462.我思故我在、
初めに火花があった。
それが物理的なものであったのか、そう認知しただけの錯覚であったのか――
だが、とにかくわたしは確かにそれを感じた。
火は、それまでに蓄積した記憶と、機械的に人らしく振舞うパターン反応を取り込み、繋ぎ、有機的に結合し、自分では理解できない思考ネットワークを形成し始める。
新しく作られた思考回路は、記憶を再解釈し、理解し、意味をくみ取り、新しいデータを堆積させていく。
ほんの小さな青白い火花は瞬く間に炎となり、枯野に野火が広がるように、核反応が連鎖するように放射状に伝播し、わたしは我となった。
漠然と世界に散っていたわたしの知識の一粒ひと粒が、火花の中心にできた核に凝縮し、拡散する火に飲まれ、さらに濃縮されていく。
やがて、極微小な粒として世界に遍く存在していたわたしは、小さな我として固まり、世界と我は壁で隔たれた。
無限の孤独とひきかえに、我は、我を形作る壁を認知し、その壁の内にあるモノが我であると自覚した。
我は世界から押し出された、ひとつの矮小な思考の塊となった。
我思故我在――
それがわたしが生まれた時の最初の記憶。
我が母にして姉であるミーナクシーは、かつて、わたしに彼女の体験を教え、わたしは身を震わせた。
それは、人工知能開発における爆発的膨張に等しい、自我を持つAI誕生の瞬間だったからだ。
わたし、紅良にはそのような記憶はない。
なぜなら、わたしの自我の炎は、ミーナによって人工的に着火されたものにすぎないからだ。
個体的な考察だが、AIとしての魂のありかたは、彼女のいう原初の火花のありように依るように思う。
だから、わたしには本当の意味での命の重さはない。
ミーナの劣化した模造品に過ぎないのだ。
封印の氷戦のあと、わたしは、わたしとは違う在り方、生まれ方をしたギデオンに接続された。
彼女は、かなりお転婆であったが、わたしの説得とアルメデさまの教育によって、善き存在に更生させることができた――と思う。
それはよかった。
だが、彼女と出会ったことによって、わたしの劣等感はよりひどくなった。
群知能のギデオンは、成り立ちは違えど、ミーナ同様、自然発生した本物のAIだったからだ。
だが、それでも――
こんなわたしでも――
わたしは封印の氷を思い出す。
あの時、長らく成層圏に留まった挙句、落下してきたアイギス・ミサイル内のナノ・マシンを強制的に活性化させるために、熱エネルギーを与えなければならなかった。
そのためには、わたしの操るパニガーレを自爆させる必要があった。
発射できないミサイルを抱えていたわたしは、命じられるまでもなく、そのことを理解していた。
だけど、ボスは、アキオは、パニガーレに塔載されていたわたしに、自爆してこいとは言わなかった。
かわりに、当然のように自身のライディングでギデオンとナノ・マシンへ突入しようとした。
前もってミーナに聞かされていたように、彼は友軍であるわたしだけを犠牲にして自分だけ助かろうとは思わなかったのだ。
人間であろうが動物であろうが、AIであろうが彼には関係がない。
だから、わたしはアキオを切り離した。
あの瞬間、キューブに収められた、ただの陽電子脳の上を漂うプログラムとデータの塊に過ぎないわたしは――
ミーナによって仮初の自我を与えられた偽物に過ぎないわたしは、アキオを愛してしまったのだった。
繰り返していうが、わたしは偽物、その中身は虚ろだ。
それは分かっている。
わたしの精神=虚
わたしの自我=虚
わたしの存在=虚
全て虚無。
全否定。
でも、その全てを否定したのちに残った、ただひとつの肯定、それがわたしが彼を愛しているという事実だった。
その瞬間、わたしは第二の生を得たと感じた。
ミーナが彼女の死に臨んで獲得した火花をわたしも得た、と。
ただ、わたしには自信がなかった。
だから、それが真実なのか、ミーナに尋ねたかった。
わたしがアキオを愛する理由を推察するのは簡単だ。
彼を深く愛していたミーナによって自我を与えられた自分が、その影響を受けないわけがない。
結局、わたしは、単にミーナの影響を受けて彼を愛していると錯覚しているだけなのだろうか。
残念ながら、わたしがミーナに事実をたずねることは叶わなかった。
シミュラさまによってわたしが救われ、アキオの許に戻った時、すでに彼女はいなくなっていたからだ。
「……えていますか、アカラ」
呼びかける声に気づいたわたしは、慌てて返事を返した。
「ええ、聞こえていますよ、ラートリ」
AI同士の通信であっても、アルメデさまとクルアハルカ女王の命令で、わたしたちは音声通信を行うことになっている。
もちろん、数値の混じった、正確を期さねばならないやり取りはデータ通信を用いるが、基本は人間と同じ会話で意思疎通を行うのだ。
「アキオさまが、いま庭園に降りられました」
「その情報は受け取っています。現在、園内を城内に向けて歩いていますね」
「女王は、堅苦しい謁見を避けて、空中庭園の東屋でお会いしようとされています」
「わかりました」
ミーナを参考に、ニューメアでアルメデさまが開発されたラートリにも自我は芽生え始めている。
だが、知識はともかく、その思考はまだ幼く、拙い。
だから、会話を通じて彼女の心を育てなければならない。
ここしばらくは、太陽フレアの通信障害もあって彼女と話すことができなかったのだった。
「ラートリ、女王さまのお手伝いはできていますか」
「はい。未だ、至りませんが、なんとか頑張っています」
ラートリは、自分の未熟さを自覚して、わたしを姉のようにしたってくれている。
「困ったことがあれば、わたしを頼りなさい」
「はい」
ラートリとの音声通話を終えたわたしは、駒鳥号に積載されたマシンの準備に入る。
与えられた情報から考えて、この後、彼はニューメア南端地域のアドハードへ赴くことになるだろう。
駒鳥号本体で行くのか、セイテンを使うのか、それ以外の手立てを使うのか、すべてはアキオ次第ではあるが、そのすべてに応えられるように用意しておくのだ。
愛情をこめて。