470.依頼
「君は、他のふたりと連絡を取ることができない、そういうことだな」
アキオが確認する。
「そうよ」
ミレーユは、なおも身体を捻り、電球の明かりの中でスカートの裾が美しく回るのを見ながら答える。
「そうか」
断片的な彼女の話でわかったことは、ミレーユが他の工作員から距離を置かれている、もっといえば場末の酒場にひとり放置されているということだ。
「この三か月、王都と連絡を取っていないと聞いたが――」
「知らないわ。連絡係はカデットだったから」
「自分で連絡を取ろうとは思わなかったのか」
「さっきもいったでしょう。わたしはアルメデさまの下で働いていたの。新女王なんて知らない」
「カデットとレルナもそう思っているのか」
彼女たちが、この数カ月連絡を絶っているという事実が答えを示しているが、一応、尋ねてみる。
「わからないわ」
「仲間とその話はしないのか」
「アルメデさまが退位された時に、一度、集まっただけで、それからは会っていないのよ」
ミレーユは俯き、さっと顔を上げた。
「それまでも、カデットとレルナは、よく話をしてたけど、あたしとはめったに話さなかったから。でも、たぶん、ふたりも同じ考えのはずよ」
「わかった」
アキオは、バッグを手に立ち上がった。
これ以上、ミレーユから詳細な情報は得られないだろう。
おそらく、彼女の側からふたりに連絡をとる方法がないというのは事実だ。
「行くの」
アキオはうなずく。
なぜか、ミレーユが彼の腕をつかんだ。
狭い部屋で彼を見上げる。
アキオはアーム・バンドに触れて言う。
「これで、その服は固定された。普通の服として使えるはずだ」
さらに、バッグから何本かレーションを取り出して机の上に置く。
「明日の分だ。君は痩せ過ぎている。もっとたくさん食べた方がいい」
「よ、余計なお世話よ」
アキオがドアを扉を開けようとすると、ミレーユが背中で戸を押さえた。
「さっきの映像――アルメデさまは、アドハードに来ておられるのね」
前女王アルメデは、いわゆるお忍びでこの街に来ているため、一般には知られていない。
「そうだ」
「そして、あんたは、これから会いに行く」
「そのつもりだ」
言ってからアキオが尋ねる。
「俺が、偽の映像を使って君をだましているとは思わないのか」
ミレーユは、妙にすっきりした顔で答えた。
「アルメデさまが退位される前、あたしが王都にいたころ、奇妙な噂を聞いたことがあった。あの方には、秘密の恋人がおられて、それは黒の魔王だと」
それについては、アルメデから聞いたことがある。
延命措置のタイムリミットが近づく中、意識が途切れがちだったアルメデに代わって、ラートリが、システムの裏に隠れてそういった情報を流していたらしい。
「あんたは、髪も眼の色も黒じゃないけど、魔王はとんでもなく強いともいわれているから、その点で、あんたは魔王だと考えられるわ。本物なら髪の色くらいは変えられるはずだから」
アキオは苦笑すると、アーム・バンドに触れて、髪と眼と服の色をもとに戻した。
「やっぱり、黒の魔王――」
「そう呼ぶ人間もいるな」
「あの方は、アドハードの叛乱を防ぐために来られたのね」
「そうだ。君は、叛乱の気配を感じていたのか」
「確かに酒場でも、そんな話を耳にすることがあったわ。でも、ただの愚痴だと思っていたの。でも、それが本当なら、どうしてカデットたちは、あたしに教えてくれなかったんだろう――あっ、ちょっと待って、そんな時に、あの方が来られたら危ないんじゃないの」
「そうだな」
なおも、きつい目で睨む少女にアキオは明かす。
「彼女は、今、ペルタ辺境伯の屋敷に軟禁されている」
「なんですって!だったら、あんたは、どうやって会いに行くの」
「夜だからな。方法はあるさ」
いつでも夜の闇は彼の味方だ。
「君はもう寝る時間だ」
言いながら、ドアのノブに手を掛ける彼の手に少女が手を重ねる。
「待って」
「どうした」
「あたしも行く。アルメデさまをお助けしたい」
「ダメだ」
「なぜ」
アキオは少女の肩に手を置く。
「危険だ」
「あたしは強い――そりゃ、あんたより弱いけど、普通の相手なら負けない」
彼は首を振る。
そういう問題ではないのだ。
おそらく相手は銃器で武装している。
どんなに弱い敵でも、銃を持ては、簡単に人を殺すことができるのだ。
傭兵部隊には、行軍しながら交わされる警句があった。
気を抜くな、マヌケの弾丸でも当たればあの世――
「確かに君は強い」
彼は言った。
アキオの言葉にミレーユは眼を輝かせる。
「そうでしょう」
「だが、それは銃を持たない人間相手だ。君も銃器の威力は知っているだろう」
彼女の身体能力、咄嗟の判断力、暗器の使い方、どれも一流だ。
だが、正式な訓練を受け、銃器で武装した者が相手だと、必ず死ぬ。
「アルメデは、ただ軟禁されているだけで自由に街を歩くことができるそうだ」
「でも――あの方が自由に街を歩かれるところなんて想像できない」
「そうだろうな」
外出を許されるのと、実際に街に出かけられるのは別問題だ。
もし、彼女が街に出たら、たちまち人だかりができて動けなくなってしまうだろう。
「要は、彼女は拘束されていないということだ」
アキオは、ミレーユの栗色の髪に手を置く。
「だから心配するな」
不満げな目つきで彼を見ながらも、彼女は彼の手を払いのけなかった。
しばらく黙って、アキオが言う。
「こうしよう。メデと会ったら」
「メデ!」
少女の驚く声を無視して続ける。
「アルメデと会ったら、折を見て君に会いにここに来る。それまでに仲間と連絡をとる方法を考えてくれ、何かあるはずだ。彼女たちの情報は必ずアルメデのためになる」
不満顔で少女がうなずく。
「わかったわ」
扉を開け、彼は廊下に出た。
薄暗い廊下は、人が近づくと自動に白熱球が光る人感センサーライトが設置されていた。
階段まで歩くと、下に向かわず登っていく。
建物の屋上に出た。
夜も更けてきたため人影は見当たらない。
月は分厚い雲に覆われている。
アキオは、人気のない屋上を走り始めた。
手すりを使って高く跳び、音をたてないように隣の建物の屋根に降り立ち、屋根から屋根へと飛び移って行く。
3つの月が雲に隠された夜、黒い髪、黒いコートの彼は、闇に紛れて走り続けた。
しばらくして、
「ここか」
アキオは屋根の上で立ち止まった。
ひと際大きい建物が彼の目の前にある。
ベルタ辺境伯の屋敷だった。