501.ささやかなこの生命を、2
「アキオ……」
シジマの目が大きく見開かれた。
もちろん、利発な少女にはわかっている。
彼の言葉が、たかだが100年程度しか生きることのない普通の人間に向けたものではなく、300年を越え千年を生きた女性型アンドロイド――彼女の場合、正確には機械化人と呼ぶべきだが――や、アキオのような不死な存在に向けたものであることを。
だが、他ならぬアキオの口からその言葉が発せられたことが、彼女には衝撃だった。
かつてシミュラは、アキオを評して、死を得ようとして流離う不死王、と呼んだ。
実際、少女たちの目から見ても、アキオの行動はそのように見える。
自らを死地に放り込んで、そこから生を拾っているような。
己の命をすり減らして、他者を助けるような。
いや、ただ、自分の身体を痛めつける方便として、他者の救済を使っているような――
彼に言わせれば、長年の戦闘経験によって、充分な安全余裕を確保した上での行為、ということになるのだろうが、とてもそうは思えない。
しかし、同時に少女たちは、アキオは決して自ら死を求めないことも知っている。
彼には成し遂げなければならない目標があるからだ。
彼女とミーナの復活――
それがあるから、彼女たちはアキオの生命については心配していない。
ただ、ある日、彼が彼女たちを置いて、ふらりとどこかに行ってしまうことを恐れているだけだ。
そんなアキオだからこそ、彼自身が、生とは義務ではなく権利だ、と断言したことが、シジマにとってショックだった。
それはつまり、ふたりの復活という目標=義務があるという理由だけで、彼が自らの意思に反して生きながらえていることを意味するのではないのか?
アキオの泰然とした態度から少女たちは忘れてしまいがちだが、彼は300年の長い半生、しかも濃厚な出来事の詰まった300年を生きぬいて、すでに生きることに倦んでしまってもおかしくない人間なのだ――
シジマは考える。
普段の冗談好きで明るい彼女の性格は、あくまで少女の一面が現れたものに過ぎない。
彼女は、高位貴族の嫡男として生まれ、男としての作法と精神を教わりながら、長く、その性に違和感を感じつつ生きてきた。
そして、アキオと出会い、死に臨んで、初めて、その身体の性を精神と一致させることができた。
つまり、明るく冗談好きな少女の内面は、多くの複雑な陰影に彩られている。
だから考える。
考えて、考えて……
ぽん、とアキオの大きな手が少女の頭の上に乗った。
「もちろん、生きるという行為は二者択一ではない」
まるで彼女の動揺を見透かしたように彼は言葉を続ける。
「権利と義務を織り交ぜた綴織だ」
「うん」
シジマがうなずく。
「そうだね、アキオ」
彼は、少女の綺麗な髪を撫でる。
優しく、力強く。
「それで、どうする」
シジマを可愛がりながら、彼は銀色の少女を見た。
「それをください」
きっぱりとルサルカが言った。
「どのみち、あと数回、意識を失ったら二度と目を覚まさないといわれているのです。それならば――それに」
少女はまた微笑んだような表情を見せる。
「わたしの元の身体も再生してくださるのでしょう。アキオさま」
「そうだ」
「もう900年以上、美味しいものを食べていません。生身の身体で感じられる、生きている喜びをもう一度味わいたい」
まるで幼い少女が叫ぶように言う。
「そして、先ほどシジマさまは、お后のひとり、とおっしゃいました」
「うん、ボク以外にも、いまのところ11人の婚約者がいるよ。他にも候補が数人」
「ということは、1人増えてもどうということはありませんね」
「いや、長、さすがにそれは」
ラーカムが慌てる。
「長く生きてきましたが、わたしは殿方を知りません。知らないまま機械の身体になってしまいました」
執政官は、あっさりと告白する。
「せっかく生まれてきたのですから、ささやかなこの生命を、ひとりの殿方に捧げたい。添い遂げたいのです。若いあなたには分からないかもしれませんが」
「しかし、あなたにはご身分というものが……」
「すでに引継ぎは終わっていますから、問題はないはずです」
そういって、銀の少女は、正面からアキオと向きあう。
「アキオさまは、わが生命を捧げるに足るお方と判断しました」
「まだ、満足にお話もされておられないでしょう」
「それはあとで考えればいい」
ふたりの会話をアキオが遮り、銀色の少女の細い腕をとって、その手にアンプルを渡した。
「そうですね」
ルサルカは部屋の隅まで歩くと、備え付けのキャビネットから円筒形の容器を取り出した。
それが彼女の脳のための栄養素らしい。
蓋を回し開け、アンプルの首を折って中身を流し込む。
再び、蓋を締めると、容器の底から細いパイプを引き出して口に押し当てた。
コップから水を飲むような姿勢で栄養素を体内に取り込む。
しばらくして、彼女は口許から容器を離した。
それを手にしたまま、壁際に置かれたソファに座り込む。
シジマとアキオは同時にアーム・バンドに目を落とした。
「大丈夫だね」
アキオはうなずくと、
「すでに脳の再生が始まっている」
「今さらですが、記憶をなくしたりは――」
少し、ぼんやりした口調でルサルカが言う。
「しないよ。基本的に脳細胞内のDNAのテロメアを――」
「シジマ」
アキオに警告されて、おそらく彼女には理解不能な説明を途中で止める。
「とにかく、記憶はそのままで、若く生まれ変わるんだよ」
かつては、脳細胞は再生しないという迷信にも似た考えが支配していたそうだが、もちろん、そんなことはない。
「作業中は、意識レベルを上げておいた方がいい」
「そうだね」
アキオの指摘で、シジマが銀の少女に話しかける。
「あのね、執政官さま」
「どうか、ルサルカ、と」
「わかったよ。ルサルカさま。さっきから、あなたの表情が笑ったり、真面目になったりして見えるんだけど、それはどうなってるの?あなたの顔は動いてない、普通の面だよね」
「ああ、この面は、もともとのわたしの顔から取った型より作られていて、その上で、角度によって表情が出るように工夫されているのです」
「あー、ラピィに聞いたことがある。地球にも似たような技術があったって」
「そうですか」
「もとの顔から取ったって。ルサルカさまは綺麗な方だったんだね」
「そうでしょうか」
ルサルカは銀の仮面を傾ける。
「いまのわたしで、生身の名残が残っているのは、この仮面と声だけです」
シジマがうなずいた。
おそらく、サンプリングされた声をもとに、人工音声が作られているのだろう。
それにしても――
シジマは、内心、唸り声を上げる。
ラーカムだけでなく、今の話では、どういうわけか、ルサルカさまもアキオが気に入ったみたいだ。
冗談めかしてはいるものの、シジマは経験で分かっていた。
あの態度は、本気だ。
ユイノ、ラピィ、シミュラさま、アルメデさまの例を考えるまでもなく、アキオの好みが、長く生きた女性であるのは間違いない。
1000年以上生きた女性で、しかも耳と尻尾のある凛とした美人――とんでもない競争相手の登場だった。