509.捜索
「なんだと?もう一度いってくれ」
「聞き直しても内容は変わらないぞ」
友人の言葉に天才科学者が答える。
「10年ほど前に俺がしていた研究を覚えているな。あれをやろうと思う」
「バカな、あれは――」
「分かっているさ。それでもやらなければならないんだ」
「俺たちが直面している問題は何だ」
翌日、執政官室でラモルに会ったマブゼは、開口一番にそう尋ねた。
「多くの生命維持用の装置が大破、超低温の高山で孤立、外部からの救助の予定なし、あとは何だ、市民の生きる意欲の低下か。自殺者も結構出ているだろう。先が見えない不安からだろうが……」
ラモルが答える。
「不安か。お前が得意の歌でも歌って気分を盛り上げるか」
「冗談はよせ」
「半分は本気だがな」
「マキュラ濃度の低下はどうなってる?」
「元に戻っているさ。一時的な揺らぎだったようだな。それが自然発生なのか、人為的なものかは別として」
「人為的って、おまえ」
ラモルが友人の肩を掴む。
「今回の惨事は、サンクがやったと思っているのか」
「確証はない。俺たちの知る限り、浮遊都市は世界各地で、ほぼ同時に墜落している。これまでの彼らの能力から考えて、サンクたちに世界規模でマキュラの濃度を低下させる魔法があるとは思えないが」
唖然として様子でラモルがつぶやく。
「サンクの攻撃……さすがにそれはないだろう。数百万人の豹人の虐殺だぞ」
「それほど俺たちの科学を嫌っている、という証かもしれないがな――ともかく、今回の惨禍が、サンクの攻撃によるものかは置いておくとして、今のところ第二波の追撃はなさそうだ。その間に、この惨状をなんとかしたい。そこでだ――」
「起死回生の手があるのか」
ラモルが期待の目で友人を見る。
マブゼは天才だ。
本来、科学は緻密な実験と推測の繰り返しで進んでいくべきものだが、彼の友人は、科学が依って立つ土台自体を、いきなり底上げし、あるいは別な土台を生み出す力がある。
おそらく、そういった能力を持つ者を天才と呼ぶのだ。
「さっき、お前に尋ねただろう。俺たちの直面する問題を。それらを一気に解決する方法がある」
「そんな魔法みたいなものがあるのか」
「魔法は嫌いだ」
「いいから聞かせろ!」
真剣なめで見つめる友人をマブゼが見返す。
「サラムプルナ山頂付近には浮遊結晶が存在する――」
「なんだって」
「可能性がある。それを手に入れれば、ここを飛び立って、平地に降りることができるだろう。その後は、都市を出て地表で暮らすもよし、補修して再び空へ戻るもよし――俺はリジリィと地表で畑でも作って暮らしたいがな。人は本来、空で暮らすもんじゃない」
そう言って、マブゼは遠い眼をする。
「1500年前に見つかって、この第9浮遊都市に使われたのが、世界最後の浮遊結晶のはずだろう」
「浮遊結晶は、もともとがひとつの隕石だったのが、極北に落ちた時に9つに割れたものだ」
「大きい順に第1都市から使われて、俺たちの第9浮遊都市は一番小さいのが使われているんだったな」
「宇宙から飛来した隕石、隕鉄は、極北だけに落ちたものだけではないんじゃないか、というのがもともとの疑問だった。今回、スーリバッドがサラムプルナ付近を飛んでいたのは偶然じゃない。計算上、浮遊結晶が、このあたりに堕ちている可能性があったから、俺が、ルイン執政官に進言して調査させてもらってたんだ」
「それは確かなのか」
「確か、とはいえないな。確率は低い。5パーセント未満といったところだ」
「その程度、か――だが、それ以前に、どうやって調査をするかが問題だろう。外は氷点下30度以下なんだからな。お前の作った調査機械も、その温度では長時間は動けない。山の奥や洞穴を探すなら、なおさら難しいだろう」
「機械任せになんかしないさ」
「その意味は?」
「強化処置を受けて俺自身が調査する」
「あれは素晴らしい技術だった。俺たち豹人の肉体を改造し、筋力を強化し、氷点下100度から150度まで活動温度を広げ、大気中のマキュラを直接摂取するため食事も必要ない。肉体の再生力も飛躍的に上がり、その結果、事実上の不老不死になる」
マブゼは黙って友人の言葉を聞いている。
「ただひとつ、時を経るにしたがって知能が低下していくという欠点を除いてはな。それは致命的な欠点だった。だから、お前もそれ以上の研究を諦めたんだろう。おまけに、強化処置は不可逆処置だ。一度、施したら元には戻せない。お前が一番分かっているはずだろう」
「分かっているさ。だから、強化処置は対外的には公表していない。存在しない技術だ」
「たしかに強化処置を受けた者なら、山を歩き回って調査することもできるだろう。だったら、有志を募って、調査隊を編成すればいい。何もお前自身がやる必要はない」
「駄目だ。俺が一番よくわかっているんだ」
「お前が、頭脳を賭けてまでやることじゃないだろう」
「ここに堕ちたのは、俺のせいでもある。俺が浮遊結晶の調査を申し出たからだ。この間まで、スーリバッドは温暖な南海岸地域に浮かんでいたんだからな。あそこなら被害も少なかっただろうし、復旧も容易だったはずだ。今回の困難は俺の責任だ」
「そんなわけがないだろう」
「とにかく、俺が調査の代表になることは譲れない」
「もう決めてるんだな」
「そうだ」
「もう、彼女と暮らすことはできなくなるぞ」
実験では、強化処置を受けた生物は、2年以内に知性を失い狂暴化する。
「俺でなく、彼女が生き延びる事が重要なんだ」
「わかった。もう、お前にいうことはない。ただ、脱出の確率を高めるためには、もう一手打った方がいいだろう」
「もう一手?」
「隊を二つ編成して、一隊を浮遊結晶の調査に、もう一隊は下山させて救援機を作らせるんだ」
「徒手空拳で地上におりて、2年、いや、理性を保っている時期を考えたら数か月で実用性のある機体を作ることができるのか」
「大丈夫だろう。行くのは俺だからな」
「馬鹿をいうな。お前が、次期執政官として都市を守ってくれると思うから、俺は安心して怪物になるんだ」
「都市を維持するだけなら有能な奴はたくさんいるさ。だが、山を下りて、数か月で何もないところから科学を起こすのは、俺かお前でないと無理だろう――俺はお前のように個人的に守りたい女はいないが、敢えていわえてもらえば、重要なのは、俺とお前のどちらが成功するかではなくて、この都市の住人が生き延びること、なんだからな」
マブゼの手が伸び、ラモルの右手をしっかりと掴んだ。
ラモルの左手がそれを上から掴む。
「出かけるまで、彼女をいっぱい可愛がってやるんだぞ――俺は、まあ、飼っているポジを大家に預けるだけだな」