505.長き年月、
「え、それは何のこと」
ラーカムが不思議そうな声を出した。
ピンと尖った耳がアキオに向けられる。
「何でもない、気にするな」
少女は彼の顔をじっと見つめるが、頭を振って話題を変えた。
「それより――見ていたよ。さすがは、わがメルさま。わたしなら、この子たちに手伝ってもらっても4体のフウは追い返せない」
話すにつれ、ラーカムの細く優美な尾がふるふると揺れる。
「フウが投げ飛ばされるところなんて初めて見たよ」
「そうか」
適当なダメージを与えてやるには、相手の自重を使った攻撃が適している。
ナノ強化した身体で殴ると、少し加減を間違えるだけで肉体が吹き飛んでしまうからだ。
「いつもはどうしている」
「フウには怪我をさせてはならないっていわれているからね。雪豹たちとわたしで、威嚇して追い返すんだよ。何度か攻撃するそぶりをするだけで帰ってくれるから」
少女の言葉にアキオはうなずいた。
そして考える。
今回、巨人たちは、彼に対して攻撃的だった。
もちろん、彼が先に投げ技を使ったこともあるだろうし、ドームが普段と違う発光をしたために、彼らが興奮していたこともあるだろう。
だが、本当にそれが原因だろうか。
彼らは、豹人である守護者に対してはおとなしく、人間であるアキオだからこそ攻撃的だったのではないのか。
その意味は――
「……メルさま?」
話しかけられていることに気付いてアキオが少女を見た。
「どうかしたの」
心配そうに見つめるラーカムに、
「問題ない」
そう言い残して、アキオは歩き始めた。
少女が追いかける。
「でも、お后さま、シジマさまってすごいね。初めて見る浮遊装置の蓋を開けて中をのぞいて手を差し込むだけで、機械が唸りだしたのには驚いたよ。見た目は、あんなに綺麗で小さくて子供みたいなのに」
言ってから肩をすくめた。
「子供っていうのは失礼かな?」
「彼女は優秀だ」
「そうだね――さあ、メルさま」
壁に向かって走った少女が振り返る。
「こっちだよ。ここに豹人と雪豹だけが出入りできる、小さな入り口があるんだ」
門の横にある小ぶりな扉を開け、少女は豹を先に入れてアキオを手招きする。
「反対側の門からフウは入らないのか」
狭い通路を通り抜けながらアキオが尋ねる。
「あっちは普段閉められてるんだよ」
どうやら、彼らを招くために、わざわざ門を開けてくれたらしい。
通路を抜けると、ドーム市街の目抜き通りに出た。
通りの向こうに、先ほどまで彼がいたタワーが聳えている。
「すまないが」
アキオは振り返って少女を見た。
「ルサルカに会ってくる」
そう言い残して走りだす。
「メルさま」
少女が声をかけるが彼は止まらない。
中央タワーを目指して走り続ける。
素晴らしい速さで通りを駆ける彼を、様々な光が照らしていく。
都市を覆うドームは、今や、そこに表示される種々雑多な情報によって光り輝いているのだ。
ところどころ発光パネルの剥がれ落ちた部分はあるが、かつて天空にあった時は、きっとこんな感じであったろうと思わせる明るさだった。
まるで打ち上げ花火のような、色とりどりの光の下、ビルの合間に作られた畑で働いていた豹人たちが、通りに出て、口々に話しながら天井を指さしている。
アキオは、たちまち中央タワーに到着した。
さっき通ったゲートを抜けて塔の内部に入り、階段の吹き抜けへ――
「アキオさま」
背後から声が掛けられて、彼は振り返った。
アキオの眼が見開かれる。
一階のエレベーター・ホールに銀色の少女が立っていた。
「あなたを驚かせることができました」
そういって近づいたルサルカは、彼を見上げた。
「シジマさまのおかげで、高速昇降機が使えるようになっていたので、それを使ってここまで降りてきたのです」
高速昇降機とは、ヌースクアムで言うターボ・リフトだ。
「聞きたいことがある」
「はい」
「フウのことだ」
「――」
「体形も大きさも変わってしまっているが、彼らはもともと浮遊都市に関係した者たちではないのか」
「なぜ、そう思われます?」
「彼らの眼だ」
「眼?」
「フウは4体とも左目がなかった。瞼のない、ぽっかり空いた眼窩、目の周りの円周状の傷、そしてリーダーらしき一体の眼にはケーブルが残っていた」
銀の少女はじっと彼を見ている。
「もともと彼らの眼には、埋め込み型のセンサー・ユニットが装着されていたのだろう。経年劣化で装置は無くなってしまっていたが――そして最後に、リーダー格の男は、俺の超古代エストラ語、君たちの話す言葉より古い言語に対して反応し、返事をした」
彼の言葉に、沈んだ声で少女が尋ねる。
「それで、アキオさまは、フウとは何者だと思われますか」
「おそらく、不老不死の処置を受けた豹人の科学者。そして何らかの問題があって都市を追放された者」
しばらくの間、沈黙が場を支配する。
「実際のところ」
やがてルサルカが口を開いた。
「わたしも、詳しいことは知らないのです。執政長官に対する申し送りには、ただ、フウを害してはならない、とあるだけで、彼らがどういう存在かという正式な記録は消失していますので」
「長い年月だからな」
アキオが言う。
おそらく3万年以上は経っているだろう。
「ただ、アキオさまのお言葉で、思い出した言い伝えがあります。フウとは直接関係がないかもしれませんが」
「いってくれ」
「スーリバッドが地に堕ちた時、多くの機械が破壊され、豹人、特にたくさんの科学者が死んで、このままでは高山の低温で滅亡すると考えた当時の大科学者マブゼが、自身を不死の存在に変えて都市と科学を守ろうとした、というものです。ですが、実際にそのような技術はスーリバッドには存在しません。せいぜい、わたしのように身体を機械に変えて1000年を生きるだけです。その上で、不死となったとされるマブゼがいないため、わたしもただの伝説だと思っていたのですが」
アキオは、フウのリーダー格の声を思い出す。
「だが、マブゼはいる。姿を変えて――それが真実に近いのかもしれないな」
アキオは言った。