485.覚悟
昼まで作業に集中し、その後、昼食をとった。
朝食同様、カイネが用意し、キルスは食べるだけだ。
もちろん、彼が料理を嫌いなわけでも、できないわけでもない。
料理は女性の仕事、などという馬鹿げた考えも持ってはいない。
生来、人任せの嫌いな、独り暮らしの長い男だ。
地球時代も、自宅に戻った際には、ロボットに任せず自分で調理をしていた。
もっとも、一年のほとんどの時間を、早朝から深夜まで高い城で過ごしていた彼は、食事する時間に在宅すること自体、稀だったのだが。
そうであるから、今回は、当然、自分で作る――少なくとも交互に料理する――つもりだったのだが、どうしても、カイネが譲らなかった。
彼女に言わせると、それも含めた罰、ということらしい。
少女の頑固さについては、100年を通じて熟知している。
だからキルスは、あえて議論することを避けた。
それについては時間をかけ、タイミングを計って説得し、調理する機会を増やしていこうと考えたのだ。
テーブルに並ぶ料理は質素であった。
ふたりで、そうするよう決めていた。
彼らは罪人だ。
水と食材は、定期的に1.5キロ離れたアドハードから送られて来る。
それを海上輸送し、イフ島に搬入するのは四足歩行の汎用ロボットだ。
キルスたちが、それらと接触することはない。
運び込まれた食材は、自動的にリフト・アップされ、調理場横の食料貯蔵室に保存される。
食材、調味料とも潤沢に運ばれてくるため、その気になれば豪華な食事をつくることも可能だが、その気のない彼らは、もっと食料を減らすように要望を出し続けている。
ふたりとも、地球にいるころから、美食には興味がなく、外交のために国外に行く時か、国内で賓客につきあう時以外は、豪華なコース料理など食べずに、基本的に栄養補給として食事をとるだけの生活を続けていたのだ。
共に、ナノ・マシンが体内にいるため、まず体調不良が起こらないから、ということもある。
イフ城は、かつてアドハードの実験要塞だった。
それ以前は、物好きな貴族が、いかなる理由かは分からないが、海に浮かんだ小さなイフ島に別荘として建てた、単なる楕円筒形の石造りの城だった。
その後、王国がそれを増築、改装し、実験施設として使っていたのだが、とある事故で施設が破壊された後に、遺棄されて数年が経っていた。
今回、キルスとカイネが蟄居するに当たって、地下5階を含む、城の大部分を占める科学実験区画は封鎖され、わずかに残っていた、元からある石造りの部分を居住区として利用しているのだ。
昼食後、再び作業に戻る。
大きな窓から差し込む陽射しに照らされて部屋の中は明るい。
窓辺に置かれたままの、連絡用タブレット端末に陽光が反射して、天井にひと際明るい光を落としている。
基本的に、彼らに与えられた電子機器はそれだけだ。
さらに、それにも厳しい制限が設けられていて、端末でできることは、彼らからの要望を伝えるだけの一方通行だった。
ネット内の情報にアクセスすることはできないし、メッセージに返信されることもない。
3日ほど経って、要望した資料が紙ベースに印刷され、パントリー横の受信ボックスに届けられて初めてメッセージが伝わっていたことを知るだけだ。
そのまま、静かに時は流れていく。
3時過ぎに、つと立ち上がったカイネがお茶を入れた。
窓辺のテーブルに向かい合って座り、それを飲む。
特に会話はない。
やがて、太陽が傾き、窓から差し込む光が弱くなると、キルスが壁のスイッチを操作して明かりを灯した。
昼と変わらぬ粗末な夕食が用意され、ふたりで食べる。
食後、まだ時間が早いので、再び書斎に戻った。
昨夜はこのまま、深夜まで作業を続けたのだ。
孤島に送りこまれてからの彼らの生活は、毎日がこんな調子だった。
キルスもカイネも、そんな、やっと手に入れた、穏やかというより、静かな生活がずっと続くと考えていた。
今日と変わらぬ明日が連綿と続いていく、と――
だが、そんな淡い幻想は微塵に打ち砕かれる。
数日後の夕方近く、いきなり激しい揺れが城を襲ったのだ。
「キルス」
机から立ち上がったカイネが、怜悧な美貌に怪訝な表情を浮かべて彼の名を呼ぶ。
特にあわててはいない。
キルスは無言でうなずいた。
ふたり揃って書斎を出て、テラスへ向かう。
自室と反対方向へ廊下を歩き、突き当りの扉を開けた。
その途端、硫黄分を含んだ風が顔に吹き付ける。
「タルド山だな」
キルスがつぶやく。
だが、彼らのいる小さなテラスは南向き、つまりタルド山とは正反対のため、山の様子を知ることはできない。
人のいる都市部方向には高い壁が作られ、行き来どころか、景色を見ることさえ禁じられているのだ。
「見てみますか?」
カイネの言葉にうなずくと、彼は、身軽にテラスから壁に飛び乗った。
本来、広々としていたテラスは、この壁によって仕切られている。
少女も、軽々と彼の後に続いた。
このことから、彼らを軟禁状態にするアルメデの本気度が量られる。
本当に、ふたりを閉じ込めておきたいのなら、ナノ・マシンを抜き出すか、機能停止させるべきなのだ。
彼らは、そのまま壁を走った。
反対側のテラスに降り立つ。
そこは、普段、彼らのいる側とは違い、長期間手入れされていないため荒れていた。
床はたわみ、ところどころから草が生えている。
「キルス」
少女の声で、彼女の指し示す方角を見た彼は、わずかに眼を見開いた。
タルド山の火口部が赤く燃え、少量ながら火山弾を弾き出していたからだ。
「火山の制御を間違えたか」
「はい、おそらくは」
彼らも、アドハードが地熱発電によって電力を得ていることを知っている。
イフ城の電力もその一部を利用しているのだ。
さらに、都市の科学文明が発達するにつれ、電力不足が深刻化していることも理解していた。
「どう見る?」
キルスの問いに、あっさりとカイネが答える。
「大規模噴火はさけられないと思います」
「そうだな」
噴火にともなって流出した溶岩は、山の麓とでもいうべき場所に位置するイフ城を薙ぎ払うだろう。
かつて、事故を起こした科学要塞を再生しなかったのは、この危険性が高かったからだ。
だが、キルスの胸には、恐怖も焦る気持ちもなかった。
彼を見つめる美少女の澄んだ瞳にも恐れはない。
「まあ、こういうことだな」
彼が言い、
「そういうことですね」
カイネが答える。
その時、ひと際激しく揺れたかと思うと、山頂から大量の火山弾が吹き出した。
彼らの方角にも飛んでくる。
さらに火口から溶岩が流れ始めた。
「市民は逃げたでしょうか?」
「おそらくな」
犯罪者の彼らには知らされない火山情報も、都市の人々には共有され、早めの避難がなされているだろう。
時を置かず、大量の溶岩が火口からあふれ出した。
都市側より海側に多く流れ出しているようだ。
海上とはいえ、事実上、タルド山の直下に位置するイフ城は、膨大な溶岩を避けられないだろう。
いかに、ナノ強化が施されていても、人の身は溶岩流の高熱には耐えられない。
キルスは、テラスに置かれた石の椅子に腰を下ろした。
穏やかな眼で少女を見て、手を差し伸べる。
「おいで」
少女は彼の手を取ると、流れるように身を預けた。
あらためて胸に抱くカイネの身体は暖かだった。
それ以上に、彼女が小さいことに彼は驚く。
彼の頭の中のカイネは、曲がらず、揺るがず、正確、端正で大きな女性だったからだ。
だが、実際に腕に抱く彼女は、小さく、儚げで――たおやかだった。
彼の口元が僅かに緩む。
死の直前でさえ、新しい発見はあるものだ。
キルスは、彼女が少し震えていることに気づく。
「怖いのか」
「いいえ、嬉しいのです」
そういうと、少女は、瞳を閉じて、彼の胸に頬を寄せるのだった。