523.愚か者の城3、
「え」
ミリオンが彼の顔を見る。
表情が変わらないので、何を考えているかはわからない。
「なぜ、わたしを博士の奥さんだと思うの」
「ちがうのか」
アキオが言う。
ヘルメット、つまり洗脳装置が壊れてからのミリオンの言動は、妙にアカネを思い出させる――
先ほどからの彼女の口調、さらに、いま口にしたオーグルは、かつてのネオ・ネイシアでのみ使われた通貨単位だ。
電子通貨が主となった現在では消滅してしまったし、他では使われたことはないはずだ。
なにより、いかにヒビトの技術が入っているとはいえ、ミリオンはAIとして完成しすぎていた。
これまで世界を転戦し、多くのAI兵器を見てきたアキオだが、ミーナ以上の人工知能は存在しなかった。
不遇の天才であったサルヴァールが組み上げ、20年の知識と経験を蓄積したミーナよ、ミリオンが進んでいるなどとは、にわかに信じられない。
もっとも、実際には、ミーナ自身がその事実を隠そうとする上、彼も彼女の能力を公にする気はないため、軍におけるミーナの価値は低い。
だからこそ、前回行われた西ユーラシアのユークレイン、ウマニ戦線で破損した彼女の修復をさせるため、交換条件として傭兵であるはずの彼が、ほぼ片道切符の危険な任務に応じなければならなかったのだ。
ミリオンのAIとしての完成度の高さ――彼女がAIと称しながら、彼同様にヒトの脳が使われているサイボーグなら理解できる。
噂では、数年前にアカネは重大事故にあって現在では消息不明のはずだ。
そのために、彼女が機械化されて生きているなら納得できるのだ。
「ちが――わからない」
ミリオンが詰まりながら答えた。
「わからない」
「わたしはミリオン、博士の飼い猫だったことは確かよ。でも、ヘルメットが壊れてから、時間が経つにつれて、どんどんアカネとしての記憶が蘇ってきているのもわかる。あんたはアキオ、リトルボーイ。ダビデとゴリアテの戦い……わたしとヒビトの命の恩人――でも、あんたは、もっと不愛想な子供だった」
彼は、口許を僅かに動かせる。
「作戦行動中は色々話すさ」
「そう――そうだね。とにかく、たしかにアカネの記憶はある。でも、やっぱりあたしはミリオンなんだ。よくわからないけど……」
「わからないなら、今はいい」
彼は言った。
噂では、アカネは娘をかばって頭部を撃たれたと聞いている。
2年前だ。
損傷した脳と補助のAIで、現在のミリオンが出来上がったのか。
あるいは、AIに猫の脳を加えて感情を再現し、サルヴァールがやろうとしたように、それにアカネの知識を与えて、彼女を蘇らせようとしたのか。
アキオは首を振った。
それは後で良い。
今は時間がないのだ。
「到着だ」
そう言って、アキオはボタニカル・エリアの扉の前で止まった。
「作戦をいう」
彼は、彼の傍で宙に浮くミリオンの肩に手を置く。
「必要なのは、ドライアドの近くにいるはずのローゼリアが持つメモリだ」
アキオは、大腿部のカバーを開けて、銃をつかみ出した。
スライドを持ってミリオンに差し出す。
「使い方は」
「ベレッタM93R。データバンクにあるよ」
彼女が受け取ると、ベルト横についたポーチ型のケースを開いて、予備弾倉を取り出した。
ミリオンに渡す。
「中に入ったら俺はドライアドに向かう。援護してくれ」
「あんた、武器は」
「これだ」
アキオはナイフを見せる。
「それだけじゃあ」
「戻ったのは、アカネの記憶だけなんだな」
アキオは腕のカバーを、一斉に開いて内蔵された武器を見せた。
「俺の身体は全身が武器だ。任せろ」
「ほんとだね。本当に大丈夫なんだね。あたしは自己犠牲は嫌いだよ」
その口調、内容はまるでアカネのようだ。
アキオは、思わずミリオンの頭を叩いた。
耳を撫でて言う。
「俺も嫌いだ」
「そ、そうかい。分かってたらいいよ」
「では、開ける」
「了解だ」
アキオはドア横のパネルを操作した。
シュッと音がしてドアが開く。
前回と同様に、濃い靄が中から溢れ出した。
「いくぞ」
彼の言葉で、ふたり同時に眩い光の中に飛び込むのだった。