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528.曙光

「う……ん」

 優しく、ささやくように発せられた声でアキオは目を覚ました。

 (まぶた)を開けると、目の前に細かく震える耳がある。


 ピンと三角形にとがった美しい形の白い耳介(じかい)は、窓から入り込む曙光しょこうによってわずかにピンク色を帯びていた。


 彼は眠りながら、その耳に指を触れていたのだ。


 柔らかく、薄い耳介じかいは、豊かな白い髪を押しのけるように、形の良い頭の上でゆるゆると動いている。


 見下ろすと、彼の首に顔を押し付け、ルサルカが微睡まどろむように目を閉じていた。

 穏やかな寝息が彼の首筋にかかって心地よい。


「んー」

 再び彼女は声を漏らすと、頭に当てられた彼の左腕に手を伸ばし、腕を(から)めた。

 同時に足も絡ませる。

 まるで、格闘技の技を掛けられたような状態だが、少女たちと寝る際に、身動きをとれなくさせられるのはよくあるので、彼は気にしない。


 頭以外、身体(からだ)全体が無毛であるルサルカだが、手首と足首の前後だけは、柔らかい白毛が適度に品よく覆っている。

 その感触は、アキオに、かつて特殊任務で身を(ひそ)めたペルーの高山で共に暮らした気高い性質のヘアレス・ドッグのパウダーパフ個体を思い出させた。



 さっきの夢――彼女の髪に指を差し入れて頭を撫でながらアキオは考える。


 少女たちと眠るようになってから、夢を見たのは久しぶりだ。

 今でも、独りで寝れば夢を見るが、先ほどまで見ていたのは悪夢(ナイトメア)ではない。

 記憶の残り()残照(ざんしょう)というべきものだ。


 おそらく、ルサルカの乳白色の仮面、そしてネコ科の動物に似た耳の感触が、彼の埋もれた古い記憶を刺激したのだろう。

 ミリオンが宇宙に散ってから300年の時間が流れている。


 彼はもう一度、ルサルカを見た。

 釣り気味の大きな目は、今は柔らかな弓形(きゅうけい)を描いて閉じられている。

 その表情を見て、彼女(ミリオン)が生身であったなら、おそらく、こんな感じの生物であったのだろうとアキオは思う。


 もちろん、今の彼は兵士であると共に工学者でもある。

 ミリオンは()()()()()が、彼は単純な生まれ変わりリーインカーネイションを信じてはいない。


 彼が、消えてしまったシヅネを蘇らせるために()る方法は、超自然的な迷信にるものではなく、科学的なプロセスを用いるものだ。


 当然のことながら、消えてしまった存在を蘇らせるためには、その()()()()()が必要となる。

 無から有を生みだすことは、()()不可能だからだ。


 消えてしまった彼女を蘇らせるために、彼が最初に()ったのは、残留思念ざんりゅうしねん――ある人物が触れた物体に、その者の記憶、感情が残るとされる現象――の科学的な検出と抽出(ちゅうしゅつ)だった。


 超能力者や占い師同様、非科学的という理由で、それを直接読み取るとされるサイコメトリストの存在は、研究を始めたばかりの段階で否定した。


 数多くの友軍の死を眼にし、遺品に触れてきた兵士としての経験から、その信憑性(しんぴょうせい)には疑問を抱きながらも、彼は多くの実験を繰り返した。

 長い時間を費やし、光量子を使って()()()()()を浮かび上がらせることには成功したが、その精度も内容も実用にはならなかった。


 残留思念ざんりゅうしねんの利用に限界を感じた時に、彼は爆縮弾の攻撃を受けたのだ。


 そこで、彼は自身が別次元へ転移したことを知り、新たな可能性に気づいた。


 そのひとつが、全世界、全歴史の事象が記録されているとされる、アカシックレコードが存在する可能性だ。

 超常オカルト的にいうアカシャとは、かつて世をあまねく満たすと考えられたエーテルのようなもので、科学的にはすでに廃棄された考えだった。


 この世界に来るまでの彼は、そんな()()()()()巨大記録が、どこかに刻まれているなどと信じていなかった。


 我々の世界、事象すべてが、何かの装置の中で模擬実験シミュレートされている存在であれば話は別だが――


『それは、わたしたちを含めて、取るに足らない人生を歩む者たちが、せめて自分たちの生きた軌跡(きせき)を、()()()()()()()()()()()と願って作り出した空想の産物なのよ』

 かつて、アカシックレコードについて語ったシズネもそう言っていた。


 早くから次元(ディメンジョン)(・ホール)という奇病に冒されたため、正式な科学教育を受けていなかったとはいえ、彼女もヘルマンだ。

 その数学的才能、発想の飛躍と思考の速さは常人ではない。


 その彼女の言葉であるから、アキオは、最初からアカシックレコードの存在を否定し、無視していた。


 しかし、世界が、低位と高位の差こそあれ、無数の次元の泡につつまれた存在の一つであることが分かった今、彼には違う希望が生まれている。

 それは――


「可愛い子だね」

 抑え気味の、深く穏やかな声とともに、彼の右耳に息がかかった。

 そのまま耳たぶを甘噛(あまが)みされる。

「そうだな」

 アキオは首を回して、彼の右半身に体を乗せるラピィを見た。

「1000年生きてる人に、子っていうのはおかしいかな」

「気にはしないだろう」

「そうだね」


 当初から予想されたように、最近のラピイは、人間になった当初のはしゃぎぶりが影を潜め、落ち着いた口調になっている。


 地球の文化好きは相変わらずのようだが――


 今のアキオは、左半身を、猫に似たしなやかなルサルカの身体に押さえられ、右半身を薄い赤褐色をしたラピィのしっかりした体で押さえ込まれている、という状態だ。

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