503.展望
シジマとラーカムを置いて浮遊装置の部屋を出たアキオは、ルサルカの後について歩いていく。
すぐに、停止したエスカレーターが見えて来た。
うきうきとした感じで、踊るように彼の前を歩いていたルサルカが、そのまま階段を登り始める。
しばらく登ったところで、銀の少女が振り向いた。
「何もお聞きにならないのですね」
「今後の話、か」
今後の話というだけなら、話し合うことはかなりある。
シジマは、浮遊装置とそれに併設された動力装置を調べるといっていた。
エネルギーに関して言えば、代替物はいくらでもある。
太陽発電パネルをヌースクアムの科学で強化することもできるし、一時的になら、原始的で多少の危険も伴うが、小型核融合炉も使えるだろう。
スーリバッドにおける科学レベルに関しては、どの程度に留めるべきかをアルメデとクルアハルカに相談する必要もあるが、幸いなことに、現在の豹人たちの生活程度は、一般的なサンクトレイカの領民と変わらない。
「計画性の必要なことは、俺以外の者と話し合ってくれればいい」
「あなたのお后さま方ですか」
アキオは、それを否定しようとして――結局、うなずいた。
「そうだ」
「では、それはそれとして、先にやっておくことがありますね。わたしたち代表者同士、さらなる信頼関係を築くために、もっと知り合う必要があると思うのです」
「そうか」
「そうです。そこで、ぜひアキオさまにお見せしたい場所があるので、ご一緒願えますか」
「行こう」
「ありがとうございます。故障と電力低下で、自動階段が使えないため、かなり長い階段を歩いて登らなければなりませんが」
「問題ない」
「では、行きましょう。あっ」
歩き出そうとしたルサルカの足がもつれる。
倒れそうになった彼女をアキオが支えた。
「すみません。ふらついてしまいました」
アーム・バンドを見ながらアキオが言う。
「特に異常はない。若返った脳の反応に身体が対応できていないだけだ。それで、君の行きたい場所はどこだ」
「――」
「教えてくれ」
「都市中央部の中央タワー最上部です」
アキオは、長いエスカレーターの出口から見える、ひと際高い塔を指さした。
「あれか」
塔の先端部は、ドーム状の天井を突き抜けて外部に出ている。
「はい」
「了解だ」
アキオはルサルカを見る。
「では、まず下まで行こう」
そう言って、彼は身体を屈めて少女の銀色の膝の裏に腕を伸ばした。
ふわり、という感じで抱き上げる。
「抱き上げてもかまわないか」
ルサルカの顔を見下ろして尋ねる。
「すでに抱えているではありませんか」
少女が含み笑いの声で言う。
「事後承諾だ」
「まあ、困った方――かまいませんよ。でも重くはありませんか。こう見えても、わたしの金属製の身体は、生身の時の5倍近い体重があるのです」
「問題ない」
そういうと、アキオは、銀の少女を抱いたまま素晴らしいスピードで階段を登り始めた。
もちろん全力のナノ加速は行っていない。
いくら身体は機械であっても、彼女の生身の脳は、強烈な加速度に耐えられないだろう。
「ア、アキオさま。こんな速さで階段を登るのは1000年ぶりです」
彼の首に抱きつきながら、ルサルカが叫ぶように言う。
「恐いか」
「いいえ。恐いというより……気持ちが良いです」
「そうか、では、もうすこし近道する」
言うなり、アキオは、少女を抱えたまま、階段の手すりに乗って壁に向かってジャンプした。
「ああっ」
少女の叫び声は無視して、足がついた瞬間にナノ接着して壁を蹴り、足が伸びきる前に接着を解除する。
その繰り返しで、垂直の壁を数メートルおきに飛び上がっていく。
たちまち、都市に入って最初に歩いた展望通路に戻ると、人気のない通りを風を切って走り始める。
ビル群を見渡す透明壁に開いた出入口を見つけて、通路から飛び出した。
「わぁ」
空中を飛びながら、子供のような声を上げる少女の銀の耳を撫でて落ち着かせた。
急速に地面が近づいてくる。
だが、次の瞬間、アキオと少女は、何事もなかったかのようにビルの谷間の路面に立っていた。
衝撃も、ほとんど感じさせない。
「塔の入口まで行く」
アキオの言葉が終わらぬうちに、ルサルカは、まるで風になったように抱かれたまま移動し始めた。
それは、彼女が生まれて初めて経験する速度だった。
子供の頃、まだ動いてた移動装置に乗った時も、これほど速くはなかった。
視覚装置に映る全てのものが、凄まじい速さで飛び去っていく。
しかし、初めは驚き、声を上げていた彼女も、いまやアキオに全幅の信頼を置いて身を委ねるようになっていた。
「塔の中に入ればいいのか」
アキオに尋ねられ、少女が答える。
「お入りください。入口は開いたままですから。入って右側に頂上に向かう階段があります」
「了解だ」
これも人気のない塔の入口を抜け、分かりやすい階段のマークがついたドアを開けて中に入る。
そこは円筒状の長い吹き抜けだった。
壁際に螺旋状に階段が付けられ、それが遥か上方ま続いている。
その様子に、アキオは強烈な既視感を覚えた。
形は違えど、先日、アルメデと登ったアドハードの管理塔の階段に印象が似ていたからだ。
「登るぞ」
「はい」
少女の返事を待って、アキオは階段の手すりに向けて跳ね上がった。
壁に沿ってつけられた螺旋階段の内側の吹き抜けを、手すりを蹴りながら素晴らしい速さでジグザグに跳び上がっていく。
わずか数分でアキオは塔の頂上に到着した。
本来なら、もっと早く着くこともできたが、加速がルサルカに及ぼす影響を考えて、この時間になったのだ。
塔の最上部は、小さな展望台になっていた。
おそらく地上350メートルはあるだろう。
そこから見える景色は絶景と呼んでもよいものだった。
アキオは、きつく彼に首に抱きついている銀の少女を、そっと床に下した。
天井防壁から飛び出た部分のため風は冷たいが、人工雪嵐の内側は、いわゆる台風の目のように無風状態にあるため雪はない。
「ああ……」
展望台の手すりに走り寄った少女は、溜息にも似た声を上げた。
「もう一度ここに来られるとは思っていませんでした。若いころは、暇さえあれば、ここで気分転換をはかっていたのですが、脳の老化によって頻繁に意識を失うようになって以来、来ることを止められていたのです」
そう言って、なぜかアキオから顔を背けながら続ける。
「何せ、わたしは……その、重いですから。動けなくなると誰も運び降ろすことができないのです」
「だが、来られたな」
「はい。アキオさまのお蔭です。それに――」
ルサルカはほんの少し口ごもり、
「こんなに跳んだり走ったりしたのは、本当に元気だった子供の時以来です。昔を思い出して嬉しくなりました」
「身体を再生すれば、また生身で走ることができるさ」
「ええ」
「ところで――」
「何でしょう」
少女が整った銀色の顔を向ける。
「守護者ラーカムと雪豹の仕事は、滅多に来ない地上からの来訪者に対応するだけなのか」
「いいえ、たまにですが、山からフウがやって来るので、それを追い返す役目もあります」
「フウというのは、あれか」
アキオが視線の先には、彼らの入って来た入り口と反対側の、一度は壊れた都市の壁を修復したらしい場所を拳で叩く巨大な生物の姿があった。