472.唯一
「みんなには悪いけど」
アルメデが仰向けに寝たアキオの胸に耳を当てながらつぶやく。
「せっかくのアキオとのふたりきりの夜だから――」
少女は、彼の髪に指を入れて伸び上がると、アキオの唇に己が唇を触れさせた。
最初は小鳥が水をついばむように軽く、次いで情熱的に。
長い口づけだ。
ようやく唇を離したアルメデは、今度は彼の高い鼻梁に口づけ、
「はしたないって思わないでね、アキオ。だって、初めてジーナ城に来た夜から、ずいぶん時間が経ってるんだもの」
耳元で囁く。
「思わないさ」
アキオは、アルメデの頭を持って自分の肩に押し当てた。
さわさわと髪に触れる。
「あ、あの、アキオ」
彼の愛撫に目を細めながら少女が尋ねる。
「なんだ」
「あなた、他の子たちの髪で遊ぶことがあるでしょう」
「そうか」
自覚はない。
「遊ぶんです。指に巻きつけたり、手櫛で漉いたりしてるって聞いたもの」
言われてみれば、無意識に、そんなことをしていたような気がする。
おそらく長い髪が珍しいのだろう。
あるいは、彼自身、意識はしていないが、艶やかな長い黒髪をしていた母への思慕が根底にあるのかもしれない。
「それなら、わたしの髪は良くないわね。短いから」
アルメデは、キィが自分と同じ容姿をしていることを気に病んだため、ヌースクアムに来た時に髪を短く切ったのだ。
ならば、今すぐ伸ばせばいい。
ナノ・マシンを体内に持つ身体だ。
コマンド一つで、腰のあたりまで髪を伸ばせるのだから。
そう言いかけたアキオは口を閉じる。
問題はそこではないのだ。
それぐらいは彼にも分かる。
だから、アキオは言った。
「短い髪は良い」
「どうして?どうしてそう思うの」
少女が言い募る。
他愛もない問答だ。
だが、アルメデにとっては重要なことなのだろう。
彼は、アルメデの脇に手を入れて持ち上げると、彼女と身体を入れかえた。
「あっ」
全裸で、うつぶせのままシーツに沈むアルメデの背中に覆いかぶさる。
並の少女なら、彼の体重を受けて怪我をするかもしれないが、アルメデなら問題ないはずだ。
しかし、一応は手足で身体を支えて全体重をかけないように気を遣う。
すっきりとした肩甲骨が、彼の胸に当たり、金色の髪が、さらさらと優しい音を立てて揺れた。
「髪が短いと、君の綺麗なうなじが良く見える」
そう言って、アキオは、少女の金の髪から伸びる首筋に唇を当てた。
「あっ、ああ」
アルメデが声を上げ、身体を震わせる。
「アキオ、うれしい!」
少女は、身体を反転させると彼と向き合い、手を回して、きつく抱きしめた。
アキオは、自分の下で息づく小さな身体のぬくもりを感じながら、アルメデの頭を撫でる。
もちろん、彼が自分で、このような気の利いた言葉や行動を取るわけがない。
すべては、駒鳥号に乗り込む直前に、キィから教授された対アルメデ行動指南によるものだ。
その意味で、キィは素晴らしかった。
アルメデが、彼に向かって何を尋ね、何を望んでいるかを、ほぼ理解し、言い当てていたからだ。
「いいかい、主さま、アルメデさまは、わたしに気を使って髪を切られた。申し訳ないと思う。地球と違って、この世界では女は髪を伸ばすものだからね。でも、あの方はわたしがいる限り髪を伸ばそうとはされないだろう。まあ、おそらくご自身では、あまりそれを気にしておられないと思うけれど。だけど、主さまが短髪どう思っているかは、心配しておられるはずだから、もし、あの方に聞かれたら――」
アキオは少女の顎に手をやり、顔を上げさせた。
熱圏に浮かぶ宇宙ステーションから見る地球の大気、いわゆる地球の蒼い空と同じ、形容し難い澄んだ色の瞳に涙をいっぱいにたたえて、少女は彼を見つめていた。
「メデ」
「はい」
そこでアキオは言いよどむ。
彼にとって、アルメデ以外の少女たちは、この世界で生まれ、本来、この惑星に根づいて生きていく生き物だという認識がある。
だから、基本的に、すべての少女たちは、生きていく術を得て傷ついた身体と心が癒えたなら、人殺しと特殊な研究しか能の無い自分の手を離れ、自由に広く世を渡っていくべきだと考えている。
だが、ひとりアルメデだけは、あの小さかったミニョンだけは、キルスとカイネのペアを除けば、ただひとり、彼と同じ世界からやって来た異邦人だ。
おまけに、彼女がこの世界に来た遠因は彼にある。
番いになりたいと思う者が現れればそれで良いが、そうでないなら、彼が傍にいてやるべきだろう。
保護者として。
それが、この世界にアルメデがやってきていることを知り、さらに彼女がミニョンであったことを知った時から変わらない、彼の決意だった。
そして、キィの言った、ミーナがいなくなって、もっとも打撃を受けているのはアルメデだ、という言葉。
思えば、彼女は、中断はあれど少女の頃から130年以上、ミーナとつながっていたのだ。
「寂しくはないか」
「どうして?」
100年女王が、陶然とした気持ちの中で、幼女のような幼い声を出す。
心底、不思議そうな声だ。
「あなたがいて、ヌースクアムのみんながいて、寂しいわけがありません」
「だが、ミーナがいない」
「ああ……」
薄明りの中で、アルメデが柔らかく笑う。
「それは心配していません。きっと、あなたが連れ戻してくれるだろうから」
「そうか」
アキオは、アルメデから身体をずらすと、肩を抱いた。
そして、考える。
それは、途方もなく困難な道だ。
だが、彼女がそう信じるなら、それを実現しよう。
彼はただ、当初の予定通り、水の雫が岩を穿つように、ミーナとシヅネを取り戻す研究を続けるだけだ。
「そろそろ寝よう」
「はい」
アルメデが素直に返事を返して、彼の身体に半身を重ねた。
たくましい肩に頭を寄せる。
すぐに、穏やかな寝息を立て始めた。
安心しきった表情だ。
それを見て、アキオも目を閉じる。
今夜は悪夢を見なくてもよさそうだ。