504.雪人
「なぜフウが、それも4体も――」
ルサルカが驚いた声を出す。
「今の時期に、スーリバッドに来ることは、ほとんどないのに」
「あれが原因だろう」
アキオの指さす先には、これまでと全く違う明るさに輝く天井ドームがあった。
「あれは――スーリバットのエネルギー出力が上がっています!」
「そのようだな」
おそらく、シジマが浮遊装置を解析する過程で何かやったのだ。
結果、都市の出力が上がることによってドームの輝きが増し、それが巨大生物を引き寄せたのだろう。
アキオは、フウと呼ばれる巨大生物を見る。
距離は遠いが、瞬時に眼の水晶体の中に複数のレンズを作り、網膜の密度と感度を上げる遠視強化を行ったため、クリアにその生物を観察することができた。
全身が灰色の長い毛に覆われた一つ目の巨人だ。
そいつらは、今も入れ替わりながら大きな拳で壁を叩き、都市内部に入り込もうとしている。
「食料を狙っているのか」
アキオが尋ねる。
「違います」
「何が目当てだ」
「――」
彼の質問に、なぜかルサルカは顔を伏せて答えない。
フウの一撃が壁の一部を破壊した。
このままでは、外壁が破壊されるのも時間の問題だろう。
「あいつと戦えるのはラーカムだけか」
「はい。ですが、さすがに4体が相手となると……」
いま、ラーカムはシジマと共に浮遊装置の部屋にいるはずだった。
もうすぐ報告を受けた彼女がフウの前に現れるのだろうが、巨人の数が彼女の能力を越えているなら放っておくわけにはいかない。
「殺していいのか」
アキオが無造作に言う。
「い、いえ、できるなら殺さずに追い返したいのです」
「わかった」
アキオはうなずくと展望台の手すりに手を掛けて、一階の窓から外に出るように空に向けて飛び出した。
「アキオさま」
背後に響くルサルカの声が、風切り音と共に遠ざかる。
自由落下し始めた彼の服が微妙に変形し、フライング・スーツになった。
水平飛行に移ったアキオは、一度、フウの頭上を通り過ぎて、大きくJターンをすると、有毛種の巨人の前に雪煙を上げて降り立った。
あらためて、フウと呼ばれる生物を見上げる。
体高は3メートル程度、体重は300キロ前後だろう。
単眼というのは、顔の真ん中にひとつ目があるのではなく、人間と同じように2つある目の一つが、なぜか無くなっていて、黒い眼窩が見えているのだった。
「雪人か」
アキオがつぶやく。
だが、かつて地球において、密林や極地、深海、成層圏まで戦いの場を広げさせられた彼だが、ついに未確認生物には出会ったことがなく、当時はそういったものの存在すら知らなかったのだった。
雪人も、チュパカブラもヨーウイーもスカイフィッシュも、後に彼女が持っていた「未知の生物図鑑」で見ただけだ。
4つの眼が彼に向けられる。
しかし、すぐに興味を失ったように視線を外し、再び壁を叩き始めた。
アキオは、しばらくその姿を眺めていたが、壁の一部が剥がれ落ち、中から光が漏れだすのをみて、ゆっくりと巨人たちに近づいた。
「ラ・イマステ・サランチャイロ」
古代エストラ語のさらに古語、スペクトラが使っていた言葉で、山に戻れと告げる。
一瞬、巨人たちの手が止まり、彼を見つめるが、すぐに壁を叩き始めた。
アキオは、フウの一体に歩み寄ると、腕を掴んだ。
身長差は1メートルほどあるが、問題はない。
強靭な腕の力と絶妙なタイミングで押し引き、身体の重心をずらせると、そのまま腰を回転軸として巨人を投げ飛ばした。
綺麗に回転したフウは雪煙を上げて雪原に転がる。
ただちに、近くの巨人に近づく。
小さな人間に投げ飛ばされた事実を把握できていない一体の腕をとると、今度は膝を回転軸として投げ飛ばした。
隣のフウが腕を掴まれないように身構えると、巨人の脚を踏み台にして跳ね上がって首を脚で挟んだ。
身体を捻る反動で首投げを完成させた。
いわゆるヘッドシザース・ホイップだ。
今度は首を中心に一回転したフウは、派手に雪煙を巻きあげた。
空中で身を捻り、脚から雪面に降り立ったアキオに最後の一体が襲い掛かる。
うなり声を上げて殴りかかる、そいつについては、差し出してくれた腕と運動エネルギーを有難く受け取って利用し、片腕一本背負いを決めて、起き上がろうとする3体に向けて投げつけた。
300キロ超の物体を、まともに投げつけられた巨人たちは、耐え切れず尻もちをつく。
そのまま、雪原にすわって呆然と自分たちを圧倒した黒い生物を見つめる。
「ラ・イマステ・サランチャイロ」
再び、穏やかな調子でアキオが言う。
一番体の大きいフウがうなり声を上げた。
それを合図に、そのフウを先頭に、ゆっくりと4体の巨人は雪山に帰っていった。
アキオは彼らの大きな背が山陰に隠れるまで見続けていた。
背後に現れた一人と3体の気配に気づく。
「アキオさま」
ラーカムだ。
アキオは振り向かずに、巨人たちの消えた岩壁を見つめながら尋ねた。
「どうして豹人がフウになった」
最後に巨人が上げたうなり声――
不明瞭ではあったが、それは言語だった。
フウは、彼も使った超古代エストラ語で、
「ロ・マルンカ・イロ」
分かった、今は帰ろう。
確かにそう言ったのだった。