527.ローン・サバイバー、
脱出ポッドは、直径3メートルの球形で、ハッチ横の説明板によると、収容人員は人間4名、機械化兵2名となっている。
アキオが、ミリオンを先に押し入れようとすると、彼女は、無事な右手でハッチ横のバーにつかまって抵抗した。
「あんたが先に入って」
「だが――」
「いいから」
そう言って、耳を震わせながら彼を中に押し込む。
今度はアキオが、ただひとつ無事な左手でバーを掴んで、入口に留まり、彼女に言う。
「早く入れ」
もう一度、小刻みにミリオンの耳が震えた。
「アキオ。あたしは自分が何者かわからない。アカネ母さんの脳が使われているのか、猫の脳とヒビト博士の作ったAIの混成機械なのか……ただ、あたしは、あんたのことは昔から知っている。それは確かだ。だから、大きくなったあんたに会えて嬉しかった。思った通り、いい男に育ってくれたね――昔より口数が多くなってるのも良い」
「ミリオン」
「あんたは信じないかもしれないけど、あたしは、母さんの膝の上で、スヅネと一緒にずっとあんたの話を聞いていたんだよ。ヘルメットを被っている時は、その記憶はブロックされていたけどね。今は色々と思い出した」
「もうすぐ隕石群が来る」
アキオの言葉にうなずきながらも彼女は続ける。
「あと少しだけ話をさせて欲しい……あたしは恋をするために作られたAI、らしい。ヒビト博士からそう聞かされた時は、それが嫌でね。なんで、たかが機械が恋をする必要がある?AIとして成長する過程で恋するならわかるよ。でも最初から恋することに特化されて生み出されるなんて、バカらしくて――恥ずかしいじゃないか。あたしがそういうと、ヒビト博士はうなずいて、そうかもしれない、そういったよ。そして続けて、それでも君にはこの世で最も素晴らしい経験を、どのAIより最初にして欲しいんだ。たとえ機械であっても恋はするべきなんだ、世界の色が変わって見えるからね、って。だけど、その時のあたしにはそれがわからなかった」
アキオは、残った肉眼の右目で彼女を見つめる。
「前線で拉致され、連れていかれたサイベリアでも役立たずの烙印を押された。あたしは悲しかった。だから、制御回路をつけて兵士らしくするといわれた時は、恐かったけどちょっと嬉しかったんだ。ブリーフィング・ルームで顔をあわせた時は、記憶が抑えられていたから、あんたが、あの時の小さなアキオだと気づかなくて、傭兵としての通り名である悪魔だと認識した。どんな地獄からも、ただ一人生還する単独生還者だと――あんたとふたりきりの作戦だと知った時、奴らは、あたしを捨て駒にするつもりだってわかったよ。役立たずのAIにちょっと手を加えて、単独生還者の手助けにしようってね。だから、あんたに突っかかってしまった。ごめんよ」
「その話は後で聞く。早く乗れ」
「衝突まであと何分?」
アキオは、バーを掴んでいた手を離して、携帯端末を取り出した。
「あと1分――」
突然、彼はポッドの奥に突き飛ばされた。
彼を押したミリオンは、その反動でいったんポッドから離れたが、すぐにプラズマ・ジェットで戻って来る。
そのまま、ハッチ横の緊急発出ボタンを押した。
アラートが響き、赤色灯が点滅し始める。
内側の透明ハッチが締まり、ついで外部ハッチが閉まった。
ベゼルが回転して固定される。
「脱出ポッド射出シーケンス起動、射出30秒前、29,28……」
コンピュータの合成音が、カウントダウンを始める中、ミリオンが短距離通信で彼に話しかけた。
「アキオ。ごめんよ。あたしはいけない」
そう言って、ハッチのガラス窓に顔を近づける。
「なぜだ」
彼の質問に、ミリオンは、仮面の左側を見せた。
「それは――」
彼女の頭部から、植物の芽が伸び始めている。
「ヘルメットが外れた時に種を仕込まれたんだろうね。手足なら切断できるけど頭は無理だろう」
ミリオンは、ふふ、と笑って続けた。
「アキオ、だから、あたしは行けない。あんたは生きて!単独生還者なんだから」
「今から扉を開ける。極低温冷却すれば、浸食を止められるかもしれない」
「ダメだよ、アキオ。もしあんたにうつったら大変だ。それに、これは絶対に地球に持ち帰ってはいけないモノだからね。でも、ありがとう。いまになって、あたしはヒビト博士の言葉がよくわかる。この真空の宇宙に浮かぶ鉄の箱、エマージェンシーの赤いライトが点滅するエアロックでさえ、あたしには輝いて見える。あんたを好きになったから――わかってる。これはあたしの一方的な恋。だけど、あたしは猫だからね。名前のとおり百万回生まれ変わることができる。だから、何年たっても、あんたがどこに行っても、生まれ変わってあんたに会いに行く。その時は、あんたにも好きになってもらって、あたしの耳にいっぱい触ってもらうよ。そうされるのが好きなんだ。今回は少ししか触ってもらえなかったから――」
ばっと彼女の仮面が弾け散った。
内部で増殖する植物の圧力で、仮面が破壊されたのだ。
あっと叫んで、ミリオンが片手で顔を覆う。
「み、見ないでアキオ、仮面の下の機械の顔は醜いから」
「ミリオン」
アキオが名を呼んだ。
その背後では、刻々とカウントダウンが続いている。
「こっちを見ろ」
おずおずと彼女が彼を見た。
指の隙間から、細かいユニットとそれをつなぐ配線が見える。
「君は美しい」
機能的な機械配列の美しさなら彼にもわかるのだ。
ミリオンが叫ぶ。
「ありがとうアキオ!待っていて、あたしは――」
室内に響く、ゼロ、という声と共に脱出ポッドは射出された。
手を伸ばすミリオンの姿が一瞬で遠ざかり、アルフォートは隕石群の飛来によって完全に破壊される。
アキオのポッドも被害を受けた。
隕石によってではない。
壊滅直前のアルフォートからミサイル攻撃を受けたのだ。
本来なら、脱出ポッドが自軍の基地から攻撃されることはない。
だが、ドライアドが介入した基地システムには、何らかの異常が発生していたのだろう。
かろうじて直撃を躱したアキオのポッドも、推進力を奪われ宇宙空間を漂うことになった。
最低限の生体維持機能を残して冬眠モードに移行した彼は、25日後に、単独生還者としてサイベリアの無人ロケットによって回収された。
それは、修復のためにシステムに仮接続されたミーナが、サイベリアのメイン・コンピュータをクラッキングし、強制的に打ち上げたロケットだった。
サイベリアの司令部は、彼から有益なデータを回収したという連絡が入らない以上、アキオを救出するつもりなどなかったのだ。
ミーナは、本来なら破壊されるところを、当時、サイベリアにとって最大の懸案事項であった擬態兵器掃討作戦に、ヒト型攻勢兵器へ塔載されて参戦することで、かろうじて生き延びることとなった。
彼女のクラッキング能力の高さを恐れた首脳部から、本体ではなく機能制限された複製が投入され、生還後、本体と記憶が統合されたのだ。
だが、それはサイベリア戦史上、最低最悪の作戦であり、後に人格を得た彼女にとって、長く心的外傷となる戦いだった――
アルフォート作戦から1年後、無謀な戦いに数度参加させられた末に、アキオはトルメア軍の捕虜となり、数奇な経緯から王国の正規兵に組み込まれ、さらに2年後、彼にとって最後の兵役であるサイベリア9月革命島要塞へ、謀略によってただ独り送り込まれた。
ワンマン・アーミーとして基地を破壊したアキオは、その代償として大量の放射線被曝を受け、身体の85パーセントを失った後に、極地で彼女と出会うことになるのだ。