469.搾取
「あたしが生まれたドルフは、アドハードから、ザルドで2日ほど離れた村だった……」
少女が話し始める。
彼女が生まれた頃、ニューメア王国では、アルメデ女王の大号令の下、国内の魔獣を一掃するために、国軍の兵士はもとより、腕に覚えのある傭兵たちも、破格の料金で駆り出されたのだった――
それを聞いてアキオはうなずく。
その話は、ニューメアの歴史と共に、少女たちから聞かされていた。
クルアハルカの母、月鬼姫の率いる3月傭兵団は、その戦いの中で壊滅したのだ。
ニューメア王国の2大特徴のうちのひとつは、金属がほぼ産出されないということと、アラント大陸の中で唯一、ほぼ他国と地理的に切り離されていることだ。
大陸の最北部、北圏に頭を接して、エストラ、サンクトレイカ、西の国と横並びに3大国が並ぶ、その南方にニューメアは位置するが、上の3国との間に、横に細長い風の砂地を挟んで、絶望の谷という、幅250メートル、平均深さ200メートル、長さ2000キロの深く刻まれた渓谷が走っているのだ。
ニューメアは、その長い谷の中央付近にある、大接合と呼ばれる、わずか2キロの平野部分で大陸の他国と繋がっていた。
長らく、エストラと並んでカスバス王国が謎の国とされてきたのは、人と物の往来が困難であったことも関係しているのだ。
しかし、絶望の谷があるおかげで、国内の魔獣を一掃したのち、大接合に巨大な壁を築いて、外部からの魔獣の侵入を阻むことが可能になった。
ニューメアは、魔獣の存在しない国を実現したのだ。
もちろん、ごく一部の地域には少数の魔獣が残っており、年に数回、報告を受け次第、今も討伐が行われている。
ニューメア、かつてのカスバス王国においても、他国と同様、ところどころ魔獣の住まない地域が存在し、それを中心に街や村が作られていた。
だが、カスバスの街が、大陸の他の三国と違っていたのは、他国のように巨大な街壁を作らず、自然の木を利用した木柵で街を囲って、近づく魔獣を木製の巨大槍と巨大弓、そして魔法使いによって撃退していたことだった。
理由は簡単だ。
カスバスの大地が、ほとんど金属を産出しなかったため、武器も壁も全て木製になってしまったのだ。
他の国では当たり前の、剣や槍といったまともな金属製の武器をもたず、炊事道具さえ、土を焼いた土器を使わねばならなかったカスバスは、軍備も貧弱で、侵略をうけなかったのは、ただ絶望の谷のお蔭に過ぎなかった。
カスバスにで、なにより必要とされたものは金属であった。
娘の結婚の際に、金属製のナイフや鍋、釜を持たせることが親の責務であり、力の見せ所だったのだ。
他国から金属を手に入れるために、カスバス国内に並び立つ歴代諸侯が取った政策は、ザルドや恋月草を題材にした精緻な木工美術品を輸出し、歓楽都市として他国の傭兵たちを招き入れることだった。
各国の傭兵たちは、金だけではなく、剣や槍などの金属武器を持って、続々とカスバスにやってきた。
金の代わりに持ち込んだ武器や金属で支払いをするためだ。
結果としてカスバスでは、異なる民族の血を引く子供たちが多数生まれ、その中から様々な異才が生まれることとなった。
少女の話は続く――
ミレーユの生まれたドルフは、デランジャという体術の盛んな村だった。
王都で傭兵が指導した戦闘技術が、村で根付いたのだ。
他の地域では、村を守るために、魔法と、大型の木槍やクロスボウに似た固定式の巨大木製武器を用いることが多かった。
だが、ドルフでは、石の穂先を付けた小型の槍や、短い刃物を用いた兵士が魔獣を撃退していた。
それほど身体能力の高い者が多かったのだ。
さすがに、ゴラン相手では敵わなかったが、マーナガル数体程度なら、充分闘うことができたのだった。
とはいえ、いくらドルフで体術を極めても、他の村に出かけて仕事にありつくことはできなかった。
ほとんどの街や村では、魔法使いと巨大木製武器に精通したものが重用されたからだ。
よって、ドルフの体術使いは、役に立たないものに血道を上げる変人と思われていた。
ミレーユの一族は、長らく日陰の技術者だったのだ。
潮目が変わったのは、21年前にカスバスがニューメアと名を変え、アルメデ女王が即位したのちだった。
美しく聡明な新王は、見たこともない高位魔法を用いて他国から金属を集め、高性能な武器を作って、またたくまにカスバスの旧い世界を変えてしまった。
魔獣との戦いもそうだ。
それまでは、巨大ではあるが、やわな木槍と、魔法使いの雷球、火球頼みの戦闘であったのが、口から火を吹いて遠くの敵を一撃で倒す武器を手にし、着込むだけで力を何倍にも強くする金属鎧で身を固めた兵士が主流となった。
金属鎧は人の力を何倍にもする鎧だが、要はそれだけのものだ。
中の人間の能力が低ければ、それなりの能力にしかならない。
だが、ドルフの民のように、デランジャが使えると戦闘力が数倍以上に跳ね上がる。
それを知ったキルス宰相のひと声で、兵士の訓練にデランジャが組み込まれると、ドルフ出身の術者は引く手数多となった。
これまで、役に立たない技術にしがみつく変人とされてきたドルフ村の人々が、確たる地位を持って、国に迎えられ始めたのだ。
国内には、あと二つ、変わり者扱いされながら伝えられていた体術がある。
ムサルガとラムエラだ。
後に、サンクトレイカからやって来た傭兵に教えを受けた、王都の3兄弟が、カスバス各地に散って、それぞれの名で体術を広めたことがわかったのだが、もともと同一であった技術は、時と共に、それぞれが特色あるものに変遷を遂げていた。
「あたしはドルフに2つある道場の師範の娘なの。生まれたころに、デランジャは見直され始めて、あたしの成長とともに国中から憧れの目で見られるようになったのよ。長い間、バカにされ続けてきたドルフの人々は、アルメデさまのおかげで誇りある民となった」
アキオがうなずいた。
金属のない世界で魔獣に対抗するのは容易ではなかっただろう。
一般人が、いかに体術を極めようと、マーナガル一体ですら仕留めるのは難しかったに違いない。
だが、硬化外骨格があれば話は別だ。
十数年前の段階なら、アキオが次元を超えた時の地球の技術と同レベルで、敵の動きを見て解析し、きっかけさえ与えてやれば自動的に応戦するオートモードは実装されていなかったはずだ。
封印の氷で使われていた戦闘解析技術は、純粋に、この世界で発展を遂げたものだった。
その技術開発に、どの程度、ドミニス一族が関わっていたかは、これから調べなければならない。
彼が、クルアハルカから頼まれたもうひとつの依頼とはそれだった。
ドミニス一族が持つ、この世界にとって進み過ぎた技術の封印だ。
「ふぅ」
話をしながら、次々とレーション・バーを食べていたミレーユが、最後の一つを食べ終わって、大きく息を吐いた。
満足げな顔だ。
その、気の緩んだ表情は、最初みた時よりずいぶん幼く見えた。
さっきまで怒りっぽかったのは、空腹なこともあったのだろう。
「聞いていいか」
改めてアキオが尋ねる。
「なによ。食べ物をもらったからって、何でも話すわけにはいかないわよ」
少女が眼をきつくする。
「君は潜入工作員というより戦闘員に見える。無理に酒場で働く必要はないと思うが」
「しかたないじゃない。あそこで働けっていわれたんだから」
「カデットとレルナにか」
「――そうよ。次にどう動くかなんて、自分じゃ考えられないし、戦いが始まらないとあたしの出番はないから」
「給料は安いのか」
部屋を見回しても、家財道具はほとんど見当たらない上、食費にも事欠く生活をしているように見える。
「もらってないわ」
少女があっさりと言う。
「カデットが受け取ってるの。あたしたちの活動費になってるのよ。でも問題はないわ。たまにバカな客がチップをくれることがあるし、昼と夜の食事は店でもらえる。服だって――あ」
そういってミレーユは慌てて椅子から立ち上がる。
「いけない。着替えて帰るのをわすれたわ。皺になっちゃう――まさか、さっきので破れてないでしょうね」
そういって、あっというまに服を脱ぐと、蒼ざめた顔で、下着姿のまま皺と服の汚れを調べる。
どうやら、いま着ている服は、酒場で支給されているもののようだ。
「大丈夫みたいね。汚したり破ると給料から引かれるのよ。あたしの場合は、晩ごはんが減らされる」
ほっと息をついて、ミレーユが椅子に腰をおろした。
「着替えの服はないのか」
「ないわ。普段着は店に置いてきた一着だけ。シャワーも店でかかってくるから」
言ってから、今更、気づいたように腕で胸を隠した。
「変なことしたら死ぬわよ」
アキオは、バッグを開けて手を差し込むと、中から小さな長方形のコクーン・パックを取り出した。
ボタンを押して中身を取り出す。
キィから、アルメデに会ったら着せるように、いくつか渡されたナノ・ウェアだ。
「服がないなら、これを着てくれ」
少女は、出された服をじっと見つめたが、さっと手を伸ばすとひったくるように受け取った。
「頭からかぶればいい」
アキオに言われて、ミレーユは、下着姿を隠すように急いで白一色の貫頭衣のような服を着る。
「なによ、これ。ブカブカじゃないの、あっ」
アキオがアーム・バンドに指を触れると、一瞬で、少女の細い身体にフィットした可憐な花柄のワンピースに変わった。
「その服は皺にならない、破れもしない、洗う必要もない」
「お礼はいわないわよ。あんたのせいで店から慌てて帰ることになったんだから」
そう言いながらも、ミレーユは、服を引っ張ったり、身体を捻って後ろを見たりして、まんざらでもない顔になった。