530.転生
ラピィから手を話したルサルカは、アキオの腕に手をかけた。
彼の左手は、まだ彼女の頭に乗っている。
「わたしの重い機械の身体を抱き上げ――」
少女の大きな瞳がうっとりと彼を見る。
「中央タワーへ走られた時の力強さ、フウと戦った時の凄まじい強さ、先ほどのお話が本当なら、あなた様が孤独を感じられないわけがありません」
「俺が孤独――」
アキオは遅滞なく続ける。
「それはない」
その言葉に、ラピィは小さく首を横に振った。
かつてヌースクアムの少女たちと何度か話したことだ。
大きく、強い生き物は孤独を感じる。
ラピィも、これまで心の底をひんやりと流れる孤独を感じることはあった。
しかし、彼女には自分とほぼ同じ強さの仲間がいた。
完全な孤独ではなかったのだ。
だが、アキオは、少年の頃から同種の人間と比べて強すぎた。
そして――
彼は、強いだけでなく大きな生き物だった。
単に身体の大きさではなく、生き物としての巨大さを持っていた。
少年の頃からそうだ。
その上で、彼は彼女を失いミーナを失くした。
彼が喪失感と孤独を感じないわけがない。
しかし、悲しいことに、アキオはそれに気づいてすらいなかった。
薬物と刷り込みによる殺人機械化は、彼から、多くの人間的な部分を削り取った上、孤独を感じる能力すら奪い去っていたからだ。
ただ、感じとることができなくても、その気持ちが消え去ったわけではない。
自覚の無いまま、心の奥底でその気持ちが暴れまわり、悪夢として夜な夜な彼を苛んでいる、と、ラピィは考えていた。
本来なら、彼女を含めたヌースクアムの少女たちで、その空虚を埋められればよいのだが、簡単にそれができると思うほど、彼女たちは己惚れてはいない。
ラピィはアキオ越しに、ルサルカを見た。
自分より遥かに長い時を生きながら、瑞々しい気持ちを失っていない彼女は好ましい。
大好きなキィや、若いピアノやカマラ、シジマも愛らしくアキオには相応しいと思うが、300年を生きる彼には、それ以上の記憶と経験を持つ者こそ必要だと考える。
おまけに――
ラピイは、アキオに半身を預けながら、形の良い尻から伸びてふるふる揺れるルサルカの尻尾を見る。
今でこそ無くなったが、かつて彼女にも尻尾があった。
その経験でわかるのだ。
いまの彼女の、満ち足りて心地よい気分が。
アキオ同様、大きな生き物である彼女は、小柄で愛らしいその肢体を羨ましくは思うが嫉妬は感じない。
ルサルカの気持ちがアキオに伝わって、彼の心を落ち着けてくれることをただ願うだけだ。
「でも、アキオさま。あなたのまわりの、この色彩、本当に美しいですね」
うっとりとした目のままルサルカがつぶやく。
昨夜、少女たちに命じられて、アキオは彼女に自身のナノ・マシンを与えたのだった。
ほぼ恒例となった、口づけを用いた同種株の移植を。
「そして、昨夜のあなたとの――わたしにとって初めての経験でした。長く生きてまいりましたが、ただ、唇を合わせるだけの行為が、あれほど心地よいものだとは想像もしませんでした」
そう言って、彼の胸に頬を寄せる。
「昨日までとは、世界の色が変わって見えます」
彼の眉が僅かに動く。
「長い人生、たとえ機械の身体でも恋をすべきだったのかもしれない、そう思ってしまうほどに」
言ってから顔を押しつけ、
「いいえ、でもダメ。あなただからです。あなたでないと嫌です」
アキオは、言い訳するように言葉を継ぐルサルカの頭に手をやり、耳介に触れた。
そのまま、耳をもて遊ぶ。
「ああ、嬉しい。いっぱい触ってくださいね――どうしました」
顔を上げて彼を見上げたルサルカは、アキオがじっと自分を見つめていることに気づく。
「はしたないですか」
「いや」
そう言って彼は、彼女の頭をポン、と押さえて尋ねる。
「生まれ変わりを信じるか」
「それは何ですか」
彼女は、その言葉を知らなかった。
アキオは簡単に説明する。
「いいえ」
即座に彼女が答えた。
「人生は一度きりです。二度目はありません」
科学主義の浮遊都市に宗教が無いことは分かっている。
その住人に相応しい答えだ。
「だからこそ、後悔のないように生きるべきなのです。わたしはそう思います」
「そうか」
アキオはうなずいた。
彼も生まれ変わりは信じない。
「だから、わたしは、あなたさまに会えた奇跡に感謝してアキオさまの傍を離れません」
「あわてて決めないほうがいい」
「あわててはいません」
豹人の少女は耳を震わせ、丸く大きな琥珀色の目で彼を見つめる。
「ですから、わたしに名前をください」
「名前、か」
「はい、ヌースクアムの皆さまの多くは、あなたさまから名前を授かっているとうかがいました。わたしも、執政官を辞して、アキオさまの許に参りますからには、新しい名をいただきたいのです」
「だが――」
「アキオ」
微笑みながらそのやりとりを見ていたラピィが、彼の腕を豊かな胸で抱きしめながら言う。
「名付けてさしあげるべきよ。心からそう望んでおいでなのだから」
「そうか」
「それに、わたしは、アキオの付ける名前が好きなの」
「わかった。君の名は――」
彼は、そこで言葉をいったん止め、真剣な表情で彼を見つめる少女の瞳を見、揺れる尻尾に目をやり、震える耳を見た。
彼は生まれ変わりを信じない。
信じないが……
やがて、その名を口にする。
「ミリオン」
300年前から決まっていた名だ。