494.焚書
夜半から雨になった。
アキオの胸に頬を寄せ、耳をすませて、しめやかな雨音を聞きながら少女が言う。
「静かになりましたね」
先ほどまで響いていた、重機ロボットによる災害処理は一段落したらしい。
「昨夜は、あれほど良い天気だったのに」
「噴火のせいだろう」
彼の肩から直接響く声は、いつもの声音よりさらに低く、彼女の気持ちに深く響く。
「火災の心配がなくなるのは良いのですが、被災場所が雨に濡れるのはよくありませんね」
「コクーンを出すべきだったか」
ナノ・コクーンで覆えば、雨に濡れることはない。
少女が彼の顔を見上げた。
「いえ、ナノ技術は、あまり公に見せないほうがよいでしょう。今後のためにも」
「どの程度、抑えるつもりだ」
アキオが尋ねた。
彼が言っているのは科学技術のことだ。
「その点については、ここに来るまでに、ハルカとラートリとで概要は決めてきました。詳細は後に詰めるとして――
アルメデは、ベッドサイド・ランプで仄かに明かるい壁を見つめながら続ける。
「ナノ技術は完全封印します。ロボット技術はレベル3まで。AI技術は封印、爆縮弾つまりマイクロ・ブラックホールに通じる量子力学、次元科学も完全封印」
「原子力は」
「欠陥だらけの技術ですが、核分裂制御と放射能除去技術を合わせて漸次技術公開しようかと」
「核融合は」
「今のところ封印です、つまり――」
「地球における22世紀、カヅマ博士が底上げする以前の科学か。だが、すでにニューメアの科学はかなり進んでいるな」
アキオの言葉に、少女はうなずく。
できてしまった技術、知ってしまった理論を消し去ることは難しい。
「ニューメア全土のコンピュータにはデータロックをかけます。ヴァイユの協力で」
「そうか」
アキオはうなずいた。
金色の瞳の少女の暗号は容易には解けないだろう。
「科学者については、ラートリと相談しているところです。一か所に集めて、情報が外部に漏れないように管理する程度しかできませんが」
「だろうな」
記憶を消去することはできないし、殺すこともできないだろう。
「本来は、サンクトレイカやエストラに合わせて、地球の産業革命以前の生活に戻したいのですが、上がってしまった生活水準をいきなり下げるわけにはいきませんから」
アキオはうなずいた。
「ですが、幸いにも、わたしたちには、疲れ知らずで根気強く配慮を重ねながら、世界に眼を配り続けてくれるラートリがいます。ニューメアの科学水準を少しずつ下げ、サンクトレイカなどの他国の技術を上げて、収まりのよいレベルに持っていくことは可能でしょう」
そこまで言って、アルメデは申し訳なさそうな顔になり、続ける。
「アキオ――ごめんなさい」
「なぜ謝る」
「あなたは、先に進もうとする人だから。こんな科学の後退と停滞を画策するのは嫌でしょう」
「そんなことはない」
彼は少女の背中に手をやった。
一瞬、身体を震わせたアルメデは、彼の手の暖かさに陶然となりながら尋ねる。
「どうして」
「地球の例をみても、科学の進歩は危険なほど加速してしまうものだ。今の段階で、それを止めるのも悪くない。いずれ進むにしても、そう急ぐ必要はないだろう」
「はい」
「それに、ニューメアは、本来、この世界にとって異物である地球の科学力で、異常に進んでしまったのだろう。俺と同じように異物は取り除くべきだな」
「アキオ……」
「科学の後退については、それほど気にすることはない。高度な文明が消え去って、科学技術が停滞することはよくある。アレクサンドリアの例を含めて」
「まあ」
「どうした」
「よく知っていますね。それも彼女から?」
「そうだな」
かつて、地球の地中海沿岸にあったアレクサンドリアは高度な科学、数学的知識を保有した都市であったが、侵略してきた国家が自身の宗教と科学が相容れないと知ると、数十万冊の書物を蔵する知識の貯蔵庫ともいうべきアレクサンドリア図書館を焼き払って、地球全体の科学を数世紀停滞させたといわれている。
「アキオがそういってくれると気持ちが軽くなります。わたしたちの勝手で、快適な生活を与えておきながら、後でそれを取り上げるのは心苦しいのです――」
アルメデは続ける。
「ですが、満足な教育が行われず、倫理と哲学が広まっていないこの世界で、科学技術だけが進んだら、間違いなく50年以内に人類が滅亡するとラートリが計算したのです」
「地球の方が多少教育は進んでいただろうが、それでも科学の戦時利用は暴走していたな」
「だから、あなたは、数多いカヅマ博士の研究成果と、あなたが発展させたナノ・マシン技術を外に出さなかったのでしょう」
「ミーナの助言だ」
うん、とアルメデは可愛くうなずき、
「でも、博士が若いころに発表してしまったMB理論は世界に広がって、爆縮弾が生まれてしまったのね」
「大きく網をかけないと、技術の封じ込めは難しいからな」
「そうです。今回は、ニューメアと西の国とサンクトレイカ、そしてエストラが連携してことに当たることができますから――アキオのおかげで」
「そうか」
「おそらく、この世界で初めて行われる、大規模な焚書ですね」
「ドッホエーベで各国の傭兵に使われた武器もあるだろう」
「はい」
「そこから技術が流出することもある」
「それは、キルスとカイネに任せるつもりです」
「だが――」
「その苦労も含めて、ふたりの贖罪なのですよ」
少女は、アキオが自分の顔を見つめているのに気づき、頬を染めた。
「なんですか、じっと見て」
「君は女王だな」
思えば、初めてあった幼い時から、その地位にこそなかったがアルメデの中身は女王だった。
彼の瞳を読んだように少女が小さく叫ぶ。
「やめてください!わたしはメデ。ただの女です。二日も続けて、アキオと二人きりで夜を過ごせることで、嬉しすぎておかしくなってしまいそうな……」
そういって、少女は、腕を回して彼に抱きつく。
「抱きしめてくれますか。ヌースクアムに戻ってしまえば、わたしだけのアキオではなくなってしまうから」
彼女の望み通り、アキオは、少し震えるアルメデの細い体を抱きしめてやるのだった。