531.狩人
「素敵な響きです。ありがとうございます」
ミリオンとなった少女が腕に抱きつく。
「その名前って……まさかルサルカさまが地球でいうネコ科の豹人だからつけたの?アキオは、もとの話を知ってるの」
ラピィが目を丸くした。
「知らないな」
簡潔に彼は答える。
ミーナを伴わなかったアルフォート作戦は、基本的にデジタル・データとして詳細が記録されておらず、少女たちの知らない語られざる話になっているのだ。
「なるほど、ミリオンかぁ。この世界の住人にとっては、異国風の良い響きだものね」
ラピィが、うんうんとうなずく。
「そうか」
アキオは苦笑する。
命名の本当の理由は言わない方がよさそうだ。
それに、もし生まれ変わりが存在するとしても、300年前に消滅したミリオンが、1000年を生きるルサルカに生まれ変わることはなさそうだ。
次元の違いはあるとしても――
「アキオさま」
呼ばれて彼が少女を見る。
「いま一度、我が名をお呼びください」
「ミリオン」
「はい」
「もう一度」
「ミリオン」
「はい!ありがとうございます」
彼女はにっこり微笑み、
「まるで、ずっと前から、それがわたしの名前であったような気がします」
アキオの口許が僅かに動く。
彼を良く知るルピィには、それが、彼が困った時の表情であることに気づいた。
しばらくして、
「アキオさま」
すでに陽は昇り、窓から差し込む眩い光をその目に宿した美少女が、真剣な表情で彼の名を呼ぶ。
「わたしに戦う術をお教えください」
「なぜだ」
「わたしは、生まれてから1000年近く、戦いとは無縁の生活を続けてきました。この機会にその方針を変えてみたいのです」
「そうか」
「それに……」
「なんだ」
「フゥと戦った時のシジマさまの美しい動き、わたしもあのように戦いたい。アキオさまのために」
「そうだな――」
彼のために戦う云々はともかく、身を守る手段は持っていた方が良いだろう。
イニシエーションを受けない浮遊都市の住人は、魔法が使えないから、火球や雷球を使った戦闘はできない。
戦いは、何らかの武器を使ったものになるだろう。
剣ならシジマ、ナイフならピアノに教われば良い。
「ラピィ」
一応、第三者の意見を聞いてみる。
「そうねぇ。豹人だったら、やっぱり、その身体能力を生かして肉弾戦で戦うのが良いんだろうけど、現在のヌースクアムの戦力としては、火器が弱いと思うから――ライフルはどうかしら」
「剣かナイフでいいだろう」
アキオが呆れた口調で言う。
ミリオンの言葉を、そう真剣に受け取ることはない。
すべてのヌースクアムの少女たちは勘違いをしているようだが、彼女たちは兵士として城に詰めているわけではないのだ。
「ライフルというのは何ですか」
「武器よ。戦うための道具。浮遊都市にあるかどうかはわからないけど、強力な弓みたいなものね。携帯兵器としては標準で最強。RPGー7はわたしやアキオならともかく、ミリオンさまには大きすぎるでしょう」
「では、ぜひ、そのライフルをお教えください」
ヌースクアムで、銃に慣れているのはアルメデとアキオのふたりだ。
「わかった。やってみればいい」
「はい!」
輝くような笑顔でミリオンは答えた。
蕩けるような甘い表情で彼女はつぶやく。
「ほんの少しでもアキオさまのお役に立てますように」
紅く染まった空の下、小柄な影が素晴らしい速さで樹林の間を抜けていく。
フードを目深に被っているために、その表情はうかがえない。
走りながら負い革を外して銃を構える。
森が開けた場所に出るなり、M16Z5を連射した。
銃声が収まってしばらくして、やっとアルノーは、彼女に追いつくことができた。
「あまり先走らないでください」
彼は、倒れたサータイアの傍らに膝をついている相手に不満を言う。
立ち上がると、その人物は、黙ったまま彼に、布に包まれた小さな物体を渡した。
受け取ったとたんに、その物体が泣き始める。
それは、おくるみに包まれた赤ん坊だった。
泣き声の許に、10才ほどの子供たちが次々と集まって来る。
すべて、魔獣サータイアによって、コスカ村から連れ去られて子供たちだ。
中には恐怖のあまり言葉の出ない子供もいるが、ほとんど全員が泣きながらも感謝の言葉を口にする。
「礼はいらない。サータイアを殺したかっただけ」
にべもなく彼女は答える。
澄んでよく響く声だった。
「ですが、せっかく子供たちが――」
アルノーが言いかけるのを、
「黙って。生き残りのサータイアの音が聞こえない」
そう言ってぴしゃりとおさえ、相手は琥珀色のフードを降ろした。
隠されていた顔が、陽の下にさらされる。
腰まである長く白い髪、ピンと立った耳、身体をぴったりと包むフードと同色のコートと呼ばれる服に身を包んだ、豹人の少女だ。
口々に声を掛け合っていた子供たちの言葉がとまる。
さすがに王都では珍しくなくなった豹人だが、辺境のコスカ村では、噂に聞くだけで、実際にその姿を見たものは無いのだ。
おまけに、彼女は、琥珀色の目をのぞく全身が真っ白で肌も白く、その顔は息をのむほどに美しかった。
しかし、その大きな瞳は鋼鉄のように冷たい光を湛えたままだ。
英雄王の命令で、アルノーが彼女と行動を共にするようになって長いが、彼女が笑うのを見たことがない。
密やかな噂によると、彼女は、かつて存在したとされる、ヌースクアム王国の住人であったらしい。
そこへ、声を掛けながら近づく集団があった。
コスカ村の大人たちだ。
「子供たちを引き渡したら、あなたは彼らと共に村に帰って」
予備弾倉に差し替えながら、落ち着いた声で彼女が命じる。
「ですが――」
彼が最後まで言葉を言う前に、少女は森の奥に向かって駆け出していた。
輝く長い髪と、コートから伸びる形の良い白い尻尾が背後に流れながら遠ざかっていく。
その後姿を見送りながら、アルノーは溜息をついた。
彼女は、寝る間を惜しみ、休みなく大陸中を旅しながら、すべての魔獣サータイアを滅ぼすため戦い続けている。
いったい、何が彼女をそこまで駆り立てるのか、彼は知らない。
その理由を彼女も王も教えてはくれなかった。
ただ、普段は無表情な彼女が見せる横顔に、時折、怒りと悲しみと深い喪失感が浮かぶのを彼は知っている。
ミリオン・ウエイニフ――彼女は大陸最強の、孤独な狩人だ。