど長い時間を独りで過ごしてきたから」

 そう言われれば、うなずくより他はない。


 彼女は、ゴルドーの前の椅子に腰かける。

 腕を組んで彼を見た。

「ゴルドー、本当に良い名前ね、音の響きが良い。あなたに合ってる。自分で決めたのね、偉いわ」

 微笑みながら言う。

 子供扱いは不満だが、事実、彼女に比べれば、彼など子供以下の存在であることは分かっているため腹は立たない。


 出会った日から、彼は多くの時間を彼女、スぺクトラと過ごし、話をしてきた。


 初めのうち、彼は彼女を警戒した。

 単純に、彼より身体が大きく力が強いのはもちろんのこと、複数の魔法を同時に使うことができる彼女にとって、()()()を失った彼など、殺そうと思えばいつでも殺すことができる存在だったからだ。


 だが、彼女は暴力を振るわなかった。

 ゴランなら当然実行する、顔を合わせると同時に殴りつけて、どちらが上かを――それが分かり切っていたとしても――示そうともしなかった。

 ただ、積極的に、穏やかに話しかけ、良く笑っただけだ。


 変な女だと思った。


 ゴランの知能は、見かけに反して決して低くはない。

 怒りの閾値しきいちが低いだけで、それゆえ他の生物に騙されず、逆に狡猾(こうかつ)に相手を罠に(おとしい)れる知恵がある。


 だから、この女も、何か自分を(だま)す目的があって笑顔で近づいて来たと考えたのだ。

 笑顔の裏には罠がある、というのは彼らの種族では常識だ。


 だが、そうではなかった。

 彼女の笑顔は、()()()()()だった。


 話をし、肩を叩かれ、また話をし、抱きしめられ、振り回されるうちに彼は理解した。

 彼女はゴランとは違う。

 その力は強く、知恵は深く、度量は広かった。

 最初に直感的に感じた通り、彼女は――スぺクトラは、彼らの種族の上位の存在、女王だ。



「サンクトレイカの言葉を、うまく話せるようになったわね」

「ああ、まダ、少シつまるガ――」

「今日はね、あなたがこれからどうしたいか聞くように頼まれてるの」

「どう……すル?」

「あなたが、()()()()()()()理由は知っているわね」

「ナノ・マシンが身体に入ってイタ」

「そう。黒玉ドゥラム・モルドの槍を出せたのもそのお蔭ね。でも、ナノ・マシンはもうあなたの身体にはなくなった。あなたは()()()()()()になったのよ、ゴルドー」

 スぺクトラが微笑む。

「普通なものカ!」

 苦いものを吐き出すように彼が言う。


 パン、と彼女が手を打った。

「それよ。サフランは、あなたが魔法を使えるようにできるといっているの」

「マホウ――強化魔法ザグレブ、カ」

「そう、サフランは、あなたを大陸に戻すといっているわ。その時にね、今までどおり魔法の使えないゴランとして生きていくのか、強化魔法ザグレブを使えるようになりたいのか決めて欲しいといってるの。もう答えは分かっているのにね」

「いいのカ」

「なにが?」

「おれを戻せバ、また人を襲うゾ」

「襲うの?」

 スぺクトラが、夕陽色の髪を揺らして、じっと彼を見つめる。


 ただ見つめただけだ。

 それだけで彼の背中が総毛(そうけ)立った。


 が、すぐに彼女は目を伏せた。

 彼にかかる圧力が(やわ)らぐ。


「そうね。襲いたかったら襲えばいい」

「エ」

 思いがけない言葉だった。


 これまで彼女とふたり、この場素で様々(さまざま)なことを話してきた。

 その中で、彼女がヒト族を大切に思っていることを、彼は理解している。


「あなたが人を襲うのは仕方がないでしょう。ゴランなのだから。サフランもそう思っているわ。だから、人間の側もそれに備える。あとはお互いの問題でしょう」

「そう……カ」

 彼は頭に浮かんだ疑問を口にする。

「オマエは、なぜ俺たちに甘イ」

「それは前にいった。わたしはあなたたちゴランの祖先の一つなの。ゴランという種はわたしの子供みたいなものなのよ」

「オマエはどうスル」

「わたし?」

 彼女は大きな目を丸くした。

 分かり切ったことをなぜ聞くのか、という表情だ。

「それは……すぐにわかるわ」

「そうカ」

「これから、わたしはしなければならないことがあるの。しばらく会えないけれど良い子にしているのよ。次に会った時に、どうするか教えて」

 ゴルドーはうなずいた。

 これからどうするのか、彼にはすぐに答えられない。

 しかしながら、今、彼の胸には、自分の取るべき道が朧気おぼろげながら形になりつつあった。

 


 まさか、こんなことになるとは――まったく想像もしていなかった事態に彼は混乱する。

 なぜだ!

 どうして?


「なんて顔をしているの」

 久しぶりに顔を見せたサフランが、()()()()()()言う。

 そう、彼女が彼を()()()()()()のだ。

 まるでヒトのような姿、大きさになって。


「これが、わたしのやりたいこと、なりたいものよ」

「ソレが、か」

 ゴルドーは、茫然ぼうぜんとしてつぶやく。


 角は、ある。

 オレンジの髪も、元どおり豊かで美しい。


 だが、身体を覆っていた深緑色の鱗は姿を消し、まるでヒトのような肌が剥き出しになっている。

 何より体型が変わっていた。

 彼より首一つ大きかった、たくましい身体が、ヒト族の女のように小さくなってしまっている。


「マるで、ヒト族ダ」

「そうよ。わたしは人間になったの」


「アイツか……アイツのため、カ」

 スぺクトラの顔から笑顔が消える。

「ゴルドー、たとえ、あなたでも、あの人をアイツ呼ばわりすることは許しません」

 小さな体から信じられないあつが発せられる。

「わ、カッタ」

 あわて気味に彼がそう答えると、彼女の笑顔が戻った。


「前にもいいましたね。わたしは、信じられないほど長い年月を独りで暮らしてきたのです。あなたには絶対に理解できないほど長い時間を。あの人は、そんなわたしを外へ連れ出してくれた。かつてカマラがそうしてもらったように」

「カマ、ラ?」

「あの人のつがいの一人ですよ。わたしも、その中に入れてもらうのです」

「そのタメに、あの素晴ラシイ身体を捨てタのカ?」

「そういうことになるわね。でも、あの人のそばにいることのできる身体になることが、いまのわたしには一番重要だった」

「ソバにいるコト――」

 そう言ったきりゴルドーは黙り込んだ。

 小さくなった彼女をじっと見つめながら。


 やがて、彼は顔を上げ、彼はきっぱりと言った。

「ならバ、おれノ取る道は決まっタ」

「どうします」

「おれモ、ヒトになル」

 驚いたスぺクトラが彼を見上げて叫ぶように言う。

「考え直しなさい。あなたは魔法の使えるゴランになれるのですよ」

「マホウ……ソんなものはいらナイ」

 彼は、大きな体を折るようにして、彼女の足下にひざまずいた。

「スペクトラ、おレはあなたに仕えたい。あなたがヒトのすガタになるのなラ、おレもヒトになル」

「仕える?必要ありません。わたしにそのようなもの不要です」


 スぺクトラの懸命な説得にも関わらず、ゴルドーの決意はひるがえらなかった。



「目を開けなさい」

 言われた通りにすると、目の前に、サフランが立っていた。

 だが、その姿に違和感がある。

 彼女の顔が異様に近いのだ。


 これまでは、彼は、サフランを頭上高くから見下ろしていたのが、今は、ほとんど変わらない位置から彼を見つめている。


 首を回して腕を見た。

 白っぽく細い腕が目に入る。


 一瞬、情けなさと不安と後悔が押し寄せてきたが、彼は、すぐにそれらを押さえつけた。

「不具合はありませんか」

「ない」

 予想以上に流暢りゅうちょうに言葉がでて自分自身でも驚く。

「あらかじめいったように、ゴランの時に3つあった心臓が1つになっているほか、以前より体力、能力が落ちているので、慣れるまでは無理をしないように」

「分かっている」

「それでも、普通の人間よりは、はるかに強い力を持っているから、不用意に暴力を振るってはいけません。簡単に相手が死んでしまいますからね」

「そうか。これでも他のヒトよりは強いのか」

 彼は、()()()のような腕を見ながら言う。

 情けない姿になったものだ。

 だが、これで彼の女王たるスぺクトラの(そば)にいることができる。

 身体が小さくなろうが、弱くなろうが構わない。

 それが最も重要なことなのだ。

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