474.懇願
「来てくださったのですね。わが王」
珍しく、つんとした表情で美少女が声を掛ける。
「そうだ」
「最後にお会いした時は、黙ってお出かけになられたので、わたしのことなど、どうでもよいと思われていると――」
その言葉で、アキオは、彼女が怒っている理由に気づいた。
「君を起こしたくなかった。気を悪くしたらすまない」
彼の謝罪を聞いて、ぱっとアルメデの表情が明るくなる。
ささっとアキオに近づくと、彼に寄り添う。
「良いのです。怒ってはいません――どうかしましたか」
彼女の豹変ぶりに驚いている辺境伯へアルメデは問いかけた。
「い、いえ、なんでもありません」
だが、実際のところ、辺境伯ペルタは度重なる驚きに――大きく気持ちを揺さぶられていた。
病気療養のため、王位を譲ったと噂されていたアルメデが、突如アドハードにやってきて、実質的に都市を支配しているドミニスに話があると言い出したことに、まず驚き、王位を譲ったのは、うわさの黒の魔王との婚姻のためだと本人の口から聞かされてさらに驚いた。
その上で、ガラムとドルドの二人から、女王を足止めしている間に、王都と話をつけて、政変を引き起こした張本人の黒の魔王、存在するかどうかも不確かな謎の国ヌースクアム国王を呼び出せと言われた時には、心底、困ってしまった。
曲がりなりにも、一国の王と噂される男が、他国の地方都市にやって来るとは思えなかったのだ。
だが、現女王に連絡してから、ほんの数日で、黒の魔王は、あっさりとアドハードにやってきてしまった。
初めは、本物かどうか疑っていたが、今、目にしたアルメデ女王――彼にとっては、この国の敬愛すべき王は未だ彼女なのだ――の今の態度で疑問は氷解した。
目の前の黒づくめの男は、正に本物の黒の魔王に違いない。
だが、その微かに漏れ聞こえて来る、にわかには信じられない噂は本当なのだろうか……
ペルタは身体こそ大きいが、その性は実直で、小味な男だ。
辺境伯と貴族風の名前はついているが、もとは平民のアドハードの都市整備部門の長に過ぎない。
カスバスがニューメアと変わってすぐに出来た役所に勤めて15年。
そんな彼が、ドミニス一族に推されて5年前に辺境伯となった。
全てにおいて遅咲きな男だ。
だが、彼は、下積みで苦労しただけあって、都市の運営も、繊細で小さな現場の努力を積み重ねることで、初めて破綻なく動くことを身に染みて知っている。
その男が、いかにドミニス一族の圧力があったとはいえ、どのような成算があるかも知らされずに、アルメデ女王を人質に取る大計画に乗ったのは、ひとえに――
「アルメデさま。お願いがございます」
ペルタが、床に膝を着き、大きな体を二つ折りにするように頭を下げた。
「いいなさい」
魔王の腕に頬を寄せて顔を見上げていたアルメデが、跪く彼の姿を目にし、一歩前に歩み出て威厳ある声音で言う。
「は、はい」
頭を垂れたままの大男は、絞るような声を出す。
「わたしには、3年前に娶った妻がおります」
「お美しい方だそうですね。王都にまで噂が聞こえていました。たしかお名前は――」
「メイディーネと申します」
「そうでしたね」
アルメデの言葉で、ペルタの胸に熱いものがこみ上げてくる。
メイディーネは、彼が、五十近くの歳になって初めて愛した女性だ。
四年前、さる会合に出席するために、王都に出かけ、奇跡的な偶然によって知り合った元伯爵のうら若き子女。
数年を経ずして老人となる自分の愛に応えてくれた天使――
「そういえば、このお屋敷に来て3日になりますが、奥方のお姿をみませんね」
「は、はい。妻は、メイディーネは病に伏せっているのです」
「病気、ですか」
アルメデが呟く。
アキオを見た。
実のところ、封印の氷以降、アラント大陸に、病気らしい病気は存在しなくなっている。
もちろん、老化は止められず、大きな怪我をすれば死んでしまうが、病気で死ぬことはなくなっているはずだった。
3ヶ月前から、グレイ・グーが、すべての民の体内に入っているからだ。
「奥さまは、強力な魔法使いですか」
ナノ・マシンが働かない可能性の一つを考えて少女が尋ねる。
ヨスル並みの能力を持つ魔法使いなら、体内から発生するベルゾ波によって、ナノ・マシンの活動が阻害されるからだ。
一般的な能力程度なら、問題はない。
「いえ、メイディーネは魔法を使えません」
「病気の症状をいいなさい」
「はい、妻は、彼女は、意識を失って眠り続けているのです」
さっと、アルメデがアキオを見た。
「詳しく話しなさい」
アルメデに促され、辺境伯は話し始めた。
二か月前から妻が意識を失うようになり、ひと月前から昏睡状態になっていること。
ニューメアの最新医療で診察してもらっても原因がわからないこと。
身体は、十代という年齢に相応しい健康体であること。
原因不明の昏睡下で、脳波が弱りつつあること。
このままでは脳死してしまこと。
アルメデは、辺境伯の傍らに膝をついた、彼の顔を見る。
「あなたに大切なことを尋ねます。3か月前、奥さまは外国へ出かけておられませんでしたか。西の国の近くに」
はっと、ペルタが顔を上げる。
「はい、実家の所用で出かけていました。ドッホエーベの爆発の音を遠くに聞いたのだそうです」
「そうですか――」
「お願いいたします、アルメデさま。サンクトレイカでは、さまざまな貴族の方々が、ヌースクアム王国の特別な治療を受けられたと聞いています」
平和裏にノラン・ジュードを王位につけるために、ミストラたちが行った強硬派の懐柔策の一環だ。
アルメデがアキオを見た。
「キラル症候群だ」
彼が言う。
おそらくケイブたちの体内にはいったものと同じ、旧型のナノ・マシンによるものだろう。
三カ月で発症するのは少し早い気がするが、サフランの研究によると、キラル症候群の発症には個人差があるらしいのでおかしくはないようだ。
「思ったより、旧型が広がってるようです。そちらのプログラム上書きとマシンの置換も、グレイグーとグリムに急がせましょう」
アルメデは、辺境伯に言う。
「立ちなさい、ペルタ辺境伯」
大男がゆっくりと立ち上がった。
「その願いを、わたしにするのは筋違いです」
彼の向かいに立った少女が見つめる。
「誰に頼めば良いかはお分かりですね」
「メデ――」
アキオの言葉を少女が遮る。
「これは譲れません」
大男はアキオと向き合った。
ペルタは、部屋に入ってから、一度も彼の顔をまともに見ていなかった。
だが、今は、まっすぐに彼の眼を見つめている。
「ヌースクアム王、これまでの非礼をお詫びいたします。アルメデさまを人質同然に屋敷にお引止めいたしましたことも。いかなる罰もお受けいたします。どうか、我が妻、メイディーネをお救いください」
その真剣な謝罪の言葉に、アキオはアルメデを見た。
いつものように無表情だが、彼女には、彼が少し困っていることが分かる。
美少女は晴れやかな笑顔でうなずいた。
アキオは、辺境伯の肩に手を置くと、世間話をするように言う。
「メイディーネに会わせてくれ。すぐに話ができるようになるはずだ」