526.対決
アキオの目の前で、破片になったメモリ・チップが、漂っていく。
「ごめんなさい……」
「その行動は、ヘルメットが壊れたからか」
彼が尋ねる。
静かな口調だ。
「どうかな――たぶん、そう。今が、もともとのあたしに近い」
アカネのような口調でミリオンが答える。
「でも、あたしは自分が博士の奥さんだとは思えない。どちらかというと、奥さんの膝の上であんたの話を聞いていた記憶の方がはっきり残ってる」
アキオは首を横に振った。
もし、彼女が猫の脳を使ったAIであったとしても、動物の脳が人語を解して、それを記憶しているとは思えない。
共に戦った幾多の経験から、彼らが賢いことは充分知っているが、動物の利口さはそのようなものではない。
おそらく、AIがデータベース化されたアカネの記憶を、自分のものだと勘違いし、そう思い込んでいるのだろう。
あるいは、事故で損傷を受けたアカネの脳を主に、AIで補助して使っているため、記憶が曖昧になっているのか――
いずれにせよ、アカネの正義感によって彼の任務は失敗に終わった。
成功報酬として、ミーナを完全修復してもらうことも難しくなった。
次の、さらなる危険な任務の報酬として彼女を元通りにしてもらうしか方法はないだろう。
あるいは――
「ダメよ」
ミリオンが彼の腕に手を掛けて言う。
耳が動く。
「ドライアドの種子も、トリフィド兵も、地球には持ち帰らせない」
瞳の無い、乳白色の仮面の顔が、真剣に彼を見つめる。
その時、バキバキと樹の砕ける音が響いて、ゆっくりとドライアドの樹が倒れ始めた。
アキオが放った高出力レーザーで、巨大な幹が内部から引き裂かれたためだ。
床に張り巡らされた、ドライアドの太い根に足を絡めたトリフィドたちは、なぜか動きを停止している。
「アキオ!」
彼の名を叫んだミリオンが、ドライアドを指さした。
彼女の指の先には、虚から折れたドライアドの根元があった。
幹の直径は大きく、虚は前面から3分の1も達していない。
その巨大な幹の中央部分に、剥き出しになった巨大な緑色の物体があった。
ドライアドの脳だ。
植物の脳とは奇妙は表現だが、それは脳と呼ぶより他ないものだった。
巨大ではあるが、人間の脳と寸分たがわぬ形状で、緑がかった半透明のゼリーに似た材質でできている。
アキオは腕のレーザーを起動させ、脳を狙い――彼には珍しく、ほんの一瞬だけ躊躇した。
あれを持ち帰れば任務は成功する。
ミーナが完全修復される。
だが――
戦闘中の躊躇は致命的だ。
「アキオ」
叫びながら彼を突き飛ばしたミリオンの左手と右足が吹き飛んだ。
一斉に活動を再開した樹木兵が、腕の緑槍で攻撃したのだ。
アキオは、銃を握ったままの彼女の右腕を掴んで引き寄せ、手にしたナイフで、破損した腕と足を根元から切断した。
最初に、この部屋で受けた攻撃から、槍を通じても、機械体が浸食される事が予想されたからだ。
アキオはミリオンを背に回し、全身に埋め込まれた16の射出口を開くと、ナパーム球を打ち出した。
ペンシル・ミサイルの照準を緑の脳にロック・オンし、2基発射する。
女王は蔦の鞭でミサイルと防ごうとするだろうが、AI塔載、自動追尾式のミサイルは必ず彼女を破壊するだろう。
しっかりとミリオンを抱き寄せると、エア・ジェットを噴射して、脱出ポッドへ続く出口へ向かう。
ナパーム球によって、バッと吹き上がる炎が、ふたりの背を照らした。
「銃をくれ」
「はい」
受け取ったM93Rのセレクタをフルオートにし、ドアの前で待ち受けて槍を打ち出すトリフィドを排除する。
扉まであと数メートルのところで、断末魔の叫びに似た低周波の響きが背後から襲い、遅れてミサイルによる爆風がやって来た。
アキオは、左腕に2基残ったミサイルの一発を使って扉を吹き飛ばし、ミリオンを抱いたまま背後を見る。
凄まじい光景だった。
過剰植物によって酸素濃度の濃いボタニカル・エリアに、彼によって放たれた複数の火種は、一気に植物に広がり、巨大な炎が植物の楽園を地獄に変えていた。
その中央部に、ひと際大きな炎があった。
ミサイルを躱しきれずに爆発、炎上したドライアドだ。
あの炎では、動けない彼女の脳は焼き尽くされたことだろう。
かつての、脆い居住ブロックの継ぎ足しで作られていた宇宙ステーションでは、火災時には消化器を用いていた。
その後、基地素材の強度が高まると、火災時には、隔壁を閉じてそのブロックの空気を抜くことが主になった。
ドライアドが無事なら、彼女の手によって、消火作業が行われ、空気が無くなるはずだが、何の対処も行われていない。
つまり、彼女は死んだのだ。
背を向けたまま、アキオは壊れた扉をくぐった。
マップによると、扉のすぐ先が脱出ポッドの格納庫のはずだ。
扉を抜け、エア・ジェットを使って振り向いた瞬間に攻撃を受けた。
反射的に、アキオはM93Rの引き金を絞る。
20メートルほど先の、脱出ポッド格納庫前に並んでいたトリフィド兵と枯れたヒマワリのような種子発射器官を粉々に破壊された。
最後のトリフィドたちだ。
植物兵たちは全滅した。
だが、彼の受けた被害も、また深刻だった。
左目が種子によって潰され、右腕と両足も被弾している。
迂闊だった。
あの、利口な女王が、脱出する人間がかならずやってくる場所に、罠を張らないわけがなかったのだ。
「ミリオン。無事か」
「あたしには当たってない。それより、問題はあんただ」
彼女はそう言って、彼の左手からナイフを取り上げた。
アキオから離れて宙に浮かぶ。
「いい?」
彼がうなずくと、素晴らしい速さでナイフが一閃し、装甲の弱い接合部から右腕と両足が切断された。
M93Rを握ったままの右手が宙を流れていく。
「まだよ――ごめんね。アキオ」
そういって、ミリオンは、彼の左目に指を突き入れて、生体義眼を抉りだした。
血が吹き出る。
彼女は、取り出した種子を彼に見せてから遠くへ投げ捨てた。
「行きましょう」
ミリオンは、無事な方の右手で彼の左手を掴み、残った左足のプラズマ・ジェットを小刻みに噴射して脱出ポッドのハッチに辿り着く。
二重扉の内部ハッチを開けた。