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048.夜話

 夜になって、グレーシア女公爵(パドリエ)から、ただのユスラになった少女はベッドに横になった。


 ぼんやりメナム石に照らされる天井を眺める。


 この数日は激動の日々だった。

 誘拐され、街に遊び、恋に落ち、再び連れ去られ、腕を斬り落とされた。


 少女は、シーツから出した傷一つない右の腕を見る。

 例の痣もなくなっていた。

 アキオによると、彼女が死んだ、あるいは少なくとも傷ついた証拠として、もとの腕は艦橋に残してきたらしい。

 もちろん、彼女は痣のある右腕に何の未練もない。痣は彼女にとって呪いの象徴だった。

 アキオがナノクラフトという魔法で作ってくれた痣のない右腕が嬉しかった。


 でも……

 ユスラは考える。

 今日、水晶であふれる美しい街をアキオと灰色の髪の少女と三人で回ったあと、彼に記憶の伝承について尋ねられたのだった。


 実のところ、彼女に記憶の伝承に関する知識はない。

 5歳の時に、王宮の伝承の間(ヤルト・ロウハ)に行き、帰ってきたときには、戦術の知識が身についていたのだ。

 伝承の間(ヤルト・ロウハ)の中の記憶はない。

 そう答えた時の、アキオの落胆ぶりが彼女を苦しめている。


 何とかして思い出そうとしたのだが、伝承の間(ヤルト・ロウハ)の入り口で気を失って、次に気づくと部屋の入り口で伝承官(スガル・ロウハ)に手を引かれて立っていたことしか思い出せない。


伝承官(スガル・ロウハ)、そいつが記憶伝承の儀式を仕切っているのか』

 アキオが尋ねた。

 少女がうなずくと、彼女の想い人は暗い瞳でもう一度『伝承官(スガル・ロウハ)』と繰り返し、黙り込んだのだった……


「あ、あの」

 隣のベッドから声がする。


 ピアノだ。

 彼女は、紅い瞳で灰色の髪の、彼女が見たことがないほど美しい少女だった。


 昼に目を覚ましてからほんの数時間話しただけで、彼女とは意気投合してしまった。

 高すぎる身分と特殊な才能のため、ミストラたち限られた少女以外とこんなに親しく話をしたことがない。

 何気なくそういうと、ピアノは自分もそうだといった。

 彼女も貴族の生まれだそうだが、色々あって同年代の友だちはいないらしい。

 街を歩きながら、ピアノとはいろいろ話をした。


 話の内容は、おもにアキオのことだが、ピアノが彼について語る様子を見るだけで、この少女が、どれほど深くアキオに恋しているかが分かって微笑ましかった。

 ユスラも、自分がアキオに恋していると分かっているが、不思議とピアノに嫉妬心は感じない。


「はい、なんでしょう」

 少女はピアノに向けて返事をする。

「もしよろしければ、こちらに来ませんか?それとも、わたしがそちらに行っても――」

 ピアノが言い終わるより前に、ユスラは枕を持って彼女のベッドに潜り込んでいた。

「来てくださったのですね」

「ええ、人のベッドに入るのは、これで二度目。一度目は――」

「アキオのベッド!」

 少女たちは声を合わせて言い、笑う。


「そうだったのです!」

「ユスラさま」

 メナム石の薄明りの中、ピアノが口に指を当てる。

 声を潜めて話しているつもりが、いつのまにか、はしたない大声になっていることに気づいて少女は赤面した。

「ですから、わたしは初め、アキオが誘拐団から獲物を狙う、新しい誘拐団の者だと思っていたのです。でも袋越しに話を聞いていると、どうも違うのでは、と気がついて――」

「姫さま」

 ピアノが申し訳なさげに身体を小さくしていう。

「わたしはただのユスラ。それに元も女公爵パドリエですよ。姫ではありません」

「わたしは、もともと結社の人間なのです。ですから当然知っています。あなたが本当の――」

「その話はやめましょう」

「はい」

「それよりも、あなたのような方が結社にいたとは……」

「ユスラさま」

 ピアノがさらに体を小さくする。

「わたし、暗殺を生業なりわいにしておりまして、身体をこわして結社から捨てられたのです。最後の仕事で狙ったのが……アキオでした」

「え」

 黒髪の少女は目を丸くする。

「あなたは、たぶんわたしの声を聴いておられます。お城の外、初めてアキオの声を聴かれた時に」

「まぁ」

 また少女の声が大きくなる。

「つまり、あの時、アキオを狙った誘拐団を倒した女性はあなただったのですね」

「そうです」

「では、お礼をいわなければ……」

「おやめください」

 ピアノはユスラの腕をつかみ、

「わたしはあなたを見捨てようとしました。あの少し前まで身体じゅうに毒が回って、何もかもどうでもよくなっていたのです」

「毒?」

「はい、暗殺用の毒です。それによって眼は潰れ、鼻はなくなり、唇もなくなって、歯がむき出しになっていました」

 ユスラは、そっと自分と向かい合って横になる少女の頬に触る。

 頭を撫でてやる。

 この、人形のように美しい少女が、そのような姿になっていたとは……それは、今日、自分が腕を切り落とされた時以上の絶望であっただろう。


「ユスラさま」

 ピアノは薄闇で手を伸ばし、ユスラが声を立てずに涙を流しているのを知った。

「泣かないでください」

「でも、悲しすぎます」

「いまは、こうしてすっかり良くなりました」

「それもアキオが?」

「そうです。ナノクラフトという魔法、いえギジュツというそうですが、によって」

「本当に良かった」

「アキオは、殺そうとしたわたしを助けてくれました。それも……毒で崩れたわたしの顔に口づけて」

「まあ」

 ユスラは、一見ガラス人形のような冷たい印象の少女の中に燃えるアキオへの思慕の理由が分かった気がした。

 彼女は、傷ついた体にアキオへの愛を焼きつけられてしまったのだ。

 もちろん、彼女はそれを不幸だとは思っていないだろう。

 同様の経験をしたユスラもそうは思ってはいないからだ。


「愛しているのね、アキオを」

 薄闇の中で、ピアノは少し困った顔になる。

「わたしには愛というのがよくわからないのです」

 そういって、少し笑い、

「前にアキオにこういったことがあります、あなたには、殺意と感謝と……なにかモヤモヤしたものがあったけれど、殺すのを諦めたら感謝とモヤモヤだけが残った、と」

「そのモヤモヤが愛なのですよ」

「そうなのでしょうか」

 ユスラは、自分より年上でありながら、子供のようなことをいうピアノが限りなく愛おしくなった。

 そっと抱きしめてやる。

「姫、いえユスラさま」

 そういって、ピアノも少女を抱きしめる。

 少女の頬に髪飾りが触れた。

 これを取りあげられようとしたまさにその時、女公爵パドリエが告げた言葉をピアノは思いだす。


「欲しいなら腕ごとお斬りなさい。この髪飾りにはそれだけの値打ちがあります」

 なぜ、それほど執着する。稀代(きだい)の宝でもあるまいに。

 そういって笑う男に彼女は毅然(きぜん)と言い放った。

「あなたにはわかりません。本当の宝とは、()()()()()()()()が形をとったものなのです。魂は渡せません」


 

「あ」

 ピアノが小さく声を上げた。

「どうしました?」

「すみません、わたしは行かねばなりません」

 こんな夜中にどこへ、と思った次の瞬間ユスラは理解した。

 少女が行くところは決まっている。

「ひょっとして、アキオが……」

「そうです。うなされています――ご存じなのですか」

「前に見たことがあります。一度だけ。その時は、思わず彼を抱きしめたのですが、そうしたら、静かになりました」

「そうです。アキオは時々悪夢にうなされるのです。ひどい悪夢に。その時は身体に触れると静かになります」

「いま、その悪夢が始まったと?」

「ええ、なぜかは知りませんが、わたしは感じるのです」

「わかりました」

 ユスラはきっぱりという。

「すぐに、アキオの部屋に行きましょう。でも、部屋には鍵が……」

「姫さ、いえユスラさま、わたしは結社の人間です。鍵などないも同然」

「たのもしいです。ピアノさま。ではいきましょう」

 少女ふたりは、ベッドから降り立った。

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