517.退避
「どうするの?」
意外と落ち着いた声でミリオンが尋ねる。
一応、作戦行動の概要はブリーフィングで与えられているが、アルフォートは15年以上前に廃棄された古い衛星基地であるため、内部の詳細データもところどころ失われているらしい。
ゆえに、発生する不測の事態への対処は現場の判断、つまりリーダーであるアキオに一任されている。
今回、潜入すべき基地から、迎撃ミサイルに照準されるという事態が正しくそれだ。
「取り得る行動を取るさ」
アキオは答えた。
「それは?」
「緊急脱出だ」
そう告げると、彼は指で制御盤の上にある警告マークのついた蓋を開け、中のロータリースイッチを90度回した。
室内灯が赤く変わり、さらなる警告音が鳴り響く。
次いで、拳を握りしめて、その隣の大きな赤いボタンをゆっくり押した。
人間用に作られたスイッチだ。
彼の力で普通に叩けば壊れてしまう。
アキオは首付近にあるスイッチを押し込む。
頭の後ろから折りたたまれたヘルメットが組み上がり、瞬時に彼の頭部を包んだ。
ほぼ同時に、空気の抜ける音が響いて、天井に光の線が走った。
すぐに光は左右に広がっていき、天井全体が真ん中から割れて、巨大な地球が現れる。
壁に5つ並んだランプが上から点灯し、最後の1つが点くと――
ふたりの身体はシートごと宇宙に放出された。
「しばらくこのまま椅子から離れるな」
彼は、短くヘルメットについた無線でミリオンに言う。
「了解」
ミリオンが答える。
彼女は最初に会った時から、ずっとヘルメットを被ったままだ。
射出の際の僅かなはずみでモーメントを与えられた2つの椅子は、奇妙な角度で回り続けながら、ブラック・ペンシルから離れていく。
「俺の合図で椅子から離れる。3、2、1、マーク」
合図にあわせて、ふたり同時にシート横の解放スイッチを押して磁気を切る。
アキオは身体が背もたれから離れると、強靭な脚力で基地へ向かって椅子を蹴った。
ミリオンもそれに倣う。
その瞬間、基地から打ち出されたミサイルによって、ブラック・ペンシルが大破した。
暗い宇宙に眩い光が炸裂する。
「まるでテルミット反応みたいね」
通信を通じてつぶやくAIの言葉を聞いて、アキオはうなずいた。
テルミット・プロセスとは金属酸化物とアルミニウムの混合粉末を燃焼させると還元反応を起こして激しく発光、発熱する化学反応だ。
ミリオンは感情豊かに装ってはいるが、さすがは軍事用に戦闘特化された人工知能だけに冷静だ。
たった今、地球へ帰還する術を失くしたのに、この反応はありがたい。
だが無線はまずかった。
アキオは、手足とボディの各所についた噴射口から、短く圧搾空気を噴射してミリオンに近づいた。
左手で彼女の手を取って引き寄せる。
真空中だが、ゴンという金属の身体同士がぶつかる音がボディを通じて聞こえてきた。
ほぼ同時に、右手でベルト・ポーチに似せたワイアー・ケースからケーブルを引き出して、ミリオンのベルト部分にあるコネクタにジャック・インさせる。
〈無線は使うな〉
ヘルメットの中でアキオが話しかけた。
〈ああ、了解。基地に察知されるものね〉
ミリオンが答える。
〈俺たちの身体は、お互いステルス性能が高い。このサイズなら、おそらく基地には気づかれないだろう。俺のエア・ジェットで対人ハッチに向かう〉
〈了解〉
アキオは、腕をミリオンの胴体にまわし離れないように固定した。
ほぼ同じタイプの機械化ボディだが、細かい特殊機能を追加してあるアキオの体格の方がミリオンより大きいため、しっかりと彼女を掴むことができた。
「アルフォートは、本当にサイベリアの衛星基地なのか」
小刻みなエアの噴射で姿勢制御しながら基地へ向かいつつ、アキオが言った。
「――」
ミリオンは答えない。
「どうした」
「なんでもない」
「そうか」
彼がそう言うと、ミリオンはアキオの腕を掴んだ。
「……までに」
「なんだ」
「死ぬまでに、こんなふうに、他人に抱かれるとは思わなかった」
怒ったように言い放つ。
「嫌か――だが、君のジェットはプラズマ・タイプだ。静かに近づくには――」
「そんな意味じゃない」
「そうか」
それきり、アキオは黙る。
彼らの頭上には、巨大な地球が渦まく白い雲をまといながら輝いていた。
少しずつ、巨大な衛星基地が近づいて来るが、推進力が弱いため、到着まではまだしばらく時間がかかりそうだ。
「わたしは――」
アキオにつかまりながらミリオンが言う。
「人工知能――ヒビト博士が生み出した、言葉原則に従って、多くのパターンから次に話すべき言葉を選び出し、あたかも自我をもつかのように振舞うことを命じられた存在だ」
「そうだな」
「それだけなら他の多くのAIと変わらない。だが、わたしには感情回路という余計なものがついている」
「猫の組織、か」
「そう、あれがあるおかげで、わたしの言動は、すぐに論理から離れてしまう」
AIの言葉に苦さが滲む。
「アキオ、お前がわたしの身体をつかんだのは、静かに基地に近づくために過ぎないことを、わたしは理解している。だが、同時に、お前に抱かれているという事実が、わたしの感情回路にさざ波を立てるのだ」
アキオは、ミリオンを見た。
当然だが彼女の仮面に表情は浮かんでいない。
だが――アキオは思う。
ヒビト博士も、厄介な存在を生み出したものだ。
彼は、ミリオンの言うように、ただ移動のために彼女をつかまえただけに過ぎない。
それなのに、このネコの感性をもつAIは、今後の作戦行動に支障が出るほどの影響を受けているのだ。
顔を合わせて以来、アキオは、ミリオンという存在に奇妙な違和感を持ち続けている。
もともとはヒトである自分が、戦闘機械になるために感情をこそぎ落とされているというのに、初めから感情が無く戦闘機械として理想的なはずのAIが、わざわざ感情回路をつけられているのだ。
何を目的としているのか。
単にAIとして、ヒトに近づけるためにやっているとも思えない。
彼にはヒビトの考えが分からないのだ。
「さっきの話……」
しばらく黙った後、ミリオンが落ち着いた口調に戻って言う。
「アルフォートは、確かにサイベリアの研究基地だったはず。あんたは、なぜそうじゃないと思う?」
「15年程度で基地の詳細データが消えるのはおかしい。それに持ち出すべき重要データが保管されている場所の詳細が分からない、というのも妙だ。そして最後はこのミサイル攻撃だ」
「アルフォートの名は、究極の要塞から名付けられたと聞いている。それほど機密性の高い基地だったんだろう。そう考えればこの攻撃も納得できないか」
「廃棄の理由を知っているか」
「公式には発表されていないわね」
彼は黙った。
おそらくアルフォートには裏がある。
今後の行動は、それをもとにして慎重に行う必要があるだろう。
「ついたぞ」
アキオは、基地の地球側にある対人ハッチ横のバーにつかまると言った。