515.急務
人気の無い通路に、モーター音と重厚な足音だけが響く。
扉を開けると、薄暗いブリーフィング・ルームで、巨大スクリーンを前に正規軍のワシーリオ中佐ひとりが座っていた。
深夜0300時の緊急呼び出しだ。
通常の作戦行動ではあるはずがない。
だが、どんな危険な任務であっても、今の彼にそれを断ることはできなかった。
彼が身分と名を名乗ると、中佐は身振りで席につくように示した。
「よく来てくれた。我々は、これまでの君の功績には敬意を評している」
言った後、彼は手許のタブレットを見ながら確認するように続ける。
「君は第3区域での作戦行動経験は豊富だな」
彼はうなずいた。
大国の正規軍だ。
どうせ、彼の戦歴などすべて把握されているだろう。
「君に0600時より開始される、第3区域にある我が国の基地アルフォートからの、機密データの回収作戦参加を命じる」
単独任務なのか、と尋ねると、中佐は彼の背後を指さした。
驚いたことに、そこには、彼にまったく気配を感じさせないまま、闇にまぎれて大きな身体の兵士が座っていたのだった。
「KZ9だ」
中佐が紹介する。
「KZ9、彼はアーチャー」
上官の紹介で、彼は立ち上がって兵士に近づくと手を差し出した。
「なんの真似?」
微かに音声合成の特徴の残る声で兵士が尋ねる。
女性の声だ。
任務が終わるまでよろしくたのむ、と彼が言うと、
「お前はバカか。わたしはKZだぞ」
冷たく言い返される。
それに答えず、彼は彼女の隣に座った。
並んで中佐の始めるブリーフィングを受け始める。
指示が終わると、ふたりは連れ立って部屋を出た。
人気のない、長い通路を行く。
機械化兵が通ることを想定された幅広の廊下なので、お互いに大きな体でも問題はない。
横並びで歩くことができる。
ただ、金属筋肉がまだ開発されない時代のため、駆動素子が旧式のサーボ・モータなので、お互いの動作音がかなりうるさい。
「お前もバカだな。こんな任務に志願するなんて」
目的地に着き、作業員の指示に従って、狭いドライビング・ポットに向かい合って座るとKZ9が話しかけてきた。
彼は彼女を見る。
ここから先は、二人きりの任務だ。
KZ9の顔は、整ってはいるが乳白色のプラスティック・マスクだった。
ゆえに表情に動きはない。
彼が、自分は志願ではなく、指名されたのだと言うと、
「あんたいったい、どこの部隊?どんなヘマをやらかしたのよ」
呆れたように言うKZ9に彼は答えた。
「俺は傭兵だ」
「金で雇われたの?」
驚く彼女に、彼は傭兵団の名を告げる。
「ああ、そういえば、特殊任務のために有名な傭兵部隊を雇ったっていってたわね。でも、傭兵なら、むちゃな命令は拒絶できたでしょう。なぜ断らなかったの?」
「事情がある」
その時、軽いショックがあって、ポッドが動き始めた。
パイプのつなぎ目で聞こえる通過音の唸りが、低周波から高周波に変わっていく。
「まあ、見ての通り、お互い完全な生身じゃないから、この任務に駆り出されたんだろうけどね。あんた生身のパーセンテージは」
「20」
「胸から上ってところね。わたしは――わかってるわよね。スプーン一杯ってとこかしら」
「名前は」
「KZ9」
「個人名だ」
「わたしの名?それにいったいどんな意味が……」
彼女は少しためらった後、言う。
「ミリオン、昔、そう呼ばれていた――らしい。飼い主から。あんたの名は?アーチャーなんて、どうせコードネームでしょう。目と髪の色からすると、アジア系?」
「アキオ・シュッツェ・ラミリス・モラミス」
「じゃあ、アキオって呼ぶよ。どうせ、ふたりともこのイカれた任務で死ぬんだから、それまでは仲良くしないとね」
ミリオンが、くだけた調子になって言う。
アキオがじっと自分を見つめているのに気づいて尖った声を出す。
「あんた、うまく話すもんだと思ってるね。シリコンと猫の脳を機械化体に詰め込んだマガイモノがさ」
「たいしたものだ」
本心からアキオは言う。
彼が、噂に聞くAI、KZシリーズと話すのは初めてだった。
ミーナで分かるように、AIの開発で難しいのは、人工知能に自我を持たせることだが、同時に情動を持たせることも難しい。
ミーナがいつ自我を持つのか、あるいは最後まで持たないまま終わるのかは分からないが、今のKZ9を見る限り、感情とそれに突き動かされる行動の自然さは、彼女より数段上だ。
かつてアメリカの警察犬が「イヌ科の」を表す英語「ケイナイン」の発音へ当て字をして、K9と表記されていたように、最新型AIは、猫のドイツ語カッツェからKとZを取ってKZと呼ばれている。
その理由は、猫の脳を培養、強化した組織をカプセル化し、AIにリンクさせることで、より生物的な反応をさせるからだ。
兵士であるアキオは、その道具がどうやれば効率的に動くかには興味はあるが、動作原理、つまり科学には、まったく興味がない。
彼は生まれながらの殺人機械なのだ。
詩も物語も科学も彼とは無縁だ。
僅かに、各地の歴史と地政学的な知識は、捕虜になったり単独行動になった際に、生き残るための術として興味を持ち、身に着けてもいるが――
敵地に潜む際に、会話ができるのはもちろんとしても、その地の知識がなければ、たちまち馬脚を現して捕まってしまう。
そんな彼であったが、数年前に戦力として投入された戦闘用AI、KZシリーズの話は耳にしていた。
ミーナがらみで、AIの話題を意識的に集めているからだ。
実際、目の当たりにしてみると、KZの能力はたいしたものだった。
会話をしても、防御マスクを被った機械化兵と話をしているとしか思えない。
「KZ9という名前は、9体目ということか」
「そう。KZシリーズは、今のところわたしが最後。7体はトルメアで、2体はここサイベリアで稼働してたけど、任務でほとんど破壊されて、今、満足に動くのはわたしだけ。博士は悲しんでいるだろうな」
「博士――君を生んだ者か」
「そう、老衰で死んだ兄弟と共に、わたしの脳を使って、蘇らせてくれた人。さっきの名前は、博士の奥さんがつけてくれたんだ。猫は100万回生まれ変わるものだっていってね」
「猫の時の記憶があるのか」
「まさか、ヒビト博士とその奥さんがあとで教えてくれたんだよ」
アキオの表情が少し変わる。
「ヒビト・ヘルマンか。妻はアカネだな」
「そうだよ。良く知ってるね。まさか、知り合いなんてことはないよね」
彼は答えない。
ただ、脳裏には、一見頼りなさそうな青年の姿が浮かんでいた。
ヒビト・スズキ・ヘルマン――
この数年、新しい技術が投入されるたび、必ずヘルマンの名前がそれについてくる。
猫の神経細胞を、どう使えば、ミリオンのような人間らしい反応になるか、彼には想像がつかない。
一般の人間の科学は、記憶の操作も継承も、未だ満足に実現できないのだ。
サルヴァールが生きていたら、妹を蘇らせるために、ぜひ知りたがったことだろう。
アキオは緩やかに首を振ると、ベルトのバックルに似せた部分を押した。
一センチ四方のガムのようなものを取り出す。
「いいか」
ミリオンがうなずくのを見て、それを口に含む。
しばらく噛んでから、歯茎と頬の間に挟んだ。
「噛み煙草なんて珍しい――ああ、ジャルニバールなのか!」
アキオはうなずく。
「全身機械化した人間には幻体痛があるから厄介だね。それがないだけ、わたしの方がマシか」
いってから乾いた笑いを立てて続ける。
「もともと生きちゃいないんだから、痛みもないけどね」
ドライビング・ポットの速度が下がり、やがて停止した。
扉が開く。
「さて、地獄の入口に到着したようだよ」
人工知能とは思えない洒脱な口調でミリオンが言い、アクチュエータの作動音を響かせながら、ふたりは大きな身体をポッド外に運び出した。
待ち受けていた作業員に導かれ、レールの上に乗ったブラック・ペンシルと呼ばれる円錐形の黒い乗り物に乗り込む。
黒いのはステルス塗装のためだ。
椅子に座ると、座面に付けられた強力マグネットで金属製の身体が固定された。
これから彼らは、地中トンネルを水平に12キロ突っ切って、レールガンの原理で徐々に加速し、その後、進行方向を上方に変えてヒマラヤ山脈ダウラギリの山頂付近からトンネル外に出る予定だ。
最後はカタパルトで直上に向きを変えて空中に射出され、補助ロケットを使って、成層圏に向かう。
いわゆるマス・ドライバー方式のロケット発射――現在では、ほとんど使われなくなった力任せにカプセルを打ち出す乱暴な離床だ。
ロケット基地から単純に打ち上げないのは、なるべく目立たなくするためらしい。
敵国――今の場合はトルメアだが――に見つかるわけにはいかないのだ。
最終的に、彼らが目指すのは、第3区域と呼ばれる静止衛星軌道上に浮かぶ、数年前に放棄されたサイベリアの実験基地アルフォートだ。