525.愚か者の城5,
すでに、こと切れている博士は、血を流さぬままゆっくりと回転しつつ虚の外へ漂っていく。
水中の海藻のように金髪が揺れた。
ふと、彼は髪に隠されていた、彼女のうなじにできた奇妙な穴を目にする。
が、すぐに彼はペンダントの鎖を左手に素早く巻きつけてメモリを掴んだ。
撃ち込まれた種子が、身体を浸食するのを感じて、胸部周りの回路を遮断する。
両肩と腰に内臓された4つの補助電脳を起動し、手足をそれぞれ独立して制御させた。
脳と身体各部が、暗号化された特殊プロトコルで基本情報のみをやりとりし、あとの動きを補助電脳に一任する行動形態だ。
本来は、機械化体の動きを音速レベルにまで高めるための手段だが、今回のように身体がクラッキングされ、支配されそうになった際にも使用可能な技術だ。
アキオは、ベルトのバックルに似せたボックスから、ジャルニバールの噛み煙草を取り出して口に入れた。
身体各部の制御を、それぞれの補助電脳に移す、このやり方の問題点は、それによって脳への負担が軽くはならない、ということだ。
それどころか、身体を動かした結果報告として大量に送られてくるデータで脳が著しく疲弊してしまう。
だから、補助電脳を持つ機械化人は、強化剤としてのジャルニバールが不可欠となるのだ。
胸に開いた穴から植物が伸び始めた。
あり得ない速さの成長ぶりだ。
一兵卒である彼に、科学的なことはわからないが、以前、耳にした、細胞分裂のクロック数を底上げして驚異的な速さで治療を促す技術が研究中だという噂が頭に浮かぶ。
夢物語だと思っていたが、ドライアドには、その技術が使われているらしい。
手足を動かして、補助電脳の起動を確認したアキオは体表に高電圧をかけた。
本来は、身体に付着した粘着物、さっき彼が使用したナパーム球などを焼き尽くし、身体にしがみつく敵を振り払うためのものだが、現在のように、入り込んだ寄生兵器を破壊することもできる。
体内を浸食しながら、信じられない速さで増殖しつつあった複数の植物が、焼き尽くされて煙を上げた。
同時に、アキオの全身にあるカバーが一斉に開き、それぞれが眩い光を放ち始めた。
前腕、二の腕、肩、背中、大腿部、脛から、高出力レーザーが照射される。
その姿は、あたかも針千本が全身の棘を立てたようだ。
輝く光は、円を描いて移動し、ドライアドを内部から切り裂いた。
叫びは無い。
知的植物は、まだ発声器官を持っていないのだろう。
だが、地鳴りのような震動が足下から響いて、怪植物が苦しんでいる様子が伺える。
いきなり 彼めがけて数多くの緑の槍が突き出された。
虚の外からだ。
補助電脳によって自動的に身体が反応し、槍を回避し叩き折る。
が、数十本の槍のうち、一本が彼の左腕を貫いた。
すぐに右の手刀が反応し、それを砕き、抜きとる。
眼を向けると、10体ほどのトリフィド兵が、虚を囲んで立っていた。
その時、アキオは初めて樹木兵の姿をはっきりと確認する。
体長は2メートルあまり、全体の体形は人型だが、頭は円錐状に尖っていて、眼はなく、かわりに顔の部分に、いくつか他の部分と色の違う感覚器らしい器官が出ていた。
人間でいう顎のあたりに小さな口らしきものが開いていて、そこから、ギッともゲッともとれる、奇妙な声を発している。
手は槍状に尖り、足は2本で先端が根のように分かれて身体を支えていた。
表皮は樹そのものだ。
不意に、彼は左腕に違和感を感じた。
見ると、槍に貫かれた腕から、樹の芽が伸び始めていた。
再び、電圧で焼き尽くすと共に、アキオのレーザーが火を噴いた。
トリフィド兵がバラバラになって崩れ落ちる。
しかし、すぐにその後ろから別な樹木人が現れた。
なるべくなら、エネルギー消費の多い放電と高出力レーザーは使いたくないが、触れた場所から浸食される可能性があるので、うかつに格闘戦を行えない。
当初の予定どおり、植物を焼き払ってしまいたいが、それはどこかにいるミリオンと合流してからだ。
新たに現れたトリフィド兵をレーザーで倒した後、虚から飛び出そうとして、彼は身体の動きが鈍くなるのを感じた。
エネルギー・レベルが低下している。
アキオは腕からナイフを抜き出した。
横一列になって、彼に近づくトリフィド兵に向けて構える。
かなりまずい状況だった。
エネルギーの残りは少ない。
敵に触れられれば侵食される。
だが、動かなければさらに状況は悪くなるだろう。
彼は虚を飛び出した。
自動的に低電力モードに入ろうとする身体を騙しながら動かして、ナイフでトリフィド兵を切り裂いた。
自らの身体しか武器を持たない樹木兵は、為す術なく斬り裂かれる。
彼らが、基地に残された人間の兵器を使っていないのが救いだった。
もっとも、壁に穴が開くことを恐れて、宇宙ステーションには基本的に銃器の類は置かれない。
電気ショックを与える棒が使われる程度だ。
それでも、数多いトリフィド兵が電気棒で武装して襲ってくると、今よりさらに厄介だっただろう。
だが――彼は、敵が想像以上に手ごわいことを知った。
さっき倒した兵士の身体が異常な速さで復元され、再び立ち上がり始めたのだ。
やはり、焼き払わないと、完全に息の根を止めることはできないようだ。
数を増やしたトリフィド兵の腕から伸びる槍に直接触れないように、交わし、切り裂いているうちに、彼は植物兵に囲まれた。
先頭集団が、彼に近づいてくる。
アキオは、唇の片端を吊り上げて敵を見た。
こうなれば、前の敵をナイフで薙ぎ払い、圧の下がってきたエア・ジェットで脱出するほかない。
身構えた彼が、前に出ようとした時、一番前にいた兵が吹っ飛んだ。
キリモミしながら、次々と彼から離れていく。
「アキオ」
頭上から声がした。
ミリオンだ。
「大丈夫?」
「問題ない」
彼女は単射で丁寧にトリフィドを打ち倒している。
アキオは、その隙にエア・ジェットで空中に脱出する。
空中にいるミリオンの横に並ぶ。
彼女は、200キロ以上ある体重とプラズマ・ジェットの小刻みな噴射をうまく遣いながら、無重力下で9mmパラベラム弾の反動を消しつつ銃を撃ち続けている。
「援護が遅れて悪かったわ。なかなか反動を制御できなくて」
「うまいものだ」
アキオは正直な感想を述べる。
230キロの質量に対して、9.5グラム、初速300m毎秒の弾丸のエネルギーは、大した事はないが、無重力状態で宙に浮きながらの射撃だとその反動はバカにならない。
「これからの予定は?」
「念のために、火炎弾と火炎球で森ごと焼き払って脱出だ」
「それがいいわね。こいつらは危険すぎる。隕石でステーションが破壊されたぐらいでは、生きたまま地球に落ちかねないもの」
そう言って、ミリオンはアキオに手を伸ばした。
「だから、申し訳ないけど、これも持ち帰ったらダメね」
そう言って、彼女は、博士のペンダントをつかんで粉々に握りつぶすのだった。