499.隷属
立ち上がったラーカムが、背後に向かって合図らしきものを送る。
「これでいい。あと少ししたら、長がやってくるはずだ」
少女が、緊張を解いた雪豹の身体を撫でながら言う。
「直接、長に会わせてくれるの?」
シジマが驚く。
「そうだ。スーリバッドに近づくニンゲンの判断はわたしに一任されているんだ」
「ボクたちが悪い奴だったらどうするのさ」
「あなたたちは良いヒトだ。匂いでわかる」
「え、どんな匂いがするのか聞いていい?」
シジマは、服のあちこちを引っ張って、自分の匂いを嗅ぎながら尋ねる。
「言葉ではいえないな。ただ、わかるんだ。悪い奴は悪い匂いがする、ヒトも我らも。実をいうとあなたたちが悪い者でないことは、薄々わかっていたんだ。ただ、なぜか、あなたたちは匂いが薄い、というかほとんどしなかった。だから、セトたちに軽く脅かしてもらって反応をみようとしたら、あんなことに……」
「あー、その、つまり過剰防衛だったってこと?」
「カジョー?」
「やりすぎちゃったってことだよ。ごめんね」
美少女の素直な謝罪にラーカムが笑顔になる。
「いいさ。この子たちも、もうすっかり良くなってるから。こっちも、いきなり襲うようなことをしたのがいけなかったんだ。長い間、スーリバッドに来る人間は、交易のためやって来る、決められた商人以外にはいなかったから要領がわからなかった」
「そりゃ、標高9000メートルを越える高山にくる人間なんて滅多にいないよねぇ」
「そう。だから長はあなたたちに会うはずだ。外の人間と話をすることなんて滅多にないからね。好奇心の強い人だし」
「ラーカム」
アキオに声を掛けられ、少女が彼を見た。
「なんだい」
「君の雪豹は、まだ完全に回復してはいない。無くした血を作るためにも、しっかりと食事を与え、温めてやる必要がある」
「わかっ――りました」
そう言ってから、思い出したように少女はアキオへ近づき、彼の目の前で跪いた。
何事かと目を見開くシジマの前で、少女が彼に頭を下げる。
「さっきわたしは、この子たちを助けてくれれば、あなたのトリブになると誓った。その約束は守られた。だから、あなたはわたしのメルだ」
「君の言葉は、ところどころ理解できない。メルとは何だ」
「我らガータスが、その者のために生き、死ぬ対象だ」
「つまり、キィさんのいうところの主さまってことかな」
シジマのつぶやきを無視して少女は続ける。
「そしてトリブの血肉は、すべて主のものとなる。昼に従えるもよし、夜に侍らせてもいい。思うがままだ」
「つまり――トリブって隷属に近いものなの?」
驚いたようにシジマが言う。
かつてドラッドの系譜が、あれほど嫌い、廃しようとした奴隷制が、滅びかけた空中都市の集落にその名残をとどめていたのだ。
「残念だが――」
アキオは少女の細い肩を掴むと、軽々と持ちあげて立たせた。
「俺は君のメルではないし、君は俺のトリブではない」
「そうだろうね」
ラーカムが微笑む。
「その上で残念だけど――」
少女は、ぐいとアキオに近づき、顎を上げて言った。
「トリブとなるのに、メルの許可はいらない。トリブを宣言しさえすれば誓約は為される。つまり、あなたはわたしのメルだ」
言いながら少女は、耳を細かく振動させた。
「まったく、押しかけナントカだね」
呆れたようにシジマがつぶやく。
そして少女は、ラーカムの容姿に眼を向けて、独り言ちる。
綺麗な娘だけど、それはアキオには関係がない。
でも……たしかアキオは、耳とか尻尾とか角のある生き物が好きだったよね。
ラピィの例もあるし、スぺクトラもそう、象も好きだった。
ああ、そうだ。
アキオは大きい生き物が好きなんだ。
だったら、この子は大丈夫かなぁ。
でも、牙がある!
アキオはシミュラさまの牙も好きでよく触っていた。
ということは――
シジマが、口の中でぶつぶつ言うのを聞きながらアキオが言う。
「どうもトリブという制度には問題が多そうだ」
「何も問題はない。もしメルが自分のトリブを面倒に感じたら、ひと言、死ね、といえばいいんだから。メルの命令は一部を除いて絶対だ」
「無茶苦茶だね」
思考から戻ってきたシジマが嘆じる。
「わかった。お前のメルになろう」
しばらくして、アキオが口を開いた。
「やっとわかってくれたんだね」
アキオは少女に近づくと、彼女を立たせた。
ラーカムは、シジマやユイノより大きく、アルメデより少し小さい体格だ。
「では命令を与える。今後、お前は自分の行動は自分で決めろ、俺の命令に従うな」
少女は笑顔になった。
長く優美な尻尾が揺れる。
「ありがとう、わがメル、アキオさま。でも、その命令は無効だ。さっきいった一部の例外っていうのが、自分のトリブを他のガートスに譲ることと、メルが自分の命令を聞かないようにトリブに命じることだなんだ」
表情を変えずにアキオが問う。
「スーリバッドでトリブは売買されているのか」
笑っていたラーカムの瞳が硬くなる。
「トリブはモノじゃない。ただ、その気持ちで自分を差し出す行為なんだ」
「それってやっぱり、押しかけ女房じゃないの」
シジマがつぶやく。
「トリブの数は多いのか」
「それほど多くはない。メルに相応しいものは少ないから」
もちろん、これら一連の会話は、普段あまり使われない古代エストラ語で交わされたので、何度も中断され、言葉の意味を確認しつつ進められている。
「ガートスは、全部で何人いるんだ」
「それは長に聞くといいよ。メルとして命令すれば教えるけど」
「わかった、長を待とう」
「1284人ですよ」
背後から女の声がした。
まったく気配を感じていなかったアキオが、少なからず驚いて振り返る。
「正確には1284人と1体というべきね」
そこに立っていたのは、全身が銀色のアンドロイドだった。