490.合格
アキオとキルスの戦い同様、開始の合図のないまま、戦闘は始まった。
アルメデは、カイネの出方を見ることにして、僅かに重心を前に傾け、様子をうかがう。
素手で闘うということは、ほぼ間違いなく突きと蹴りの打撃系を使うだろうし、体重の軽いカイネであれば、それを補う速度を――そう考えていたアルメデの目の前に少女が現れた。
カイネが加速したのではないことは確かだ。
アルメデの意識自体は、彼女が、するすると近づいて来たことを理解していたからだ。
だが、なぜか、その動きを彼女の戦闘意識が見落としていた。
アキオに出会ってから、長きにわたって、彼女は戦闘技能を磨き続けてきた。
その結果、ナノ強化がなくとも、彼女の戦闘能力は、攻撃を受けると同時に半自動的に回避か反撃をする段階まで達している。
だが、いま彼女は、易々とカイネの接近を許してしまった。
まるで魔法のように。
打撃が来る。
アルメデは身構えた。
おそらくカイネは、心臓か肝臓を攻撃、あるいは血液の貯留臓器である脾臓に外部から衝撃を与えて、身体全体に影響を与えるつもりだろう。
そう思った途端、手首を掴まれた彼女は腕を振りかぶられて、掌を背面に回された。
バランスを崩されたアルメデは、カイネの押し込みに耐え切れず、背後に倒されそうになる。
これは――
咄嗟に彼女は身体を捻ってきめられかけた関節を開放した。
ナノ強化を使えば、いかに関節をきめられようと、可動域を360度以上にして簡単に回避することができるが、いまは通常の人間と同じ関節、腱、筋力で闘うことが前提であるからそれは使えない。
と、意識するまもなく、再びカイネが絶妙の足運びでアルメデに近づき、平手で彼女を衝く。
僅かな重心の乱れを利用して、背中から地面に落とそうと肩を押しこんでくる。
それをアルメデは、ただ身体の柔軟さと反射神経を使って背後に手をつき、足を閃かせると、鮮やかに後方回転してカイネから距離を取った。
整った顔を上気させて、言う。
「正直、驚きました。今のは、トルメア式近接格闘術とは違いますね。より――洗練された動きに思えます」
「スタンから習いました」
少女の答えに、アルメデは納得する。
あの戦闘好きの男なら、多少変わった戦闘術も習得していたことだろう。
「しかし――」
「ええ、あの人は機械化されていましたから、直接、指導を受けたわけではありません。理論を教えられただけです。あとはモクジンを相手に練習を重ねました」
モクジン――トルメアでは、戦闘訓練用アンドロイドをそう呼んでいた。
なぜそう呼ぶのかは不明だが、ともかくカイネは、モクジンを使って、密かに技術を磨いたのだろう。
再びカイネが彼女に迫る。
最初の攻撃で、微妙にタイミングを外されて踏み込まれた失敗を避けるため、今度は、少女の動きの兆しを感じるともに背後に下がって、今度は逆に彼女の手首を持った。
アルメデは、一度受けた攻撃なら、かなりの正確さで再現することができる。
しかし、どういう工夫があるのか、あっと思うより早く、彼女の身体は高々と宙に跳ね上げられてしまっていた。
さほど力を加えたとも見えぬのに、カイネが片手で彼女を投げ飛ばしたのだ。
一瞬、驚いたアルメデだが、少女が空中の彼女に追撃をしてこないことで、口元に笑みを浮かべた。
空中戦は彼女の得意分野だ。
ナノ強化を行わずとも、いろいろなことができる。
形の良い脚を、体操のように美しく回転させると、身体を捻って、カイネに逆関節をきめるように着地する。
それに合わせて、少女も、アルメデと手をつないだまま、ダンスを踊るように身体をまわし、関節を開放した。
「驚いているようですね。あの程度では、わたしは倒せませんよ」
しまった、という表情を浮かべるカイネにアルメデが言葉をかける。
「いえ、そうではありません」
少女が眉を顰めて言う。
「あなたがお強いのは知っています」
「では、何なのです」
「いま、あなたが足を回されたその先に宰相がおられました」
一度手を離したカイネが、再び近づき、今度はアルメデの胸元を持って、引き倒そうとするのを、身体を回して避けたアルメデが問う。
「それが?」
「おそらく、スカートの奥が見えてしまったと思います。あの人に、それは見せたくありません」
「まあ……」
アルメデは思わず可愛い声を上げた。
カイネは、まだ、キルスの心がアルメデに向いているのではないかと心配しているのだ。
引き手を取りあう、激しい攻防を繰り広げながら彼女が続ける。
「気持ちはわかりますが、それはキルスに失礼ですよ――ならば、今度は、回転式跳ね起きで起き上がることにしましょう」
アルメデは、別名、烏龍絞柱、足を大きく回転させて起き上がる技の名を挙げ、少女を牽制した。
「それこそ、丸見えではないですか」
そう叫んだカイネの動きが一瞬、淀むのを捉えて、アルメデは美しい動きで少女を倒し、上から抑え込んだ。
「戦闘中に心を乱すのはよくありませんね」
カイネの眼を上から覗き込んだアルメデが言う。
美少女ふたりが、唇が触れんばかりに顔を近づけて見つめ合うのは、なかなかの絶景ではあるが、それを見つめる二人の男は無表情に会話を交わしている。
「なかなかいい動きだ」
アキオがキルスに言い、
「彼女があれほど動けるのは意外だ」
キルスが答える。
「むかし、あの動きをする兵士と闘ったことがある。一般の人間には、あれは厄介な技だ。彼女は強い」
「あなたが、そういうなら安心だ」
「アキオ、時間は?」
起き上がったアルメデが尋ねる。
「1分2秒だ」
彼女は、カイネに手を貸して起き上がらせた。
「合格ね。でも、追撃の手は緩めないように」
そう言うと、さっと近づき、軽く抱きしめるように耳元で続ける
「さっきのは嘘です。アキオ以外にそれを見せるつもりはありませんからね」