493.転身
書き始めた時から決まっている結末へむけ、先へ先へと走ろうとする筆先(キータッチ?)を抑えて、ヒロインたちの逸話を描こうとしているのですが――
今回は、物語を先取りしてしまいました。
ほんの少し、ですが。
避難所として使用されている戦時用大規模地下シェルターには、多くの被災した人々が詰めかけていた。
だが、都市の人口のほとんどを収容できるよう作られているため、それほど混雑はしていない。
割り当てられた個室へマドロンを寝かせたミレーユは同僚を見た。
その穏やかな横顔からは、ついさきほど手足を潰されて死にかけていたとは思えない。
ここに連れてきたのは、友人の住む家が倒壊してしまったためと、完全再生し、もう大丈夫と言われたものの、手足を失うという大けがをしたマドロンは、大事をとってしばらく寝かせた方がいいと、アルメデに言われたからだ。
小さな声で礼を言って眠りに落ちるマドロンの寝顔をしばらく見たのち、彼女は通路へ出た。
倒壊を免れた自分の住処に、友人の当座の生活に必要な荷物を取りに行くためだ。
地震のため、マドロンの住まいは完全に崩れ去ってしまい、災害用ロボットが荷物を取り出してくれるまで、着替えがないのだ。
混み合う大部屋を通って、階段を上がり、地上に出た。
シェルターは、新市街と旧市街の境界付近に位置しており、その入口は、オールドハード側に一つ、ニューハード側に二つある。
ミレーユが出たのはオールドハード側だ。
彼女は、軽い足取りで自分の古アパートへ向かおうとして、知った顔を見つけた。
入り口に設置されている情報スクリーンに映し出される名前を見つめている。
その人物は、しばらくそれを眺めていたが、表示情報が一巡すると、興味を失ったように踵を返した。
ミレーユは、厳しい表情のまま、少し離れて後をつけだす。
先を行く人物は、彼女の尾行に気づかないまま、オールドハードへ向けて歩き始めた。
街中、いたるところ軍用車が走り回り、タルト山の噴火は収まったことと、もう大きな地震は起こらないことを知らせている。
夜も更けてはきたが、大地震の後ということもあって、人々は通りに出たまま、壊れた建物や都市の背後に聳える火山を指さして話し合っていた。
そういった車と人々の間を縫うようにして、その人物は進んでいく。
しばらく後をつけるうちに、ミレーユは尾行対象が、彼女の住処に向かっていることに気づいた。
思った通り、相手は彼女のアパートの入口から中に入っていく。
躊躇せず、ミレーユは建物の横の路地に入り、壁に向かってジャンプした。建物の間の狭い壁をジグザグに飛び移って、自分の部屋の窓枠に飛びついた。
眼だけを出して中を覗く。
ドアにノックの音がして、彼女の名を呼ぶ声が聞こえた。
しばらくして扉が開いた。
慌てて出かけたため鍵をかけ忘れたらしい。
狭い部屋を見回した相手は、洒落た服のポケットから、通信機を取り出した。
都市内だけでしか使えないが、便利な道具だ。
値段も高いため、持っている者はすくない。
通話相手の声は聞こえないが、片方の言葉だけで、会話の内容はだいたい分かった。
一応、彼女の安否を気にかけているようだ。
だが、その後に続く会話を聞いて、ミレーユは肩を落とした。
もう一度、避難所で確認するために、情報スクリーン前で待ち合わせる約束をした相手は、部屋を出て行く。
路地に降り立ったミレーユは、再び尾行を始めた。
「久しぶり」
避難所の前でスクリーンを見上げるふたりに声をかける。
「ミ、ミレーユ無事だったのね」
「心配したのよ。会いたかった」
一瞬、驚いたのち、二人は心底嬉しそうな笑顔を見せた。
「わたしも会いたかった。レルナ、カデット」
そう言いながら、心のなかで苦笑する。
それは心配だっただろう。
自分たちの大事な財布がいなくなったら困るから。
ミレーユは、ふたりの服を見る。
都市最新の、可愛らしい服だ。
きっと高いだろう。
その金の出所がおそらく……
少女は、二人が自分の服を見ているのに気づいた。
「あなた、可愛い服を着ているわね」
レルナが言う。
「ええ、素敵な人たちからもらったの」
自分が今着ている服は、もともと黒の魔王から貰った服だ。
それを、マドロンを救出したあとで、アルメデさまが意匠を変えてくださった。
あなたは綺麗なのだから、もっと可愛い服をきなさい、と仰って――
「あんたたちこそ、良い服を着てるわね」
「わ、わたしたちは、潜入捜査があるから」
慌てて言いつくろう二人に向かって、彼女が言う。
「そう……まあ、どうでもいい。わたしはこの国を出るから」
「え」
驚くカデット。
「駄目よ」
「どうして」
「任務放棄は重罪よ」
「だったら――」
ミレーユは整った顔を冷たくして言う。
「どこへでも訴えて出ればいい」
この国を出る。
それはアルメデの提案だった。
外国は、この国のように高位魔法は発達していないが、あなたの技量があれば、充分生きていけるし、クルアハルカを始め、各国の王も手を貸してくれる、と
王だなんて恐れ多いと、それは断ったが、少なくとも、彼女がこの国を出ることに苦情はでないはずだ。
そして、彼女は、さっき、マドロンの寝顔を見ながら、彼女と共にニューメアを出ることを決めていたのだ。
高位魔法がない?
何ということはない。
彼女が幼いころは、電気すらなかったのだから。
「ちょ、ちょっと、こっちへきて」
ふたりに腕をつかまれて、ミレーユは人気のない路地に連れ込まれる。
「あなた、本気なの」
「わたしたちは宰相直轄の工作員なのよ」
「キルスさまはもういないでしょ。この先のイフ城で静かに暮らされている」
「そうじゃなくて、わたしたちは、国の命令でここにいるということよ。それを無視するということは――」
「反逆罪ね」
「それでいいわ」
つまらぬ脅しに虚しくなったミレーユは、背を向けた。
「待ちなさいよ」
彼女の肩に手がかかるのを強く振り払う。
「身体に分からせる必要があるみたいね」
レルナが言い、カデットがうなずいた。
「そうだね」
ミレーユが逃げずにそう言うと、二人は意外な顔をした。
訓練の模擬戦闘では、ミレーユは、二人とほぼ互角か少し弱かった。
身体能力はともかく、頭脳的に闘わないため、攻撃が単調になるため、裏をかかれたからだ。
2対1となれば、ミレーユに勝ち目はない。
しかし――
二人の前にいる少女は別人のように落ちついている。
「やるなら早くしましょう」
30秒後、ミレーユは路地から出てきた。
暗がりには、服が泥だらけになり、手足が曲がってはいけない方向へねじ曲がったレルナとカデットが転がっている。
3カ月前から、骨折程度なら1時間ほどで治るようになっているから、放置しても問題はないだろう。
そう考えて、ミレーユは自分のアパートに向けて歩き出す。
歩きながら自分の手を見る。
今までと変わっているようには見えない。
だが、どういうわけか分からないが、彼女は、自分の戦闘能力が大幅に底上げされていることに気づいていた。
今まで勝てなかったふたりと闘っても負ける気がしなかったのだ。
黒の魔王と闘ったからだろうか。
それとも、彼がくれた食料のせいだろうか。
そうだ、マドロンが眼を覚ましたら、あの美味しい食べ物を一緒に食べよう。
まだ、何本か残っていたはずだ……
実際は、マドロン救助の際に、アキオがミレーユのグレイ・グーの制約を緩くしたことが身体能力向上の原因だったのだが。
ともかく、これでこの都市で彼女を縛っていた軛を逃れることができた。
あとは、マドロンの回復を待ってこの国を出るだけだ。
どこに行こう。
そう考えて、足取りも軽く、彼女は夜の街を歩いていくのだった。
しばらく後――
サンクトレイカ北部のシュテラ・サドムの食堂にシャルレ農園から食材が運ばれてきた。
冗談を言い合いながら、荷を受け取っていると、農園主のエルドが声をかけてくる。
「聞いたかね。北のダドスの森で暴れていた魔獣が退治されたそうだよ」
「これで、北周りで西の国へ行くのが楽になるわね。ノラン王もやっと軍隊を出してくれたんだ」
「いや、討伐したのは二人だ。何といったか」
「冒険者ですよ、親父さん」
荷運びの手を止めずに、使用人のアランが言う。
「聞いたことないわね、傭兵じゃないの」
「いや、傭兵じゃないですよ。国に関係なく魔獣や盗賊を退治してくれる連中なんです。有名ですよ、なぁ」
アランが、黙って荷物を降ろしていた銀色の髪の男に話しかける。
男は黙ったままうなずいた。
「大陸の各地で活躍している男女ふたりですよ。有名じゃないですか。美男美女の組み合わせで、とくに女性の方が氷の美女って呼ばれてて――」
「おまえ、よく知ってるな」
「昨日、広場で討伐報告をするのを見てたんですよ。それでね、怖いほど冷たくて綺麗な女性なんだけど――」
「けど?」
「男の方から声をかけられた拍子に、ふっとダルネ山の氷雪がとけるみたいに優し気で暖かな笑顔になるんですよ。あんなもの見せられたら、男も女も魂抜かれちゃいますね」
言ってから、はっと気づいて、
「いや、もちろん『サドムの恋人』と名高いおふたりも負けてはいませんがね」
そう言われて、ミレーユは明るく笑い、
「料理の味で通ってもらえるようにならないとね」
「充分、うまいですって。特にあの作業中に食べられるレーション、あれが最高ですよ――ああ、でも、男なら一度でいいから、ノオトさまになってみたい」
脈絡なく男が言葉を続ける、が、
「アラン!」
叫ぶような声を掛けられて、驚いて少女を見た。
「その冒険者の名前は、ノオトさまというの」
「ええ、知りませんでしたか?有名でしょう。冒険者、ノオトとマリアって」
男は、胸に手を当て黙り込む少女を見る。
その時、通りの向こう、中央広場から美しい歌声が聞こえてきた。
「なんか、最近、変なことばかり起こる世の中だけど。あの『地球の蒼い空』と冒険者さまの活躍が世の中を明るくしてますよね」
言ってから、アランが付け加える。
「もちろん、この街の者にとっては、この食堂の料理と、ミレーユ、マドロンの看板娘も心の支えですけどね」
そういって、見上げる店先には、彼にはわからない言葉で書かれた、黒の王という看板が風に揺れるのだった。