053.帰路
6人の少女を乗せて馬車は進む。
天気は良く、陽は麗らかに輝き、風は緩やかに吹いていて心地よい。
「気持ちいいねぇ」
御者台に座ってラピイを操るアキオの横にユイノが座る。
「街に着いたらどうする」
アキオは、彼の横に座り、嬉しそうに景色を眺める舞姫に尋ねた。
「前からの約束どおり、王都に向かうよ」
ユイノは明るく言い、
「シュテラ・ゴラスでミーナと話して、ミストラとヴァイユを安全に馬車まで連れていくには、あたしが一緒に行った方がいいってことになってね」
「世話をかけた」
「何をいってるんだい」
ユイノがアキオの腕に抱きつく。
「あんたの顔も見たかったしね。ちょうど良かったんだよ」
「そうか」
しばらく馬車の揺れに任せて、ふたりは黙り込んだが、
「ミーナがいるから大丈夫だと思うけど」
ユイノが真面目な声で言う。
「ピアノとカマラには気をつけてやっておくれよ」
「なぜ?」
「わかってるだろ。あの子たちは、あんたに一所懸命過ぎるんだよ。なんだか危なっかしくってね」
「わかった」
「――もうっ!お前もそうだろって言ってくれないのかい」
そう言って、腕に顔を押しつける。
「そうなのか」
「そうだよ。当たり前だよ」
「そうか」
「でも、あたしは大丈夫だよ。あの子たちの倍以上歳をとってるからね」
アキオはユイノの頭を撫でてやる。
「なんだよ」
「歳は関係ない、ユイノ」
腕を離してばっと舞姫がアキオに抱き着く。
しばらくそのままでいたが、
「わかったよ、ミーナ」
インナーフォンでAIに促されたのか、ユイノは御者台を降りていった。
次にアキオの隣に座ったのはヴァイユだった。いつもはミストラに順番を譲って、自分は後回しにする少女が珍しい。
「アキオさま」
呼びかけられて、彼はヴァイユを見る。
風にたなびく、銀髪に近いブロンドの髪が太陽の光を反射してきらめき、光に包まれた妖精のように美しい。
金色の瞳も神秘的だ。
「友人のためとはいえ、危ないことをしたな」
少女は、魔獣の存在する地域をザルドを飛ばしてやって来たのだ。
「それだけではありません」
「他に何が?」
「あなたにお会いしたかったのです。それに、ミストラと相談して、彼女をあなたに任せることにしましたが、そのお詫びもお礼もまだ申し上げてはいませんでした」
そういって少女は居住まいを正し、頭を下げる。
「申し訳ありません。そしてありがとうございました」
「いいさ」
「街に着いたら、しかるべき報酬を」
「必要ない」
「しかし」
「たった今、報酬はもらった」
「言葉だけです」
「それがいい」
ヴァイユは、金色の瞳を見開く。
「す、すみません。ずっと数字でばかり物事をみる癖がついていて……感謝もそれ以外で表すことができないのです」
「なぜ、君のような娘がシュテラ・ザルスの――」
「最初は父の手助けをしていたのです。ですが、わたしが指示すると収益が倍近くになってしまって……いつの間にか、組織の金銭操作のすべてを任されるようになりました」
「黄金の指、触れるものすべてが金になる。まさしくミダース・タッチね」
インナーフォンにミーナの声が響く。
「2年前に、シュテラ・ザルスのナンバーワンだった方が亡くなられて、後継者に指名されたのがわたしだったのです」
2年前といえば、ヴァイユは13歳余りだ。思い切ったことをするものだ。
「それだけ、彼女の才能、特質が傑出していたのね」
アキオの疑問を察知したのか、ミーナが先回りする。
「もちろん断ろうとしたのですが、シア、ユスラさまとミストラに説得されて引き受けたのです」
歓楽街のトップになれと少女に勧めるのはどうなのだろう。
「ユスラさまは言われました。わたしがナンバーワンになって戦術的に資金を回収・配分すれば、犯罪都市シュテラ・ザルスの状態を改善できるはずだ、と」
ユスラらしい判断だ。
「危険はないのか」
アキオは少女の細い体を見て言った。ギャングのトップとしてやっていくには、か弱すぎるように思える。
「資金を動かす上で絶対ということはありません。同様に、命の保証も絶対ではありませんが――街のものに、わたしが命を狙われることはないでしょう。もし、わたしが死ねば、張り巡らした金の茨が彼ら権力者の体を締め上げ、死んだ方がましだと思わせる状態にすることが分かっているでしょうから」
ヴァイユは、ほんわりと笑った。
「すごい娘ねぇ」
ミーナがつぶやく。
「ですから」
少女は顔を引き締め、
「あの盗賊たちのように、あるいはゴランのように、目先の暴力と欲望に囚われた者たちに対してわたしは無力なのです――そして、アキオさま、英雄さまがそれを救ってくださった」
「あまり謝意を大きくするな」
「いいえ、いいえ、違います」
「得意なことで助けただけだ。暴力で――」
アキオは微笑み、
「人は暴力だけでは生きられない。金は大事だ。君は重要なことをしている」
ヴァイユの頬を指で突き、
「もちろん俺も金で生活をしている」
研究には常に莫大な資金が必要だ。
「だが、時には、数字を金の多寡を表す記号と考えずに、数字そのものとして扱ってみるのも良いだろう」
「数字そのもの――」
「学問としての数字、数学だな。整数論あたりが向いているかもしれない。今度、ミーナに聞いてみればいい」
「わかりました――でも、もし」
ヴァイユが叫ぶようにいう。
「もし、お金が必要になったら仰ってください。わたしにできる、ただひとつのことで必ずお返しいたしますから」
「ああ、その時は頼む」
一応、そういっておくが、16歳の少女に金を頼ろうとは思わない。
「お任せください。いざとなれば、サンクトレイカ中のお金を集めてみせますから」
先ほどと打って変わった静かな声音に、そのことに少女が絶対の自信を持っていることをアキオは知る。
「了解した」
ヴァイユはアキオの頬に唇を当て、御者台をおりて行った。
風が吹いて、少女の背中を見送るアキオの黒髪を揺らす。
彼は悟った。
今、ミーナはシュテラ・ザルスの街で別れる予定の少女たちに、彼との時間を作ってやっているのだ。
次に隣に座ったのは、ミストラだった。
栗色の髪、水色の瞳の少女は、黙ったままじっとアキオを見つめる。
「どうした」
「顔を見ています。わたしの英雄さまの……」
アキオは、あらためて、伯爵令嬢という以外、彼女についてなにも知らないことを思い出した。
「前にもいった。俺は英雄では――」
「英雄さまです。あなたはお認めにはならないでしょうが……」
少女は、真剣な表情で言い切る。
「街に着いたらどうする」
アキオは話題を変えた。
「王都へ帰ります。西の国と海戦結果の交渉が始まりますから」
「交渉」
「ガラリオ家は代々外交を司る家系なのです」
「そうか」
この世界にも権謀術数が渦巻いているのだろう。
それらは静かに研究を続けたい彼にとって、うるさいノイズに過ぎないが。
「なぜ君たちはガブンに出かけていたんだ」
言葉の接ぎ穂を探して、何気なくアキオが言った。
ミストラの顔色が少し変わる。
「それはお聞きにならないでください」
「わかった」
「非シュテラ都市のガブンで、ある国の使者との会合が持たれたのです」
「いわなくていい」
「ありがとうございます。いずれ、すべてお話いたしますから」
「わかった」
「それよりも」
ミストラは顔を近づけて言う。
「お気をつけください。いま、『突然現れて不思議な力を使う者』を探している組織があるそうなのです」
「組織……」
「ここへ来る直前に手にした情報です。あなたのことを指すのかはわかりませんが……」
「助かる」
「アキオさま」
突然、ミストラが彼に抱きついた。
手を彼の服の中に差し入れ、背中をさする。
「お怪我はどうなりましたか。ずっと心配していたのです。あのひどい傷……」
以前、風呂で見た、NMCによる傷のことを言っているのだろう。
「大丈夫だ。もうすっかり治った」
「よかった。英雄さま」
「アキオ、抱きしめてやって」
ミーナが囁く。
アキオは、少女の細い体をしっかり抱いてやる。
「ああ、うれしいです」
「元気でな」
「はい」
再度アキオに抱きつき、充分涙を流したあと、ミストラは車内に戻って行った。
「どう思う、ミーナ」
「今のミストラの話ね。この世界でわたしたちの存在を知っている者がいるとは思わないけど……警戒レベルは上げておいた方がいいでしょうね」
「任せる」
しばらくして、車内からわっと少女たちの笑い声が上がった。
「仲がいいわねぇ」
ミーナが嬉しそうに言う。
アキオは苦笑する。
その背後に彼女の涙ぐましい努力があるのがわかるからだ。
ゴラン警報が解除されないままの、人気のない街道を馬車は進む。
陽の暮れるころ、アキオは川のほとりに馬車を停めた。
シュテラ・ザルスまではあと少しだ。
ここからなら、朝出発して昼前には着けるだろう。
川沿いに停めたのは、ミーナに言われて風呂を作るためだ。
ナノ・ボードで作る浴槽は、6人の少女たちなら余裕で全員が入ることができるだろう。
旅の終わりの思い出にと言われてアキオは了解したのだった。
食事の支度を少女たちに任せ、自分は浴槽を組み立てる。
水を汲み、幕を張り、ヒート・パックを沈めた。
食後、湯の温度をみると適温になっている。
少女たちに風呂に入るよう告げて、自分は工作室に籠った。
最近、ずっと取り組んでいる作業を続ける。
三時間ほどして、アキオは満足のため息をついた。
長い時間をかけて加工したキイの剣がやっと完成したのだ。
この世界の剣をそれほど研究したわけではないが、細身、片刃の長剣、パトスという種類の剣に似せて作り上げた彼のオリジナル作品だ。
工作室の最新技術を使って冷却圧縮し、見かけ以上の重量を持つ剣は、キイの体力と相まって、すさまじい破壊力を持つことだろう。剣の種類でパトスというのも面白い。
加工の過程で、刃の根元部分に虹彩に似た同心円状の模様が浮かんだため、仮にアイリスと名付けたこの剣にもナノ・コーティングが施してある。
キイの技量であれば、必殺、不殺ともに効果的に使えるだろう。
太陽光発電の電気による明るい光源にかざし、光を反射する刃紋の輝きに満足げにうなずいて、アキオは新たに作ったカーボン製の鞘に剣を収めた。
ちょうど、その時、扉がノックされる。
「みんなお風呂に入ったから、次はアキオが入っておくれ」
ユイノらしき声が言う。
「わかった」
アキオは工作室を後にした。
少女たちは、各自のパーティションにいるのか見当たらない。
もしかしたら、今夜も二人一組で寝るのかもしれない。
ドアを開け馬車を出た。
空を見上げると、いつも通り夜空には大きな三つの月が浮かんでいる。
今宵は、隣り合った二つの月が新月で、左端の小さな月だけが輝いていた。
雲はない。
風呂の幕を上げて中に入り、かかり湯をして湯につかった。
目を瞑ると、例によって、ナノ・マシンが喜ぶ幻影が見える。
しばらくそうしていると、風呂場に足音が近づき、かかり湯をして湯に入る音がした。
誰かが風呂に入ってきたらしい。