049.朝食
朝、目を覚ますと、アキオの視界はモノクロになっていた。
左が白で右が黒だ。
なんとなく状況がわかって彼は身体を起こそうとし――動かせないことに気づいた。
左半身にピアノが乗り、右半身にユスラが乗っている。
顔の左右に少女たちの髪がかかっていた。
頭を振って、それを払いのける。
少女たちは、ふたりとも、着ている衣服を数えたら1本の指で足りる軽装だ。
それぞれの少女は、アキオの寝間着がわりのゆったりとしたシャツのボタンを外し、左袖にはピアノが右腕を通し、右袖にはユスラが左腕を通して最大限に彼との密着を図っている。
体が動かせないわけだ。
まるで冗談のような構図だ。
どうしようかと考えていると、ピアノが身じろぎして顔を上げ、ぱっちりと目を開けた。
「おはようございます」
同様に、ユスラも顔を上げ、挨拶する。
「おはよう、アキオ」
あまりに良い笑顔でいうので、アキオは怒るに怒られなくなる。
「一般の方の言い方はこうでしょう」
「そうだな――」
「さあさあ。早く起きなさい、お姫さまたち」
ミーナの声が響く。
アキオは、今までと違い、この場にAIがいたことを思い出し、
「おい、お前は一晩中監視しているはずだろう」
「それが昨夜は、久しぶりに簡易自己診断をかけちゃって――」
もちろん嘘に決まっている。
「起きるんだ」
「はい」
少女ふたりは声を合わせて返事をするが、そのままアキオの半身の上で、ごろごろと猫が寝返りをうつような動きをする。
「はいはい。お嬢さん方。また今夜もあるんだから」
「それはない」
憮然とするアキオから離れると、少女たちは、ベッドの脇に置かれた服を手早く着込んで部屋を出て行った。
「ミーナ、対策を考えろ」
「何の?」
「不安や寂しさで添い寝に来るのは、それもよくないと思うがあるかもしれない、だが、さすがに2人同時はまずい」
「ダメなの?」
「駄目だ」
アキオの言葉の硬さに、ミーナは胸の中でため息をついた。
殺人を含め、ほとんどのことに禁忌を持たないアキオなのに、こと女性との肉体接触に関しては異常に潔癖度が高い。
おそらくは、彼女のせいだろう。
別に彼女が男性に一途さを求めたわけではない。
生涯を孤独に過ごした少女の、異性に対する憧れが、恋愛というものへの憧憬が、短いながらも供に生きたアキオへ焼き付いたのだろう。
ミーナは心を決める。
「アキオ」
「なんだ」
「あなたは彼女の最後の3つの言葉を覚えているわね。わたしたちが唇を読んだ」
「よせ」
「よさないわ。彼女は言ったわね。『人間になって』、『たくさんの人を愛して』」
「だまれ!」
「ごめんなさい。でも、わたしは、あなたが孤独に過ごすことをあの人は望んでいないと思う」
「……」
「それにね――」
沈んだ空気を変えるように、ミーナが明るく言う。
「わたしに言わせれば、何をいまさら、っていう感じね」
「なんだ?」
「聞いてるわよ。ユイノたちの少女まみれの話」
「あれは――」
「あれはあれでよかったの。そうすることで、彼女たちが心の安定を得られるなら、わたしは構わないと思う」
「しかし――」
「あなたは肉体的に彼女たちを傷つけてはいないでしょう」
「ああ」
「アキオは我慢できない?精神的に」
「いや」
「なら大丈夫。双方実害なしで、この話はこれで終わりね」
納得できないまま話を打ち切られるが、人間心理を知るAIに、それが彼女たちのためだと言われたらアキオには反論できない。
少女たちに顔を洗わせて用意させると、ミーナに促され、アキオはふたりをつれて朝食をとりに外に出ることにした。
「あら、可愛いわね」
部屋から現れた少女を見てミーナが言った。
その言葉に、ユスラが頬をほころばせる。
「ピアノさまがやってくださいました。こんな髪型は初めてなのでうれしいです」
その言葉で、アキオはユスラの長い黒髪が緩やかに二つの三つ編みに編まれているのに気づいた。
もちろん、彼はそれが何という髪型なのかは知らない。
「どう、ですか?」
ユスラが尋ねる。
「褒めて!」
インナーフォンでミーナが叫ぶように言う。
「いいんじゃないか――まとまって」
「アキオ!」
ミーナは怒りの声を上げるが、ユスラは笑顔になった。
サイクロップス・アイは湖に廃棄したので、いま大きな荷物はRG70だけだ。
アキオはレイル・ライフルに触れ、ショック・プロテクトを起動する。
特定のボタン操作をせずにライフルに触ると感電する盗難防止装置だ。
宿屋の主人に部屋の荷物には触れないように言っておく。
宿を出ると、昨夜のうちに、青水晶亭の男に勧められたバルトに向かった。
バルトというのは、ゴラスのような観光地にある、酒も飲めるレストランのような施設らしい。
金は盗賊から巻き上げた分がまだまだ残っているので問題はない。
そう考えて、あの盗賊=結社の頭目がピアノの父であったことに気づく。
おそらく必要ないと言うだろうが、あとで、ある程度の金を渡しても良いかもしれない。
案内された席で、朝の定食らしきものを注文する。
黒髪と灰色髪の少女たちは、相変わらず仲良く上品な会話を続けている。
しかし、アキオは店に入ってから多くの視線を感じて困惑していた。
隠密行動を得意とする兵士の習性として目立つことを嫌う彼は、普段の生活でも注目される行動はとらない。
「ミーナ」
「はい」
「なぜ皆、こちらを見ている」
彼は、シュテラ・ミルドの時と違って、ユスラが露出の少ないおとなしい恰好をしているので安心していたのだ。
「そりゃあ、そんな綺麗な娘たちを二人も連れていたら目立つでしょう」
「きれい……か」
「あなた、そう思わないの?ふたりのどこを見てるの」
「一番はバイタルだ。あとは目と目の間。普通そうだろう」
どこの普通?それはヘッド・ショットの狙撃場所でしょう、と危うく言いそうになったミーナは何とかこらえ、
「もういいわ。とにかく、バルトに来ている人々は、あなたの連れの少女たちを見ているの。そしてあなたを羨んで睨んでいる。女性たちは、連れの男が見ている二人の少女を睨んで――あなたには興味がないでしょう」
「対策は」
「無視すること。実害がないから」
「わかった」
しばらくして定食が届けられた。
小さく歓声をあげた少女たちは、さっそく食事にかかる。
もと貴族だけに2人のテーブル・マナーは美しい。
アキオは、食事に興味がないので、適当に皿の上のものを平らげていく。
「おいしかったです」
食事を終えてバルトを出ると、少女2人は笑顔で礼をいった。
「よかったわね」
ミーナが返事する。
こういった細かい応対をしてくれると、アキオはうるさいAIを歓迎したくなる。
「これから馬車まで戻るわけだが――」
アキオがミーナに言う。
「ユスラの体調は?」
「大丈夫だ」
「それなら彼女に身体強化に慣れてもらって、一緒に走って帰る、というのが現実的な案ね」
「やはりそうか――ピアノ」
「はい」
「ユスラに身体強化を施すから、練習に付き合ってやってくれ」
「わかりました!」
ピアノがテンション高く返事する。
アキオたちは、水晶のモニュメントが立ち並ぶ美しい通りを歩き、公園に来た。
よく整備された大きな公園だが、午前中の早い時間ということもあって人影は少ない。
「ここでいいか」
アキオはアーム・バンドに触れてユスラを身体強化した。
「ピアノ、始めてくれ」
「はい」
そういって、少女はユスラの手をとる。
「初めは、ゆっくり歩いてください」
ピアノがアドバイスするものの、ユスラは一歩踏み出してひっくり返りそうになる。
ワイワイ言いながら、楽しそうに練習する少女たちをながめて、アキオは言った。
「いまの間に、魔法について分かったことを話せ」
「了解」
そうして、ミーナは、この世界の『魔法』について語り始めた。