495.戦友
「……キオ、アキオ」
呼びかけられて目が覚めた。
目覚めと共に、肉体も精神も瞬時に覚醒する。
だが――内心、彼は首を傾げていた。
また起こされるまで寝入ってしまった。
いつも思うのだが、この世界に来て少女たちと出会うまで、彼は起こされた経験がなかったのだ。
ナノ・マシンを体内に宿してからはもちろんのこと、それまでの長い間も。
眠る姿を人に見せる――彼が生きてきた過酷な人生がそれを許さなかったのだ。
目を開けると、窓から差し込む朝陽を受けて、後光のように金色の髪と白い首、肩を光らせながら、彼を覗き込むアルメデの青い瞳が見えた。
「目が覚めましたか?」
「早いな」
アキオは言った。
訓練によって身につけた正確な体内時計が、午前6時前であると彼に告げている。
「早くに眼が覚めてから、ずっとあなたの寝顔をみていました」
アキオは、つまらぬものを見ていたな、とは言わず、
「そうか」
とだけ答える。
「早めに起こしたのには訳があります」
アルメデは真剣な表情になった。
「問題か」
「ある意味、そうです」
アキオが身体を起こすと、彼の上に乗っていた少女は、身体を滑らせて寝台から降りた。
夜と違って、下着を身につけている。
彼が床に足を降ろして、ベッドサイドの椅子に掛けたシャツを羽織ろうとすると、
「これを」
そういって、部屋の隅におかれた籠からローブのようなものを手渡す。
自分も下着の上に同様のものを身に着けた。
「さあ、こちらです」
そう言って、彼の手を引いて歩き出す。
されるがままに、アキオは少女の後を歩く。
アルメデは、部屋の裏の扉を開け、細い通路に出た。
左側が窓になっていて、上がったばかりの太陽が差し込んでいる。
通路は、なだらかなスロープになっていて、かなり遠くまで続いていた。
「ここです」
アルメデは、突き当りの白い石づくりの壁の扉を開けて言った。
「なるほど」
中に入ったアキオがつぶやく。
顔に吹き付ける温かく湿った空気、少し硫黄分を含んだ匂い、目の前に広がるのは、この世界の大理石にあたる白乳岩で作られた大きな浴場だった。
「ノドラム家自慢の天然温泉ですよ」
アルメデが湯気に煙る浴室を見渡して言う。
ノドラムは辺境伯の家名だ。
「グレイ・グーによる処置が早かったおかげで、温泉に影響が出なかったのです」
彼はうなずいた。
地球で、火山の噴火によって湯量が激減し、著名な温泉郷がなくなった例を見たことがあった。
傭兵時代、仕事の合間の骨休めとして、部隊で出かけた温泉地だ。
もっとも兵士の大部分は、そういった地に併設されていた娼館が目当てだった。
すでに身体の大部分を機械化していたアキオには、温泉も娼館も関係がなく、ただ部屋で身体の調整を行うだけだったので、実際、温泉を目にするのは、今回が初めてだった。
「入るのか」
彼の質問に、当然、といわんばかりにアルメデは大きくうなずいた
「見ていても仕方がありませんから」
「急いでいたのは」
「朝食までの時間を、アキオとふたりでゆっくり使いたかったのです」
ローブを脱ぎ、下着をとったアルメデは、手早く大理石の上に置かれたバスタオルを身に巻いて、アキオに近づいた。
彼の服を脱がせ、手を引いて浴槽に誘う。
彼の視線に気づいて、ほんの少し頬を赤くすると言った。
「お、お湯に入る時はタオルを取りますよ。この世界の貴族と違って、わたしは男性に肌を見せることに慣れていないのです」
言いながらアキオに湯を掛ける。
「そうなのか」
彼はつぶやいたが、考えてみれば、一緒に風呂にはいったのは彼女がジーナ城に来た時以来だ。
恥ずかしがるのは仕方がないのだろう。
しかし――
アキオは考える。
だが、アルメデは、夜の間中、裸で彼に抱き着いていたのだ。
そのあたりの整合はとれているのだろうか。
「だ、大丈夫です。すぐに慣れますから」
アキオを湯に入れると、美少女は彼に背を向け、タオルを取って湯を掛かった。
アキオは大きな浴槽を歩き、陽の光に輝くすりガラスの下で湯に身体を沈めた。
壁にもたれて、壁の吹き出し口から豊かにあふれ出る湯を眺める。
近づく気配を感じて顔を向けた途端、アルメデが抱きついて来た。
湯の中を泳いできたらしい。
そのまま、くるりと回転すると彼の上に乗る。
まるでイルカのようだ。
そういえば、湯を通した彼女のつるつるとした肌触りもイルカに似ている。
もちろん、イルカの方がもっと硬質ゴムに似た硬さがあるのだが。
アキオは、かつて遺伝子操作で知能を向上させたイルカ、フィーネといくつか作戦行動を共にしたことがあった。
彼と彼女のコンビは、南大西洋戦役で目覚ましい成果を上げたが、最後は敗戦濃厚な戦況における無謀な作戦下、無能な指揮官の保身のためにフィーネは彼の身代わりとなって死んだのだった――
「アキオ」
気づくと、アルメデが彼を見つめていた。
「せっかくふたりきりのお風呂ですから、わたしに集中してくれないと――他の女性のことなど考えないで」
「そうだな、すまない」
「え、本当に、他の女性のことを考えていたのですか?」
アルメデが目を丸くする。
毅然とした態度が基調の彼女にしては珍しい反応だ。
が、すぐに表情を和らげ、言う。
「その女性のことを教えてくれますか」
アキオは話した。
じっと、呼吸を止めるように彼を見つめながら聞いていたアルメデが、ため息のような息を吐いて言う。
「そうですか、強化ドルフィン――アキオは、あの南大西洋戦役で戦っていたのですね。おまけに、戦後交渉に大きな役割を果たしたサンドイッチ諸島要塞群を壊滅させたなんて……」
「ミーナから聞いていなかったのか」
「あなたの戦歴は多すぎて――全部知っているのは、ラピィだけでしょう」
「だが、南大西洋戦役は知っているんだな。君の国とは直接関係なかったはずだが」
少女はふっと笑い、
「どの国の歴史の教科書にも載っています」
アルメデはアキオの腕に頬を預けて言う。
「本当に……あなたは生きた伝説、歴史の証人ですね」
アキオはアルメデの髪を撫でた。
彼の近くまで、頭をつけて泳いで来たため濡れているはずだが、ナノ・マシンによって自然に行われるコーティングで、もう乾いている。
「歴史に名前の出る回数は君の方が多いだろう」
アキオの言葉に緩く首をふると、アルメデは彼から離れて泳ぎだした。
広く、かなり深い浴槽のため、かなり自由に泳ぐことができるのだ。
温泉の熱によって、湯あたりすることなく、却って、ナノ・マシンの調子は良くなっている。
どうやら裸に慣れたらしいアルメデは、まるでイルカのように泳ぎ回った。
「どう、アキオ、フィーネさんと同じぐらいに泳げているかしら」
言いながら、一直線に近づくと彼に抱きついた。
「彼女がうらやましい」
耳元でそう呟く。
アルメデはアキオの首から手を離し、上を向いたまま水に浮かび、彼の肩に片膝をかける。
仰向けのまま、アキオの肩に片膝をかけるということは――
「メデ、色々と見えているがいいのか」
しかし、少女は、あらぬポーズを取りながらも自らの思考に没入し、独りごとを続けている。
「生きてアキオと共にあるのが一番だけど……死んでアキオの記憶に残るのは、その次にいいでしょうね」
ぱっと身体を起こすと、彼に顔を近づけて、もう一度言う。
「フィーネさんがうらやましい。あなたと一緒に戦えて、死んだ後も思い出してもらえて――他の誰よりもあなたに近いのは戦友だから」
「メデ、忘れたのか」
アキオは、彼女のわきに手を入れて持ち上げ、膝を外させた。
そのまま横抱きにして続ける。
「ドッホエーベで俺と君は共に戦った。それ以前にロボット戦では、モールス符号で共闘しただろう」
瞬きもせず、大きな瞳で彼を見つめる美少女に向かって彼は言う。
「100年前から俺と君は戦友だ」
「アキオ」
アルメデは、彼の背に腕を回し、しっかりと抱きしめるのだった。